第10話

 ラハトは、邸内が騒がしい事に気付いて門から中を覗き込んだ。


 儀式や宴の騒ぎではない。漏れ聞こえる声の調子で分かる。明らかに、恐慌を伴った騒がしさだ。駆け回る人々の足音が聞こえる。耳を澄ませ、声も聞きとる。どうやら、誰かが倒れたらしい。


 そこへ、慌てた様子の二人の男が通りかかった。腰に剣を吊るし、簡易的な革の胴鎧を身に着けたこの屋敷の衛兵だ。


 ラハトは門外から声をかける。


「屋敷の中が騒がしいようですが、何事でしょうか?」


 ラハトの呼びかけに、二人は立ち止まると鋭い視線を向けた。一人の衛兵が威嚇するように言う。


「何だお前は」

「中にいるルェキア商人ヤガンが私の主人でして、主人の身に何事か起きているのかと心配で……」

「ああ、お前か、ヤガンさんの使用人の一人だったな」


 ラハシの答えに、もう一人の衛兵が頷いた。


「ええ、そうです。ヤガンと、連れの使用人の娘たちは大丈夫でしょうか」

「ああ、大丈夫だ。急病で倒れた御方がいてな。お前の主人と連れは関係ないから安心しろ」

「ありがとうございます。このまま外で待たせてもらいます」

「そうしてくれ」


 衛兵は面倒くさそうに手を振って見せると、すぐに屋敷の中に消えた。


 ラハトは内部の音を捉えようと、屋敷の周囲をゆっくりと歩く。微かに聞こえてくるのは、人々の悲痛な叫びだ。その声から推測するに、一人の人間が倒れたようだ。衛兵の言っていたことはある程度正しいことを裏付けている。


 ちょうど門の真裏にあたる所まで歩いたラハトは、足を止めた。気配を感じて、塀の角に身を隠すと、顔を微かに覗かせた。


 勝手口の木戸が軋みながら開く。


 勝手口から、男が姿を現した。使用人の風体をしたそのウルス人は、振り返って邸内を窺った後、歩き出す。その歩みは早く、表情は硬く強張っていた。


 ラハトは一瞬の迷いの後、その後をついていくことを決めた。


 ここは翠玉の門をこえた円城の中だ。市街地に比べてその道は広く、人通りはそこまで多くない。そのために、下手に後をつければ相手に気付かれてしまうだろう。慎重に動く意必要があった。


 ラハトは、男が道の角に姿を消したのを見届けた後、早足で歩き出した。この界隈の道は、前日に歩き回って全て頭に入れてある。大きな敷地の屋敷が多いため、市街地ほど複雑な道ではない。ラハトは、男が向かう方向に先回りできる道へと急いだ。


 ラハトは歩く。しかし、その速度は常人が走っているよりも速い。歩く動作のまま、駆けるように進むその姿は、ある種異様なものだった。


 待ち構えていた道に、使用人は通りかかる。そして、ラハトの前を通り過ぎると緩やかな坂を上っていく。その道は、空き家と原野が多い区域へ向かう道だった。


 慎重に距離を取り、時に後を追い、時に先回りしながら、ラハトは歩く。使用人は、やがて、人通りの少ない道を辿り、大きな屋敷の裏手に踏み込んだ。ラハトは離れたところからそれを見届ける。この屋敷は住人のいない空き家のようだ。塀はあちこちが崩れており、庭の草木が伸びて姿を覗かせていた。その隣に建つ屋敷も同じように無人であるらしい。


 ラハトは、路地を覗き込む。


 使用人は、一人の男と話していた。職人風の風体だ。その背後には、二人の男たちが立っているのが見える。容姿や身形から、ウルス人の衛兵や商人のようだったが、その佇まいから見掛けどおりの者ではないことが感じられた。


「約束どおり、ご主人様の皿に毒は盛った。これで、妻や子供たちは返してくれるんだろうな!」


 使用人は、怯えと怒りが入り混じった上擦った声で訴えている。対する職人姿の男は、笑みを浮かべながら頷いた。


「ああ、よくやってくれたな。約束は守るぜ。嫁さんと子供に会わせてやるよ。報酬も用意してある」


 男は、使用人と肩を組む。次の瞬間、使用人の鳩尾へ、短刀を突き上げた。


 使用人は、大きく呻き声を上げると、地面にへたり込んだ。


「苦しまずに死ねるんだ。これがお前への贈り物だよ。嫁さんたちの魂もその辺を彷徨ってるだろ。すぐに会えるさ」


 男は嘲笑すると震える使用人の身体を軽く蹴って押しやる。使用人は、そのまま地面に転がると、やがて動きを止めた。


「覗きは良くないな」


 背後からの声に、ラハトは咄嗟に前方に飛び退いた。自然と、路地にいる三人の男たちの前に身を晒す事となった。


「何だ、こいつは?」


 使用人の骸の傍らに立つ、職人姿の男がラハトを睨み付けた。


 ラハトは、塀を背にして己の背後を取った者に視線を向ける。痩せた小男だった。


「こいつは、屋敷の周りをうろついてたんだ。そして、そいつを追ってここまでついて来た」


 小男は、ラハトを指差した後、地面に横たわる骸を指差す。自分もつけられていたのか。ラハトは内心で舌打ちする。使用人を追うことに集中しすぎた。この男に全く気付いておらずに、背後に立たれることを許してしまったのだ。


「何だと。何者だ?」


 奥に立つ三人のうち、長身の男が進み出た。衛兵の姿をしており、腰に長剣を吊るしている。


「おい、お前に勝ち目はねえ。楽に殺してやるから大人しく捕まれ」


 職人姿の男が、ラハトを睨み付けながら詰め寄った。


「馬鹿野郎、迂闊に近付くな!」


 小男が叫ぶ。


 ラハトの手が跳ね上がった。その手には、いつの間にか広刃の短剣が握られている。その切っ先は、目前に立つ男の顎から真上へと潜り込んだ。


 男は、悲鳴すら上げずに痙攣しながら倒れた。


「くそ、これだから数合わせで仲間を揃えるべきじゃなかったんだ」


 小男が呟く。


 無言で、二人の男たちが動いた。衛兵姿の男は長剣を、商人姿の男は曲刀を手にしている。小男も、曲刀を抜き放った。


 得物の長さの差は、技量の差を簡単に埋めてしまう。短剣を手にした者と素手の者とが対峙した時、その刃が例え人差し指程度の長さであろうとも、当人にとってはとてつもなく遠く感じてしまう。そして、それは剣と短剣が相対した時にはさらに遠くなるだろう。余程の技量の差がなければ、間合いの長さは縮めることができない。


 短剣しか持たぬラハトは、現状では圧倒的に不利だった。 


 ラハトは左半身を前にして短剣を構えると、左右から迫る敵に視線を走らせる。囲まれてしまえば、あっという間に切り刻まれてしまうだろう。


 駆け出すと、跳躍して眼前の壁を蹴ると同時に身を捻る。ラハトは、小男の頭上を跳び越えて、背後に立った。


「うぉっ、身軽な奴だ」 


 小男は驚きの声を上げながら振り返る。そして、半身の構えのラハトへ素早く斬りかかった。その斬撃は鋭い。突き、斬り、払う。立て続けに繰り出される曲刀を後ろに飛び退いてかわしながら、その太刀筋を見極める。迂闊に踏み込めば命がないだろう。この男の刀術にはそれだけのはやさがあった。


 そして、待ち構えた斬撃。振り下ろされた曲刀を左へ踏み出しながらかわす。同時に、旋風のように身体を回転させた。


 背面へ身を翻したラハトは、そのまま右足で蹴りを繰り出す。その後ろ回し蹴りは、踏み込んでいた小男の後頭部に当たった。まともに踵が突き刺さったために、男の意識は一瞬にして刈り取られる。


 前方に激しく倒れ伏す小男の姿を確認したラハトは、蹴り出した足を踏み下ろすと、その右足を軸にして、続けざまに左足を繰り出した。爪先が強烈な勢いで小男の側頭部に突き込まれる。小男の頭が激しく跳ねた。爪先から、砕けた頭蓋と折れた首の骨の感触が伝わってくる。


 ラハトは動きを止めることなく、路地の二人に半身を向けた。


 衛兵姿と商人姿の男たちは、鋭い視線を向けながら、ラハトにゆっくりと近付く。


「こいつ、強いぞ。妙な技を使いやがって」


 ラハトに顔を向けたまま、商人姿の男が言う。


「こいつの使う体術、見覚えがある……」


 衛兵姿の男は、眉根を寄せるとラハトを睨み付ける。


「こいつ、スアーハ教派の人間だぞ!!」

「何、あの暗殺教派か!?どうして教会の汚れ役がここにいるんだ?」


 衛兵姿の男の叫びに、商人姿の男が驚きの声をあげた。


「知るか。一番事情を知る奴は、あそこでくたばってる」


 衛兵姿の男は舌打ちすると剣を構える。


 ラハトも舌打ちしたい気分だった。スアーハ教派は秘密の存在であり、その拠点も世間ではただの僻地の修道院として認知されているだろう。よりによってスアーハ教派の存在を知っている人間がここにいるとは思いもしなかった。ラハトにとって、それは打ち消さなければならない過去だったからだ。


「ああ、くそっ、厄介な仕事を引き受けちまった」


 商人姿の男は顔を歪めると、嘆く。そして、片手を大きく開いて見せると、ラハトに言った。


「なあ、あんた、俺たちはただ仕事としてここにいるだけなんだ。教会と敵対する気なんてない。このまま、何もなかったことにして、お互いここを去らないか?咎人とがびとが必要なら、そこに二人転がってる」


 男は顎で二人の遺体を示す。


「ああ、そうだな……」


 ラハトは頷くと、構えを解いて短剣を握る手を下ろした。


「物分りのいい奴で助かったぜ」


 商人姿の男が笑う。


 次の瞬間、ラハトの手が動いた。下手から投ぜられた短剣が、衛兵姿の男へ飛んだ。


 衛兵姿の男は咄嗟に身を屈ませてそれをかわす。


 その時には、ラハトは跳躍するようにして男へと迫っていた。


 剣を握る腕を掴むと、足を払い、体重をかけながら倒れこむ。不自然に腕を捻った男は、苦痛の声とともに長剣を手放した。


 商人姿の男が、罵りながらラハトに切りかかる。ラハトは素早く長剣を拾い上げると、その斬撃を受け止めた。


 膝立ちのラハトに、男は上から体重をかける。刃と刃が噛み合いながら唸りをあげた。押し切ろうとする力に耐えながら、ラハトは小さく息を吸い込む。自らの意識を、異なる領域へと導いていく。


 ラハトの黒い瞳がまるで水面のように揺らめいた。その色が、金色に変わる。


 憎悪に歪む男の目を見つめた。己の中の魔力が蠢き、放たれていくのを感じる。不可視の力が、男の身体を絡めとった。


 男は苦しそうに喘いだ。憎悪ではなく、恐怖の感情によって顔は歪み、顔色が青くなっていく。


「その目は、虎の瞳……。呪眼持ちだと……」


 男は唸る。まるで見えない手が喉を締め上げるように、その息は絶え絶えだ。事実、男の呼吸は途絶えそうになっていた。呪眼の力が、男の肉体に影響を及ぼしているのだ。


 衛兵姿の男がラハトの腰にしがみつくと、地面に引きずり倒した。雄叫びをあげながら、ラハトの剣を奪おうと腕を掴む。一方の商人姿の男は、よろめきながら後ずさった。呪眼の束縛から逃れることができたために、大きく何度も息を吸い込んでいる。力無く、その場にうずくまった。


 ラハトは衛兵姿の男の身体を組み伏せながら、金色の瞳で見つめる。


「俺は呪眼除けの御守りを持っている。お前の呪眼なんぞ効くか!」


 男は嘲笑した。呪眼は古くより凶眼とも呼ばれ、恐れられている。一部の魔術の使い手か、稀に生まれてくる才能の持ち主しか操ることができないが、誰が使えるのか分からない恐怖から、民衆の間では魔物の害と並んで警戒されていた。そのため、呪眼除けの御守りは、市場でも広く出回っている呪具だった。


 笑みを浮かべていた男の顔色が変わる。笑みが消え、苦悶に顔が歪む。


「御守りが……、どうして……」


 男が苦しげ呻く。呼吸が浅くなっている。


「残念だが、俺のほうが力が強かったようだな。それを作った腕の悪い呪い師を怨め」


 ラハトは静かに告げると、空いている右手を腰の後ろに回した。戻したその手には、投じたのとは別の、針のような短剣が握られている。 


 白刃を見て、男は必死に身をよじる。しかし、呪眼によって弱っているために、その抵抗にも力が感じられない。


 ラハトは表情を変えることなく男を押さえ込みながら、刃を肋骨の間に滑り込ませた。切っ先が心臓に達したために、男は断続的な呼吸と痙攣ともに苦痛の呻きを上げた。


 やがて動きを止めた男を見届けながら、ラハトは立ち上がる。


 商人風の男は、中腰になりながら曲刀の切っ先をラハトに向けた。


「この化け物め……」


 男は震える声で言うが、ラハトを直視はしない。


「それは買いかぶり過ぎだな。俺はそこまで自惚れてはいない」


 ラハトはそう言って肩をすくめた。そして、涼やかな笑みを浮かべて男を見やる。


「これでようやく話ができるな」

「何だと?」


 男は、困惑の表情とともにラハトを見る。ラハトは笑顔で頷いてみせた。


「大勢で囲んで殺す気だっただろう?あの状況では対等に話なんて出来なかった。だが、今は一対一だ。これで、お前は俺の話を聞く」

「あ、ああ……」


 男は圧倒されたように頷いた。ラハトは微笑みながら言葉を続ける。


「お前も言っただろう。これは仕事なんだ。お前の雇い主を教えてくれ。そうすれば、お前を見逃す。悪くない取引だと思うが」


 ラハトは、そう言って手にした短剣を後ろに放り投げた。そして、両手を広げてみせる。


「どうだ?俺は丸腰だぞ?」


 穏やかな笑みを浮かべるラハトに、男は大きく息を吐いて頷く。


「確かに、悪くない……」

「取引に応じるか?」

「ああ」


 男は曲刀の切っ先を下ろした。


「よし。賢明な判断だ」 

「だが、あんたの望む事を教えられるかどうか……。俺は、相棒と一緒にあの男に雇われただけなんだ」 


 男はそう言って地に倒れ付す小男の骸を指差した。


「屋敷の使用人の家族をさらって脅す。その為にこいつらと組んでいただけだ。勿論、お偉いさん同士のはかりごとなんだろうと察しはついたが、こいつの上にどんな奴がいるのか、教えられなかったし、俺たちも聞く気はなかった」


 ラハトは口元に微笑を浮かべたまま、無言で男を見つめる。その金色の瞳に怯えた様子で、男は慌てて言い募った。


「本当だ。俺たちはこいつより上の奴を知らないんだよ!」


 金色に輝く虎の瞳は、男の幽体を捉えている。幽体は、人の肉体に結びついたもう一つの身体と言ってよい。特別な“目”を持った者にしかえないその不可視の身体は、人間の感情や肉体の影響を受けて変化を見せる。修行を重ねた僧侶や魔術師でなければ、幽体に現れる己の影響を隠すことはできない。


 そしてこの男の幽体を観察する限り、嘘を言っているようにはえなかった。


 手練てだれとみて真っ先に始末したことが仇になってしまったようだ。残した奴を間違えた。ラハトは己の過ちを呪いながら、視線を落とした。


「分かった。信じよう」


 男が安堵した様子で溜息をつく。


「そうだ、忘れていた」


 ラハトは顔を上げると、そう言いながら両手を打ち合わせた。破裂音にも似た大きな音に、男は反射的にその手を注視しする。 

 

 男の顔に視線を向けたまま、ラハトは左足で蹴りを繰り出した。


 突き刺すような蹴りは、曲刀を握った男の右手を直撃する。まるで刃物のような鋭さを伴ったラハトの爪先は、男の指を数本砕いた。指の骨を砕かれて刀を握って入れるはずもなく、地に取り落とす。


 その強烈な衝撃と苦痛に、男は思わず前のめりになった。


「がっ……、だ、騙しっ……」


 男は非難の声を最後まで言うことはできなかった。


 蹴り込んだ足を踏み下ろすと同時に跳び込むように踏み込んだラハトの腕が、男の首に巻きつく。男の首を脇に挟みこむと、背を反らしながら一気に締め上げた。瞬間的に、凄まじい力が男の頚椎を襲う。鈍い音がして、男の首があり得ない角度に曲がった。


 しばらくその態勢を保った後、ラハトが男の体を解放する。力を失った男の体は、地面に崩れ落ちた。


 ラハトは、静まり返った惨劇の場を無表情に一瞥した。

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