第7話

 朝日を浴びながら、ラワナは巨岩の上に立っていた。カラデアの南の守りである砦の上から沙海を眺めている。


 砂丘を越えて、彼らがやって来るのだ。  


 白い砂原を歩む人々は、彩り豊かだった。黒い肌に、赤や黄、青や白といった原色の衣装を身にまとっている。色鮮やかな集団は、白い大地にとてもえていた。


 彼らは、ユトワの国より派遣された援軍だった。


 警戒のために砂の音を聞いていた黒石の守り手が、カラデアに向かって、南より軍勢とおぼしき集団が接近していると知らせてきたのだ。そして、そのすぐ後に、カラデアに先触れの使者がやって来た。それは、ユトワの援軍の到着を知らせる使者だった。そしてラワナは、彼らを迎える準備を整えると、カラデアの南の砦に向かった。


 風に乗って、“歌声”が聞こえてくる。歌声の主は、ユトワの軍勢だった。


 響く歌声は、単純でゆったりとした拍子を狂うこともなく何度も繰り返している。楽器は何も使っていない。ただ、声だけが響いている。そして、それは低い声から高い声までが完全に一つの声となって調和していた。どれだけの人数が唱和しているのだろうか。その声は奥深く、力強く、まるで地を震わせているかのようだ。


「見事な戦歌いくさうただ……」


 ワアドが感嘆の声を上げた。ラワナは頷く。


「ええ。とても美しい」


 歌声と共にユトワの軍は歩く。その進軍は躍動感にあふれて見える。近づくにつれて、歌声は徐々に大きくなっていく。


戦歌いくさうたの良し悪しがすなわち兵の強さとは言えないが、戦歌が見事な兵たちは、強兵であることが多い。ユトワの兵はよく訓練されているのだろうな」

「だと良いのだけれど……」


 ラワナはおとがいに手を当てると呟いた。ラワナにとって、この戦争はかつて経験したことがない規模のものだ。自分たちを黒い人々ザダワーヒと呼ぶウル・ヤークスの軍勢に、自分たちの軍勢がどれだけ通用するのか、不安しか感じることができない。 

 

「随分と心配性なのだな」


 ワアドは笑みを浮かべてラワナを見やる。


「いくら心配しても心配しすぎるということはないわ。私はウル・ヤークスが恐ろしい。たとえどんなに味方が頼もしくても、安心することができないの」


 それは、ラワナの本音だった。勿論、他の人々の前で口にすることはない。しかし、師であるワアドの前ならば、率直に言うことができる。ワアドも、そんなラワナを攻めることはない。笑みを浮かべると言う。


「そうか。だが、強がるよりも、己の中の恐れを知っているほうが良い。恐れを知らなければ、躊躇う事もなく危地に踏み込み、気付けば後戻りできなくなるだろうからな」 


 ワアドはラワナの肩に手を置くと言葉を続ける。   

 

「しかし、恐れに捕らわれることも危険だ。恐れに支配されてしまえば、乾きにさいなまれる者のように、目は曇り、耳は遠くなり、生死をかけた場では判断を誤るだろう。それだけは避けなければならん」

「それは、分かっているわ」


 ラワナは小さく頷いた。小娘のように、泣き、怯えて隠れてしまうことなどできない。ラワナには、守るべきものがある。彼女は太守の娘であり、軍人だ。そして何より、妻であり、母なのだから。


 ユトワの軍勢は、整然とした足並みで砂丘を越え、カラデアの南の砦に近づく。


 そのほとんどは槍と盾を携えた歩兵だったが、荷を満載した駱駝や甲竜も多く連れている。そして、続いて砂丘を越えて姿を現した軍勢の後半は、砂塵巻き上げる馬に跨った部隊だった。


 赤と青を組み合わせた鮮やかな衣装を着て、盾と槍、弓を携えた兵たちの跨っている馬は、白と黒の縞模様という目立つ毛色をしている。白い沙海の上では、まるで黒い縞模様だけが浮かんでいるように見えた。騎兵たちは砂だらけの大地で馬を駆りながらも、その隊列を乱すことなく軽やかに部隊を進めていた。足場の脆い沙海でここまで巧みに馬を操ることができる人々は限られている。ラワナは思わずその名を口にした。


「ンランギの騎兵!」


 ラワナの言葉には喜びの色が含まれている。


 沙海より南の草原に数多く生息している縞馬シマウマ。本来、縞馬は人に慣れ難く、気性が荒い。そのため、家畜となることはない。しかし、ンランギ王国の人々が飼う縞馬は違う。北の地の馬のように、人に慣れ、従順に従うのだ。


 飼われている縞馬はすぐに見分けがつく。野生の縞馬のたてがみは短く硬く、尾の毛も少ないが、飼われている縞馬のてたがみは長くのびており、尾の毛も豊かだ。そして、何より体格が違う。野生の縞馬よりも一回り大柄だった。ンランギの民はこのたてがみを色鮮やかな飾り紐で結び、身体の白い部分に顔料で紋様を描いて飾るのだ。


 南の地でこの種の縞馬は広く飼われているが、その原産は、ンランギの民が飼っている縞馬だった。彼らはこの縞馬をたくみにあやつり、家畜を追い、狩猟をおこなう。ンランギの騎兵部隊の恐ろしさはよく知られていた。


 ンランギの騎兵は、騎馬以外にも数頭の縞馬を共に連れている。貴重な家畜である馬をここまで多く保有していることも、ンランギならではだ。共に連れた替え馬を次々と乗り換えることによって、彼らの軍勢は驚くべき行軍速度を誇るという。 


「どうやら我らの使者は無事に辿り着いたようだな」


 ワアドも満足気に頷く。カラデアが援軍を求めるにあたって、頼りにした勢力の一つがンランギ王国だった。彼らは草原の民であり、さすがに沙海では騎兵の力は半減するだろう。しかし、それを差し引いても、ンランギの武威は何物にも代え難い。彼らが援軍の要請に応じてくれたという事実は、何よりも心強かった。


「ユトワとンランギが駆けつけてくれたとなれば、心強い。ラワナの恐れも静まれば良いがな」

「確かに、少しは安心したわ」


 ワアドの言葉に笑って答えると、ラワナは地上へ続く階段へ向かう。彼らを出迎えなければならない。ワアドもその後に続いた。


 ラワナが砂の上に立ってしばらくして、ユトワとンランギの軍は砦の前に到着した。戦歌の唱和が小さくなり、止まる。


 軍勢の先頭にいる集団から四人が進み出る。そして、少し遅れて、軍勢の後方から二人がこちらに歩いてきた。


二人の男がラワナたちに駆け寄った。ラワナを見て笑顔を浮かべた男たちは、カラデア人だ。


「ラワナ様!ただ今戻りました!」


 二人はラワナに一礼する。彼らは使者としてそれぞれユトワとンランギに向かった者たちだった。


「お前たち、ご苦労でした。よくぞ使者の任を果たしてくれましたね」


 ラワナは微笑むと頷いて見せた。そして、こちらに歩み寄る人々に向き直る。


「私は太守の娘ラワナ。こちらはカラデアの将帥ワアド」


 ラワナは深々と一礼する。ワアドもそれに倣った。


「皆様、我らの救いを求めし声に応じていただき、感謝いたします」

「カラデアが危急の今、ユトワは古き盟約を履行する義務がある。カラデアはユトワの古き友。我らが駆けつけるのは当然のことだ」


 答えたのは、白い長衣を着た男だった。頭巾の影になって顔は見えない。その傍らには同じような長衣を着た者と、仮面をかぶった者が立っている。


「私はユトワの司祭カング」


 その男は名乗りながら、頭巾を下ろして顔を露にする。


 初老であろう男の顔には深い皺が刻まれている。その表情は穏やかだ。何より目を引くのは、黒い肌とは対照的な白い髪だった。正確に言えば白ではない。金属的な艶を帯びており、陽光を浴びて青、銀、赤など、様々な色が微かに浮かび上がった。長く伸ばした髪を編んで、後ろで一つに束ねている。


 “真珠の髪”だ。


 ラワナはその美しさに思わず息を呑む。真珠は、海より遠いカラデアでは貴重な物だ。この貴重な真珠のごとき独特の髪の色は、ユトワの国において支配者層であるユトワ人の証だった。ラワナは、一度だけ、使節と巡礼を兼ねたユトワ人に会ったことがある。その時も、この宝石のような髪の色を、驚きながら見たものだ。


 ユトワの司祭カングは、右手で傍らの長衣の者を示す。


「この者は司祭ツニィ」   

「ツニィです。どうぞよろしく」


 その声は若い女のものだった。頭巾をおろした女は、まだ少女といってもよい。微笑を浮かべて一礼するユトワ人の娘は、“真珠の髪”を頭頂で果物のように丸く結っている。 


「そしてこの者は、ラ・ギ族の“星蛇のうたい手”ワンヌヴ」


 カングが仮面の者を示した。


 視線を向けたラワナは、ワンヌヴの異様な装束に戸惑いを覚えた。


 ユトワ人の簡素な長衣とは対照的な複雑で色鮮やかな意匠の長衣を着ており、幾つもの首飾りをつけている。顔につけた仮面は木彫りのもので、人の顔を模しているが、それに加えて鳥や蛇、獅子、その他、様々な複雑な彫刻が全体に施されていた。そして、肩に灰色の羽毛をもった鳥を留まらせている。ラワナは、丸い頭に短い嘴から、鸚鵡オウムの一種なのだろうと推測した。


「ワンヌヴだ。よろしくな」


 その声は、肩に留まっている鳥から発せられた。ラワナは驚き、思わずワアドと顔を見合わせる。 


「そう驚かないでくれ。この洋鵡ヨウムは私の使い魔だ。体の一部と思ってもらって良いぞ」   

 

 首を傾げる動作と共に、鳥は言葉を続ける。仮面に刻まれている両目のうちの左目が、仮面の表面を滑るように自由に動き回った。彫刻であるはずなのに、その目から、はっきりと視線を感じる。


 子供の頃、父に聞かされた物語から、ユトワはおとぎの国だと思っていた。大人になり、わが子に寝物語を聞かせるようになってからそんな幻想は捨ててしまっていたが、どうやら子供の頃の幻想は真実だったようだ。 


「世間というのは本当に広いものだな。黒石だけが世の不思議の全てだと思っていたが、自分が物を知らないのだと思い知らされた」


 ワアドが苦笑する。ラワナも同感だった。カラデアがまるで世界の中心のように感じていたが、それは全くの勘違いだったのだ。そして、その勘違いの悪しき影響が、この戦争だろう。ウル・ヤークスについて知っておけば、沙海の向こうにいる恐ろしい存在に備えておけたのではないのだろうか。その思いが強い。


「ワンヌヴ、ラワナ殿をからかうのはよせ。戸惑っているではないか」


 カングが穏やかな口調でたしなめる。ワンヌヴは片手を大きく振った。首飾りがこすれあって音を立てる。


「からかってなどいないぞ。己を知ってもらうならば、いつも通りの自分を見せることが大事だ。お高くとまっていては打ち解けることなどできない」


 洋鵡が激しい口調で反論する。


「確かに、いつも通りのワンヌヴですね」


 ツニィが笑う。その笑い声は年相応の無邪気なものだった。こんな若い娘がユトワの国では司祭になれるのか。ラワナは、疑問に思いながらツニィを見やる。よほど貴い血筋の娘なのか、あるいは若くして才能を持っているのだろうか。援軍に派遣されるような人材なのだから、おそらく後者なのだろう。ラワナにしてみれば、お飾りになるだけの小娘を連れてこられても困るだけなので、そう願うしかない。


「ユトワの方々、そろそろ我も名乗ってよいかな?」


 赤と青を組み合わせた衣装を着た長身の男が進み出る。  


「ああ、すまないな。無駄話がすぎた」


 カングが頷くと、男はラワナの前に立ち一礼した。鋭い眼光でラワナを見るその男は、長身だった。細身ではあるが、衣装からのぞく腕は鍛え上げられていることがわかる。腰には簡素な印象を与える幅広の剣を吊るしていた。


「お初にお目にかかる。我が名はガヌァナ。ンランギ王国、千騎のつかさだ。王の命のよってカラデアに助太刀いたす」 

「迅速なる援軍に感謝いたします」


 ラワナの言葉に、ガヌァナは頷いた。


「カラデアはンランギにとって良き隣人であり大いなる聖地。その危機を見過ごすことはできぬ。王の決断は早かったゆえに、まずは我らの騎兵部隊が駆けつけた次第。すぐに次なる援軍も駆けつけよう」

「それは心強いお話です」


 カラデアとンランギは、交易によって深く結びついている。また、ンランギの人々も黒石を崇拝しており、少なくない数の巡礼が訪れていた。


「幸いにも、道中、ユトワの方々と合流できた。ンランギとユトワの両国が助力すれば、北の蛮族などすぐに討ち払うことができようぞ」


 ガヌァナは自信に満ちた表情で言う。その言葉を信じることができればどれだけ楽だろうか。ラワナはこの男のように自信を持つことなどできない。しかし、それを口にしては、遠き処より駆けつけてくれた人々に対して失礼だろう。


「まさしく、カラデアは素晴らしき味方を得ました」


 ラワナは微笑むと頷いてみせる。


「カラデアでは、太守ヌアンクが皆様をお待ちしております。まずは、カラデアにてゆっくりと道中の疲れを癒してください」


 そう言って砦の門を振り返った。

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