第14話 揺られて快速、さらば鈍行。♯1
がたんごとん。揺れる。静かな車内に、レールの上を滑る音ががたんごとん。
カーブが来れば、躰は斜めに傾いでしまう。
がたんごとん。
快速列車は、私たちを乗せて、皆を乗せて前へと進む。
「ねえ。ホントに良かったの? 今日ホントはバイトあったんでしょ?」
私が訊ねると、八両編成の最後尾車両の窓際から、じーっと景色を眺める
「あ、ええ大丈夫ですよ。繁忙期も目前なので、お休みをいただくなら今しかないですし、ちょうどいいと言ってはなんですが、
「もう。さん付けじゃなくてもいいのに」
「すみません、つい」
実結ちゃんははにかんだ。こういう所を見る度、
書店で働く彼女はいかにもな文学少女。眼鏡でも掛けようものなら書店に舞い降りた天使に見えただろう。書店でのエプロン姿もいいが、制服姿も見てみたい……麗奈が切望しそうだ。
「本屋さんってどうなの。やっぱり大変?」
座席はほとんど埋まり、普通の声も目立ってしまう日曜日の電車内で、立ったまま扉脇の手すりを掴む私たちは、潜めた声で会話を進めていた。
「そうですね。意外と力仕事なんですよ。本は一冊一冊が重いですからね。陳列だけでもかなり体力を使います」
「あー体力仕事なのかあ。接客ってだけで大変だろうにね。特に本屋さんなんてひっきりなしにお客さんが来そうなイメージ」
「確かに、暇な時間帯は閉店間際くらいですかね。わたしはそんな時間まで働いていることは少ないので、終始忙しいイメージです。連休ともなると特にお客様も多いのですが、大変なのはクリスマスシーズンですね」
「プレゼントとか?」
「ええ。人気なんですよ、本のプレゼント。文庫本ならいいのですが、上製本、所謂ハードカバーの包装が苦手で、時間が掛かってしまうのでレジがなかなか空かず、お待たせしてしまうことが多くて心苦しい限りです」
「凄いなぁ、私には言えないや、その言葉。向いてないの接客。笑顔を保つだけでも疲れちゃってね」
「そんな、わたしなんて。それを言ったら真奈加さんの方が凄いですよ」
ぴくっ。私の耳が動いた。
ちょっとばかしイタズラッ子にの顔を覗かせて、それこそ貼りつけたような笑顔を実結ちゃんに向ける。
「んん~? なあに? 実結、
実結ちゃんの顔が僅かに引きつった。声のトーンを少し上げたのが効いたのだろうか。
「お、お顔が、怖いですよ……ま、真奈加、ちゃん」
「んー。よしっ。これからも『ちゃん』、もしくは呼び捨てね」
「はい、気を付けます」
「敬語はそのままなのね」
「すみません」申し訳なさそうな言い方だった。
私と実結ちゃんは同い年だ。「さん」付けで呼ばれるのはあまり好きじゃない。出来れば敬語も止めて欲しい。せっかく友達になったんだし、よそよそしさはそろそろなくしたいのだ。
「真奈加、ちゃんは、凄いと思います」
「私が? どうして?」
「わたしは、誰かと仲良くなることが得意ではないのです。と言いますか、自分から話しかけられないんです。お友達はいますが、いずれの方も、わたしに話しかけてくださったことがきっかけで始まった関係で、わたしから積極的に声を掛けたことなどなくて。今日も、お誘いくださったのは真奈加ちゃんからですし」
「人見知りってこと? そんな感じしないなあ。ほら、私たちを助けてくれた時の実結ちゃん、
「あの時は……自分自身でも驚くくらい、必死だったので……」
あ、まただ――私はそう思った。
この話をすると、実結ちゃんは俯いて、顔を紅潮させる。探偵気取りでしゃしゃり出て行ったことを恥じているのです、と、毎回そうやって言う。卑下することなんてないのに、と思うけれど、本人にとってはいわゆる黒歴史、恥ずかしくて仕方ないのだろう。
――あれは、春のことだった。
私の恋人、
あの日のことは忘れたくても忘れられない。
恋人のピンチ、延いては私自身にとってのピンチが降りかかった日でもあるし、何より実結ちゃんとの出会いの日でもある。加えて言うなら、朝早く引っ越してきた麗奈を駅まで車で迎えに行って、ぐっすり眠る麗奈を家に迎えた瞬間に軽自動車が故障した日でもある。ボンネットから昇る灰色の煙が今も脳裏から離れない。
そんなことがいくつか重なれば、それはもう深く記憶に刻み込まれるもので。半年も経てば、何もかも良い思い出。笑い話にもなる。
悩んでいそうな実結ちゃんに、同い年でありながら社会人として日々を生きる私が、アドバイスをあげよう。これでも、人生経験はそれなりにあるのだ。
「いいんじゃないかなあ、人見知りでも。私だって、誰かれ構わず声掛けるわけじゃないもん。あの子と友達になりたい! って思った時じゃないと勇気だって出ないし、出そうとも思わないし。それは実結ちゃんの周りにいる子も皆そうだと思う。実結ちゃんに魅力があったから皆が話しかけた……それでいいんじゃないかな、って」
「そ、そうでしょうか」
「そうだよ。それに、万引き犯がどうのこうのの時も、実結ちゃんがあの時頑張ってくれなかったら、私たちがこうして一緒に電車に乗ってお喋りすることもなかったんだし。全部良い方向に回ってるんだよ。結果オーライ。そんなもんだよ、世の中なんてさ」
どうも考え過ぎる嫌いがあるらしい実結ちゃんは、無用な責任までも背負っているように感じられた。
社会に出れば、嫌でも色んなものが背中に乗っかって来る。学生の頃くらい、何も考えなくてもいいんだよ、と思うのは、私が楽観的過ぎるのだろうか。
私の価値観に当てはめれば、実結ちゃんの考え方は、やや窮屈だった。
「まあ、色々忘れてさ、今日は楽しもうよ。せっかくの買い物だし。デパートなんてそうそう行けるもんじゃないから、私楽しみなんだ」
出会って半年。友人関係と呼べるようになって、おそらく五ヶ月。
秋の風が少しずつ肌を撫でるようになった、十月。
実結ちゃんの頬は、桜色からもみじへと。
「そうですね。はいっ。わたしも凄く楽しみです」
実結ちゃんの満面の笑みには、誰の心でさえも射抜くだけの魅力で溢れているらしい。
勝てそうもないな。そう思うのは何も、私だけでは、ないと思う。
○
出発から五分。一つ目の停車駅に着いた。
私たちは、進行方向左側のドア近くに立っていた。開いたのは、反対側だ。
風景を気にしていた筈の実結ちゃんは、今度は開いたドアを見ていた。
残暑も感じさせつつなこの頃。それでも今日は程良い秋風。ふわりと広がる微風は、車内に柔らかな空気を届けてくれる。
「素敵な親子ですね」実結ちゃんが私の耳元で囁いた。
「どうしたの」
「今乗り込んだ男の子と、それを見送るお母さんが、なんだか気になったんです」
私もそちらをちらっと見る。
男の子は、十歳くらいだろうか。膨らんだ青色のリュックサックを背負い、手には真っ白な紙袋を持っている。
お母さんの方は、本当に見送りだけらしい。電車には乗らず、男の子の服の襟を直している。男の子は少し恥ずかしそうだ。
「あの男の子、一人で一体どこに行くんだろう」
都会の塾にでも行くのかも知れないが、それだけならばお母さんもわざわざホームまで見送りには来ないだろう。男の子の雰囲気からも、遊びに行くようには見えない。まるで、初めてのおつかいでも頼まれたかのようで、どこかに怪しげなカメラを持った大人がいないか、私は少しだけ首を回した。
お母さんはホームから、最後尾車両に乗った息子にずっと手を振り続けていた。ドアが閉まっても、笑顔で送り出すと言うよりは、心配そうだった。
列車が動き出す。映画のように車両に並走しながら、次第にスピードを上げる列車を追い掛ける、ことはさすがにしてはいなかったが、始めの数歩は隣を歩いていたと思う。
どんどん離れて小さくなっていく母親の姿に、見ている私も何故か悲しくなった。
男の子も後ろを見つめ続けている。手を振って、見えなくなるまで、男の子は視線を逸らさなかった。
実結ちゃんの一言から始まって、私の方が男の子のことを気にしていた。
男の子は立ったまま、ドアにもたれかかった。弱々しく感じられる。心細いのか、肩を丸めて、しおらしい。
「塾ではないですね。遊びに行くようでもないです」
実結ちゃんも同じことを考えていたようだった。
ふと、こんなことを思った。
「じゃあ、あの子はどこに行くんだろうね」
私は、麗奈を助けてくれたあの日の聡明な実結ちゃんを、急に見たくなった。
体が揺れる。電車好きの人を除けば、娯楽に乏しい電車内で、私はささやかな謎を提示する。
実結ちゃんは考える素振りもなく、ぼそっと言う。
「きっと、おじいちゃんおばあちゃんの家に行くんです」
答えはあっという間だった。
「男の子の手にある紙袋。あれは、おそらく手土産でしょう。中を見るに、お友達に渡すようなものではなく、おじいちゃんおばあちゃんが喜びそうな和菓子の詰め合わせです。しかし紙袋は気取った物ではなく、極普通の物、というよりは、百円ショップで売られているような物ですから、別段気を使うような相手ではないと言うことです。友達ならば見栄も張るでしょうし、粗末な物は出せないという思いが先に立ちます。それがないということは」
「友達でも親戚でもなく、おじいちゃんの家ってことかあ」
「はい。それに、お母さんとの別れをあれだけ惜しんでいたことと、重たそうなリュックサックを背負っている点から、一人でお泊りをする可能性があります。明日は体育の日で、祝日ですからね」
「なんでリュックサックから?」
「大きなリュックサックには着替えが入っているのかな、と思いまして」
心の中で「なるほど」の言葉が止まらない。
「もちろん、断言はしませんけどね」
実結は小さく笑い、肩をすくめ、温もりと優しさでいっぱいの視線を男の子へと送る。
「不安そうな表情の中にも、真っ直ぐ未来を見つめているような輝きが感じられます。素敵ですよね。大人への階段を必死に昇ろうとしているかのような強さが滲み出ていて、なんの関係もないわたしですが、あの子が成長していく過程を見ているようで、なんだか幸せになります」
上品な笑みが、残暑厳しい秋に清涼をもたらす。
こういう何気ない光景で、実結ちゃんの表情と声と空気はいつも以上に優美なものになる。
幸せ、というワードが特別なようなのだが、それこそが実結ちゃんが麗奈と私を救ってくれた実結ちゃんの行動原理の、さらに根幹をなしているらしい。
「いいよね。そういう風にすぐに思えるのって。なかなか出来ることじゃないよ」
麗奈は移り気で、好意をあちこちにふらつかせるような子で、その度私は嫉妬を繰り返してきたような女だ。でもなんだか、実結ちゃんにはそんな感情が湧いてこない。
それは私の心どうこうではなく、彼女の心の美しさが、何かを否定したくなるわたしの感情を押さえつけようとしているのだ。
じっくり考えさえすれば、どこかでその答えには辿りつけるのかもしれない――そんな男の子の冒険に、実結ちゃんはすぐにその瞳で強さと優しさを見つけ出す。そんな私は妬み嫉みの一切を覚えようとはしない。
それを諦めだと思ってしまったらそれまで。
だけど、やっぱりどこかで、それに似た感情を否定出来ないというのも、真実なのだ。
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