神に魅入られた少女

こむらさき

序章

『君はなかなか厄介な器を持っているねぇ』


『花が咲く前に私のものとしてしまおう』


 蝉が鳴く季節。

一人の少女は、不思議な声の夢を見て目覚めた朝、左手の感覚を失っていた。


 黒い髪を持ちながら血のような紅い目の、鬼の子と呼ばれていたその少女が、村の守り神の蛇神様のお嫁になると決まった日でもあった。


 ここは、桔村きつむら

 ヒトゲツノ國の中でも辺鄙へんぴなところにある田んぼと畑くらいしかない村だ。

 二百年ほど前までは穏やかな土も豊かな村だったとのことだが、大雨の夜唐突に表れた大きな暴れ川が出来てからは水害に悩まされることが多く、村の人々は長い間飢餓きがに苦しんだという。

そんな村の人々が苦しんでいるときに、救いの手を差し伸べたのは、黒い蛇の神だった。

蛇神は、生贄を求める代わりに村を水害で苦しめていたという邪悪な狐から、村を救ってやろうと村の巫女に持ち掛けた。

周囲を幾つもの暴れ川に囲まれた辺鄙なところにある貧しい村が、都に助けを求められるだけの余裕があるわけもなく、村長は生贄を蛇神様に差し出し、村に立派な社を作り蛇神様を崇めることを約束した。

 そして、感謝の印にと、村に一番近い川を蛇神様の「ゴウリュウイビガワノミコト」という名の一部を借りて「イビガワ」と呼んで毎年村で採れた果実や野菜などの一部を川に流すのだった。

 その後、蛇神様は村に生贄を求めることなく桔村を水害から守ってくださっている。

そのため、村は豊かではないが、水害に怯えることなく平和に質素な生活を約束された。

言い伝えではそう締めくくられている。


鬼の子と呼ばれるコハクという名の少女は、神様のお告げを受けたという村の占い師の老婆の一言により、五つの時に社に務めることを余儀なくされた。

片腕が使えない、農作業も出来ない娘を喰わせるだけの余裕は貧しい農民である少女の親にはなかったのか、両親は特に反対することもなく娘を村に差し出すことを選んだ。

彼女、コハクが鬼の子と呼ばれるのは、紅い目のこともあるが生まれが特殊だったことにある。

コハクが産声をあげたとき大きな地震が起きたのだ。

それだけではなく、コハクが生まれてからひと月ほど経って旅の陰陽師が彼女にまじないを行うまでの間、彼女が癇癪を起こすたびに村が地鳴りに悩まされたということがあったのだという。

そんな不気味な少女とその家族は、蛇神様のお告げがあるまでは、村人から怯えられ、疎まれていた。

露骨な村八分こそなかったが、こそこそとした噂話は耳に入ってくる。

鬼の子を孕んだのは妊娠中にシシ肉を食べらからだとか、嫁の生まれが悪いなど心無いことをいうものもいた。

コハクを、蛇神さまの嫁にさせることに、村の大人たちだけでなく両親までも諸手を挙げて賛成したのは、蛇神様の怒りが怖かったのもあるだろうし、異端な存在から自分たちを護るための体のいいお告げだったからということもあるのだろう。

神が村の人間を嫁にするということは、この百年の内で一度だけあったらしい。

以前、百年ほど前に蛇神様の嫁となった女性は、蛇神様と婚姻する前も優秀な水の刃を操る巫女だったが、嫁いだ後は更に力をつけ巫女として、村に様々な恵みをもたらしたと言い伝えに残っている。

蛇神様の嫁に選ばれるということは素晴らしいことだ。感謝すべきだ。

村の人々は口々にそう言い、彼女を神社の社へと押し込めようとした。

そんな村ぐるみの説得に幼い少女が抗えるはずはなく、コハクは飼っていた猫のイチョウを連れていくことを条件に、泣く泣く社でひとりぼっちで過ごすことを余儀なくされた。


社で生活することになったコハクは、表面上は丁重に扱われた。

許可なく社の敷地内から出ることは許されないが、中庭でイチョウと遊ぶことはできたし、食事時だけに来る巫女の一人に食事の世話をしてもらえる。

神様の寵愛を受けている娘ということもあって、粗末に扱うわけにはいかず暮らし振りだけは、家にいるときよりも贅沢なものだった。

「貴族の姫のような扱いをしているのに不満を持たれちゃ叶わん」と大人たちの話を耳にしたコハクはむずがゆい気持ちになった。


 貴族の姫のように扱われなくていいからお母さんと暮らしたい。

 左手が動いてほしい。

  毎年怖い夢にうなされたくない。

 コハクは毎日そんな気持ちを抱え一人で暮らしている。

 コハクは、毎年夏のある日には決まって高熱でうなされるのだった。

 占い師の老婆が言うには、神様がコハクの様子を見に来ているという。

 幼い体では、神の放つ魔力だとか霊感に耐えられないため、それに耐えられる体になるであろう十六歳になるまで彼女のことを見守っているのだろう…と。


コハクは、神様が怖くて仕方なかった。

神様と話したことはないが、高熱を出しているときは毎回悪夢を見る。

大蛇に心臓を食い破られ、呑み込まれて真暗な闇の中で自分が消えていくという感じの夢だった。

それは、見守られているというよりも、品定めだとか監視といったほうが近いもののように彼女は感じていた。


蛇神様と結婚をしたら、自分は自分ではなくなるんだろう。

コハクは、いつからかそんなことを思うようになった。

物言わぬ飼い猫であるイチョウ以外にはそんなこと言えるはずもなく、毎年十六になる日の夏を怯えながら日々を過ごしていた。

それは、さながら死刑を待つ罪人のようでもあった。

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