大嘘つき

 公園のブランコに揺られながら、空を見上げる。星は殆ど見えなかったが、一等星と思われる赤っぽい光が唯一見える。倉庫に閉じ込められていた時に屋根を開いて見た夜空には、多くの星が見えていたのに、山からうんと遠くに来たのだと、さやかは思わされた。


「カナ……」


 ふとカナを思い出す。思えば今の空は、自分の周りではないかとさやかは思った。


 十年と言う歳月で周囲はすっかり変わってしまって、知ってる人ももういない。誰が味方なのか分からない。たった一つ、カナと言う光を見つけたばかり。


「詩人みたいね」


 鼻で笑い、立ち上がる。目を閉じ、聴覚に全神経を集中させた。危険察知の為に耳だけはよくなったとさやかは思っている。少ない自慢だ。


 三月に入ってやや早めの活動を開始している虫の鳴き声が聞こえる。乗っていたブランコが揺れて出る高い音と混ざって、少しおもしろく思えた。


 だがそう思えたのは刹那の間。車だろうエンジン音が聞こえてきた。少し古めで、買い換えた方がいいと思わされる。間違いない、隆一が来た。十年この音が聞こえる度に震えていたのだ、間違うはずがない。


「よく外に出ようと……」


 目を開き、音の聞こえた方向に体全体を向ける。夜では余り目立たない青と黒の軽自動車が走ってきた。緊張から唾を呑み込む。


 車が減速を始める。だが突然、車が段差につっかえたのか横転した。フロントガラスが粉々に砕け、サイドミラーが折れる。悲惨とも言えるその一部始終を見届け、さやかは深く息を吐いた。


「クソ……このぉ」


 隆一が這い出てきた。頭から血を流し、左腕がありえない方向に曲がっている。


「……よく追いかけて来たわね。私を捕まえても、呪いは解けないって言うのに」


「黙れ、女ぁ!」


 周囲の人間が騒ぎに気付いて様子をうかがう。隆一はそんな事を構う事無く、さやかに歩み寄る。


「お前ぇ……よくも」


「そんな口の聞き方、カナにしないでよね」


「るせぇ!」


 カナに対して優しかったあの隆一は微塵も残っていない。周囲の隆一を知っている人たちは信じられなかっただろうが、さやかにとってはこちらが普通だった。自分を十年も閉じ込め、そして、家族を殺された。復讐の相手には十分過ぎる。


「出かけるまで大変だったぞ、おめぇ。指をぶつけたりパソコンが故障するだけならまだしも……タンスが倒れてくるし、ライターがいきなり爆発するし、ケーブルはショートするしよぉ。てめぇのせいでうんざりだ!」


「……とんでもない八つ当たりね」


 隆一の状態を見て、逃げられるとさやかは考えた。足を引きずっている人間に、走れる人を捕まえられる訳がない。しかし、その考えはすぐに変えられた。バイクのエンジン音がさやかの耳に届いたのだ。しかも二台。


「呪われてない奴を呼ばねぇ訳ねぇだろうが! ばぁか!」


 赤いバイクに乗って、男二人が隆一の後ろに立った。恐怖で息が切れる。過呼吸になってきた。バイクが相手じゃ逃げられない。


「また倉庫にぶち込んでやるよ。後一年くらいしてからにしようと思ってたが……処女奪ってやるから楽しみにしてろよ馬鹿女が!」


 体が震える。だが弱みを見せまいと、さやかは腕を押さえながら隆一に笑みを見せた。汗だくで震えながらの笑みは、強がってる風にしか見えない。


「ここでそんな事叫んで、愛する奥さんに逃げられても知らないわよ」


 隆一が一瞬動きを止める。だがすぐに、さやかには見覚えのある歪んだ笑みを浮べた。


「いいんだよ……目が見えねぇって言うから金を自由に取れたが、もういいや。全財産かっぱらって、おさらばしてやるさ」


「最っ低」


 隆一が男二人を連れて迫ってくる。二人共体がでかく、捕まれば逃げられはしないだろう。


 必死に周囲を見渡し、逃げる為の経路を探る。でも周囲は人だらけ。それも、ギャラリーとしてそこに居るような奴らばかり。そんな人達を信用出来ない。隆一に金でも渡されれば、すぐに自分の敵になるとさやかは首を横に振った。


「そこの人、少し訊きたいのだが」


 不意に知らない男の声がその場で聞こえた。男の一人の肩を、黒人が叩いていた。


「不思議なケータイ――メールを持っている少年を知らないか?」


「あん? 知るかよ! 邪魔だおっさん!」


 男が殴りかかる。だがその拳が振られた場所に、誰もいなかった。


「君は知らないか?」


 いつの間にかもう一人の男の肩を叩き、黒人が首を傾げていた。もう一人も殴りかかるが、再びその場から黒人が消える。


「んだってんだヨ。日本の青年は野蛮だ……な!」


 隆一が振り返ると、男二人が倒れて黒人だけが立っていた。白目を向いて倒れている二人を跨いで、黒人が隆一を指差す。


「傭兵を相手に喧嘩はいけないヨ。もう一度だけ訊くが、いいか?」


「なっ、何だってんだよ……」


 目の前の光景に驚く隆一。だが一番驚いていたのはさやかだった。周囲の誰でもなく、まさか通りすがりの黒人が助けてくれるなんて思いもしなかった。


「不思議なメールを神から送られた人を知らないか? 捜してるんだ」


「あ、あいつだよ」


 隆一がさやかを指差すと、黒人はゆっくりさやかに近付いて顔を近付けてきた。そして何度か低く唸ると、ケータイを開いてジッと見つめ、パチンと指を鳴らした。


「この大嘘付き者め。まぁ、見つかったから、いいとしよう」


「……な、何の事?」


 さやかの警戒心に気付き、黒人がまた低く唸る。そして後ろで男二人が立ち上がるのに気付くと、後ろを指差した。


「青年らとトラブル……どっちが悪い?」


 いきなりそんな事を訊かれてもと混乱するさやかだったが、同時に十年間も閉じ込めた隆一達への怒りが込み上げてきた。


「あの人、私を十年も閉じ込めたの! 暗い倉庫に十年も! 私はそこから今日、逃げ出してきた! それを彼らは、また戻そうとしてるの! だから!」


 遂感情的になって叫んでしまった。思わず零れそうになった涙を拭う。すると、黒人が鼻を啜った。


「そうか、そうか……辛かったんだな。可愛そうに。じゃあ、決まったナ」


 黒人が振り返り、拳を握ってバキボキと鳴らす。


「俺が味方する。だからこいつら追い払ったら、ちょっと話を聞いてくれるか?」


 また突然。だが、願ったり叶ったりの申し込みに、さやかは深く頷いた。黒人がニヤリと口角を上げる。


「OK! では青年達、俺が相手してやるって事で、OK?」


 黒人が挑発すると、隆一ら三人が襲い掛かってきた。鈍い音が響く。


「隆一……さん」


 木陰でそう呟く人影が一つ。閉じた目から涙が零れ、頬を伝って落ちた。


「相手が悪かったナ」


 黒人の足元で隆一達が倒れる。黒人はケータイを開き、ジッと見つめた。


「やっぱり嘘つきだナ。彼女以外にも、ショジシャがいる訳――」


「いるよ」


 黒人がさやかの方を見る。さやかは少し戸惑ってから、続けた。


「カナっていう……女の人」


 黒人は再びケータイを見つめる。メール画面に並べられた文字を一つ一つ目で確認した。


『西方面の公園出口に所持者あり』


 こいつはどこか嘘をついている。だがメールを持ってるのがいるってんなら……嘘ついてんのは方向か場所、ダナ!


 黒人がさやかに歩み寄ると、周囲で見ていた人達がやっと来て隆一達を抑えた。振り返ってそれを見た黒人の足が一瞬止まる。


「自分の安全が分かってから確保……親切心はカケラほどダナ」


 黒人がさやかに手を伸ばす。さやかは汚れたワンピースで手を拭いて、黒人と握手した。


「君のメールのNoナンバーは?」


「……C。CのCurstカーストメール」


 黒人は頷くと、ニヤリとして自分を指差した。


「俺のはSだゼ。SのShamシャムメールだ」


「シャム?」


「“嘘つき”って意味ダ。俺のメールには、必ず嘘が混じってる」


 なんてメールだとさやかは思わされた。メールに必ず嘘が書いてあるなんて、情報も何もあったものじゃない。


「とりあえず、もう一人のメール所持者のところに案内してくれるカ? 話はそれから――」


「私のことですか?」


 白い杖をついてカナがゆっくり歩み寄って来た。さやかが駆け寄り、カナの手を握る。


「カナ……」


「さやかさんですね。よかった、無事ですか?」


 えぇと頷き、さやかは目を擦った。カナは安堵の息を漏らし、後ろに振り返る。隆一が自分を呼ぶ声が、微かに聞こえたのだ。


「隆一さん」


 周囲の人々に抑えられた隆一が顔を上げる。その時隆一は目を見開いた。カナの目から涙が流れていながら、口角は優しく上がっていたからである。


「ごめんなさい。貴方を正してあげられなかった……私といるのは、心地よかったでしょうね。残念だけど……もう一緒にはいられないわ」


「っ! カナぁ……」


「……じゃあね」


 隆一からカナが背を向ける。それが合図であったかのように、隆一は男達と共に連れて行かれた。


 杖を頼りに前に進み、黒人が止まるように言うとカナは足を止めた。カナの目が見えていない事に黒人も気付いたようだ。


「……あんたが?」


「えぇ。Voiceボイスメールを受け取っています」


 黒人が黙る。カナが自分の家に来るよう言うと、黒人は案内を頼んだ。


「さて……あんた達。早速訊くが、このメールが送られた俺達の目的が何だか、分かるか?」


 二人共首を横に振る。黒人は失礼と言って椅子に座った。


「俺達は、神を捜さなきゃいけねぇ。三年後――二一〇〇年までに神を見つけなければ、俺達は皆死ぬ」


 死というワードが二人に刺さる。余りにも現実からかけ離れていて、理解が追いつかなかった。そんな二人の心情を悟ったのか、黒人が宥める。


「俺だって、信じられなかったさ。だが、俺の故郷アメリカの大統領が必死に国民を宥めているのを見て、信じるしかないと思ったんダ」


 気持ちの篭っているのが分かり、二人共頷いた。黒人が続ける。


「だが、何も全員が参加しなきゃいけないって訳じゃナイ。まさか、三ヶ月捜してようやく見つかったのが、か弱いガールと盲目のレディとは思わなかったナァ」


 黒人が頭を掻き、俯く。そして溜め息を吐くと、立ち上がった。


「あんた達が参加していいようなゲームじゃねぇんだ。危険過ぎると、俺思う。だからあんたらのケータイの力を借りたいんだが、どうだろうか」


 黒人の提案に乗れば、ゲームの参加は確かにしなくて済む。もし見つからなくても、非難を浴びる事はない訳だ。非難する時間があればの話だが。


「話を変えますがね」


 不意にカナが口を開いた。しかも話題の変更に、黒人とさやかが驚く。


「私、ここから引っ越そうと思うんです。でも一人じゃ大変だし……お二人も一緒に来てくださいませんか?」


「何を言ってル? 話聞いてたのカ?」


「えぇ」


 即答するカナに何も言えなくなった。黒人の声がした方向を向き、カナが笑みを浮べる。


「神様を捜すのでしょう? それにはちゃんと、捜す為の状態を整えないといけないでしょう?」


「まぁ……そうだが」


「だったら、一緒にいましょう。さやかも、聞けば一人のようですし……一緒にいた方がいいかなって」


 カナが笑って言う。さやかは遂嬉しくなって、泣きそうになってしまった。カナが続ける。


「外人さんも、その方がいいのでしょう?」


「ま、まぁな」


「では、決定ですね。すぐ引越しの場所と手続きをしないと」


 マイペースなカナに脱力する黒人に、さやかが訊く。


「そう言えば……名前は?」


「おっと、まだ名乗ってなかったっけカ? マイク・セイラムだ。よろしくナ」


「……よろしく」


 数日後、三人が東京に行く先を決めた事で、メール所持者が東京に大分集結し始めている事については、本人達も知らなかった。






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