銀か白か

 詩音しおんの所属事務所を歩きまわり、リハビリして四日目。杖をつきながら歩く清十郎せいじゅうろうは、もう片方の手で耳をふさぎながら歩いていた。


 原因は四六時中鳴り止まない電話のコール音。詩音が参加者とわかってから、マスコミやTV局から絶えずかかり続けていた。それに対応するスタッフを見ると、思わず感心してしまう。


 清十郎は事務所内を二周程度すると、一階ロビーの長椅子に座り、千尋ちひろに自販機で水を買わせた。ヌルいなどと文句を言いながらも、一気に飲み干す。未だ包帯が巻かれた右手を見つめ、溜め息が漏れた。


「お兄さん、まだ痛いの?」


「はっ、べつに痛くはねぇよ。ただ、どうしようかと思っただけだ。あんとき、この手で思いっきりケータイ壊しちまったからな」


 アレスとの対戦のとき、後先何も考えずにケータイを握りしめながらアレスを殴り飛ばしてしまった。そのことが悔やまれて仕方ない。


 今神を探すとなれば、千尋のHメールだけが頼りだ。まぁもともと、Jメールは神捜索にも日常生活にも使っていないのだが、力がないことに変わりない。今は詩音のメールもあるが、いずれは離れなければならない力、頼れない。


「まず歌姫のメールがどんなのか、まだ聞けてねぇからなぁ……」


「ケータイ、買っちゃダメなの?」


「俺は、ケータイを買いてぇんだ。が、外に出れば俺らはマスコミのいいエサだ。俺らは現状、歌姫とここにかくまってもらってるわけだから、迷惑行為こそ避けるべき……って、何だよ」


「……お母さんが、何か聞こえ――」


 ガッシャァァン!


 耳を澄ませる前に、ガラスが割れるような音が響き渡る。走ってその場に向かうスタッフに続いて行ってみると、大きな人だかりが狭い部屋でギュウギュウ詰めになっていた。


「んだってんだ。食器か何かが割れただけじゃあねぇのか?」


「お兄さん」


 千尋に送られたHメール。文章を見た清十郎の目が、見開かれる。そしてすぐ、この騒ぎを起こした人物が、スタッフ二人の肩を借りながらヨタヨタと歩いてきた。


「大丈夫か?! 詩音!」


「詩音!」


 青ざめた顔で辛そうに息を切らす詩音に、スタッフが呼びかける。呼びかけに答えない詩音を心配していなくなる人だかりの中、清十郎はその場から動かずに立ち尽くした。


 杖を千尋に預け、片膝をつく。床には詩音が割っただろうコップと、嘔吐した異物と胃液、過度に抜け落ちた詩音の赤い髪が広がっていた。そして苦しみもがいてつけたのか、床や壁に爪で引っ掻いたような跡もある。


「……お兄さん?」


「戻るぞ、ガキ」


「でも、詩音お姉さんが――」


「俺らは医者じゃねぇんだ。側で名前を呼ぶようなそこらのスタッフと同じで、何も出来ねぇ。いや、むしろそのスタッフより……とにかく戻れ」


 千尋から杖を受け取り、人だかりが消えた方とは逆に歩いて行く。千尋は何度か振り返ったが、結局清十郎についていった。


 だが、清十郎自身も割り切れてはいない。詩音の部屋に戻ってからも、使わせてもらってるベッドに横になるなり、枕を床に投げつけた。それでもムシャクシャして、頭を掻きむしる。


 そんな清十郎に、投げつけた枕が被せられた。窒息を訴えて枕を何度も叩き、外して貰うと思い切り息を吸い込む。キレかける清十郎だったが、枕を被せた相手を見上げると、その怒りも忘れてしまった。


「枕、結構気に入ってるんだから投げないでよ、ジッくん」


「歌姫、てめぇ……」


「どうしたの? そんな驚いた顔して」


「おま、さっき大騒ぎになってただろうがよ」


「……見てたんだ。ハハ、参ったなぁ」


 清十郎が座るベッドに、詩音も座る。自分の膝を抱えると、その中に顔をうずめた。


「小さい頃からね、病気持ちなの。原因不明で、前例がないんだって。たまに発作が起こる程度なんだけど、ね」


「……そんな体で、何でアイドル歌手なんてやってやがる。最期は自分の好きなことやって死にてぇってのか?」


「そうじゃないよ! そうじゃない……約束なの。ずっと、ずぅっと前からしてる約束」


 右の手首に、留めるわけでもないのに必ずつけている黒の髪留めを擦る。清十郎は密かに、その存在が気になっていた。訊くまでもないと思っていたが、話しそうな雰囲気に期待する。そして詩音は、その雰囲気のまま話し出した。


「病気になる前、私の髪黒かったの。肌も、も少し黒かったかな……でも、病気になってから、体中の色素が変になったとかで、髪はこんな赤くなって、肌も真っ白……お陰で、紫外線に弱くなっちゃった」


「けどおまえ、コンサートのとき袖なしの衣装着てたじゃねぇか」


「ほら、冬ってお日様出てる時間が少ないでしょ? だからもうあのとき、私にはほとんど日の光なんて届かなかったから、まだいいの。だから夏のコンサートは必ず、天井のあるドームでしか出来ないんだ」


 笑って語る詩音に、言葉を失う。だが、そうやってぎこちなく笑う人を一人知っていた清十郎は、自然にその姿が重なった。


「でね、赤い髪なんて、その時そこには他に誰もいなかったの。だから毎日、すっごいイジメられた。髪引っ張られて、顔つねられて、服とかビリビリにされて……でも、そんな私を助けてくれた男の子がいたの」


 あぁ、そいつと仲良くなって約束したとか、そういう黄金パターンか……


 展開を先読みし、勝手に期待しておきながら勝手に飽きる。清十郎が聞く気を失せていることに気付かず、詩音はその先を話した。


「その子、いつもフード被ってて顔なんて見せてくれなかったけど、でも一回だけ、その助けてくれたときにだけ言ってくれたの」


――いいじゃんか、赤い髪。だいたいそういうの、主人公とかサブキャラとか、重要なキャラについてくる設定じゃん。俺みたいな髪は、よく敵にいる


「……そう言って、後ろ向いてほんの一瞬、フードを脱いだんだ。綺麗だった、その子の髪。銀色っていうべきか、白っていうべきか、わからなかったけど」


 あれ、全然約束してねぇ。


 読みが外れた。それより清十郎は、話の少年の口調に聞き覚えがあった。一つの可能性が、脳裏をよぎる。


「それ言ってすぐ、その子転校することになっちゃって……彼のお陰でイジメもなくなって、私ずっとお礼言いたかったから、放課後、校舎裏に呼んだの。そしたら、私に何も言わせないで、これだけ渡してさっさといっちゃったんだ」


 ……あ、それ……俺か? いや、まさか……


 もう一つの黄金パターンにようやく気付く。同時に、完全放置していた小学生のころの思い出がよみがえった。イライラして喧嘩したら、女子を助けたことになったっけなどと曖昧な記憶だが、髪留めを女子に上げたことは覚えていた。

 

「だから私、決めたの。いつか彼に会って、お礼言おうって。主人公の赤い髪と髪留めをつけてTVに出て、彼が会いに来てくれたらなって。お礼が言えたらなぁって」


 あぁぁ……何か、そんだけ覚えられてると、なんかすっごい申し訳ない気が……向こうの勝手だが


「でも、不思議。昔も今も、助けてくれた人が白い髪の人だなんて。ねぇ、もしかしてジッくんがその人?」


「は、は? な訳あるか。ピッカピカの小学生時代なんて覚えちゃいねぇよ」


「……そっか」


 歯がゆい。だいたいそんな話をされて、ハイ俺ですと言えるわけがない。ましてやこっちは今の今まで忘れてたなんて、思い続けてた側からすれば結構ヒドい話だ。


 だが歯がゆい。要は今自分が名乗り出れば、詩音が無理する必要はないんじゃないだろうか。


 だが、それも遅い。


「ったく……だいたいおまえ、そんな恩人の髪の色くらい、はっきりさせろっての」


「ハハ、だよねぇ。じゃあさ、ジッくんのはどっちなの?」


 は? 髪の色なんて、見たやつの自由だろ。


 そう思いながらも、清十郎は前髪を引っ張って凝視した。天井の照明に照らし、透き通る髪を見つめて、フンと鼻を鳴らす。


「面倒だから白でいい。銀ってほど綺麗じゃねぇしな」


「……そっか」


「あ? どこに行く」


「お仕事。晩ご飯までに帰るから、それまで待っててね、ジッくん」


「あぁ、勝手に食ってるよ」


 詩音が部屋を出ていくと、清十郎はおもむろにイヤホンを取りだし、音楽機を動かした。流れる詩音の歌声に、耳を傾ける。


 その頃詩音は、マネージャーの運転する車に乗っていた。車に揺られながら、通り過ぎていくビルを見つめて、口角を上げる。


「……そっか、白なんだ」



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