4-3

 暴風雨の中、ずぶ濡れになりながら家に帰ってくると、落ち着く暇も無くすぐにまた家を出る事になった。接近している台風の影響で、この一帯に避難勧告が出されたからだ。

 勧告を伝えに来た消防隊員の話によると、市内を縦断する大きな川が決壊する危険性があるとのことらしい。希と話をしたかったのだけれど、希は一足先に避難しており、家には私の帰りを待っていたお母さんしか居なかった。

 雨に濡れていたから本当はシャワーを浴びたかったのだけれど、さすがにそんな暇は無かった。

 早く希を追いかけなくてはいけなかったし、どうせまた濡れるのだからと思って諦めた。仕方なく制服から私服にだけ着替えておく。

 家を出るときにお母さんに尋ねると、避難場所はなんと私の通う高校だった。私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 今帰って来たばかりだよ……。先に言ってくれれば良かったのに。

 そう愚痴っていたらお母さんに急かされて、私は渋々、また雨の中へと繰り出した。


 外はまるでこの世の終わりみたいに真っ暗だった。うるさいくらいの暴風雨がかすかに灯った街灯の光を揺らしていて、それを見ていると、何かよくない事が起こるような、そんな予感がした。

 私とお母さんは、連れ立って学校まで歩く。とてもじゃないけど、傘なんて差してはいられないのでレインコートを着ていった。

 雨に全身を叩かれながら歩いていると、ふいに子供の頃に戻ったような気がして、ちょっと懐かしい気持ちになった。思えばレインコートを着たのなんて、小学校低学年以来だった。


 道中は、私もお母さんもほとんど口を開かないままだった。雨に耐えるのに必死で話をするような状況では無かったし、もし今何かを言ったとしても雨の音にかき消されて何も聞こえないだけだっただろう。

 ザーザーと雨の音がうるさくてそれ以外何も聞こえない。だからなのか、逆に世界から何も音が無くなってしまったように感じた。

 私は早く希と話をしたくて、気ばかり急いてしまっていた。自然と歩みが速くなって、後ろをついてきていたお母さんに「もっとゆっくり歩いて」と叱られる。

 いくらレインコートを着ていても、顔はびしょ濡れになる。顔を伝って雨水が上着に染みて気持ち悪かった。

 そうして歩き続けて、やっと学校に着くころには私はすっかりヘトヘトになっていた。



 学校に着くと、玄関にいた消防隊員に体育館へ行くようにと指示された。

 土足で構わないとのことだったけれど、私は一応上履きに履き替えて、お母さんを体育館まで案内する。

 夜の学校にいるというのは、とても不思議な気分だ。しかも一緒に居るのがお母さんだなんてさらに非現実的過ぎる。


 体育館には、既に沢山の人が居た。

 私たちも適当なスペースを見つけて荷物を下ろした。

 もう既に百人近くの人が体育館に集まっているようだった。これだけの人数が避難してくるということは、この台風は思った以上に強大なのだろう。

 集まった人達は、それぞれ少人数で固まって、なにやら話をしている。その顔には一様に不安そうな色が浮かんでいる。多分鏡を見れば、私も同じような顔をしているのだろう。

 荷物を下ろして一息ついていると、お母さんは近所の人を見つけたらしく、そちらに話をしに行ってしまった。ついていくのも億劫だったし、私は一人で希を探すことにした。

 体育館の中を歩き回りながら希を探していると、一人の男子生徒と目が合った。その人は私に気付くと、こちらに近づいてきた。


「よっ。川澄もいたんだな」

 それは宮下だった。

 宮下は制服姿で、まだ濡れたままのレインコートを手に持っている。多分部活をしているうちに帰れなくなったとか、そんなところだろう。

 宮下の顔を見たらなんだか気が緩んでしまった。ようやく非日常から現実に帰ってきたみたいに感じて、それが妙に悔しかったので、宮下をからかっておいた。

「ああ、宮下か。誰かと思った」

「ひっでーなー」

 宮下は大げさに肩を落としたけれど、すぐに気を取り直す。

「なんか外、大変なことになってるみたいだな」

「そうだね。私、避難勧告とか初めて経験したよ」

「俺も初めて。まあ俺は帰れなくなっただけだけどさ」

「……そうだと思った」

 そう言うと宮下は小さく笑った。

「川澄、一人で避難してきたの?」

「お母さんと一緒に来たよ。あっちに話しに行っちゃったけど。妹は先に避難してきてるみたいだから今探してるんだ」

「あっ、じゃあさ、教室に行ってみようぜ。俺みたいに帰れなくなったやつとかが結構残ってるんだ。妹さんもそっちに行ってるかもしれないしさ」

「えー、私はいいよ。お母さんもいるし、急に居なくなったら心配かけちゃうじゃない」

「なら俺が挨拶してってやるよ。ほらほら、行った行ったー」

 宮下は私の背中を押して、お母さんのいる方へと歩かせた。私は仕方なくお母さんに、教室に行ってくることを伝える。

 お母さんはすぐに了承した。

 実際のところ、あまり乗り気では無かった。宮下の言うとおり教室に希がいるとは思えなかったし。けれど、他にする事も無いし、まぁ良いか。

 体育館から渡り廊下を通って校舎の方へ。私と宮下は一緒に教室まで歩く。渡り廊下を通るときに外を見ると、学校へ来たときよりも雨はさらに勢いを増して、溢れた雨水によって道路は既に川のようになっていた。

「すげーなぁ……」

 宮下が呆然と呟いた。

「そうだね……」

 思わずテンションが下がった。けれどそんな私とは対照的に宮下はなぜか楽しそうだ。

「でもさ、なんか夜の学校にいるとかテンション上がるよな!」

「そう?」

「なんか林間学校とかみたいじゃない?」

「こんな豪雨の林間学校はイヤだよ」

「……だな」

 宮下が諦めたように苦笑した。私は口では否定したけれど、実際はちょっと感心していた。そういう考え方もあるのかと思ったら、なんだか気が楽になったような気がした。

「はぁ……あんたはホントに能天気ねー」

「で、でもさ、なんかこんだけ凄い雨だと、いつもの風景がちょっと違って見えるよな。異世界感っていうかさ」

「……それは確かにね」

 宮下も私と同じことを考えていたんだ。私とは違って、良い方に考えているのは宮下らしいけど。

 宮下の一生懸命な明るさに、ついつい口元がほころぶ。それをみて宮下も微笑む。

「良かった。元気出たみたいだな。川澄、元気無いみたいだったからさ。」

「まぁ、そりゃねえ」

「体育館はなんか、空気重いだろ? しょうがない事だけどさ。教室はみんな割と騒いだりしてるからさー、ちょっとは元気になるんじゃないかと思って」

「そっか。ありがと……」


 確かに宮下と話していて、いつの間にか少し気分が晴れていた。こんなときだからこそ、形だけでも明るくしていることが大事なのかもしれない。

 希とはまだ話せてないし、外は凄い雨でずぶ濡れになるし、死亡フラグは相変わらず訳わかんないし。それでも宮下を見ていたら、もうちょっと頑張ってみようって思えた。

 宮下に元気付けられるなんて癪だけど、こういうとき、宮下みたいな明るさはやっぱりちょっと救われる。

 いざというときに頼りになるのはさすがに男の子だなぁ、なんて。そんなこと、思っていても絶対に言ってあげないけどさ。


 そんな風に話しているうちに教室が近づいて来た。教室からはガヤガヤと話し声が聞こえている。

 外の雨の音にも負けていない話し声。

 よっぽど大勢生徒がいるのか。それにしてもこの騒ぎようはちょっと普通では無いような気がする。

 教室の扉の前に立つと騒ぎ声はますます大きくなった。それに混じって、時折叫び声や怒声のようなものも聞こえてくる。

 尋常ではないその様子に、私達は目を見合わせた。


 教室に入ると、そこでは男子生徒と教師が激しく口論していた。

 教室中央でにらみ合う二人。

 教師は男の子の手を掴んで引き止めているみたいだった。それに対して男の子は、ぶんぶんと腕を振り回して、その手を振りほどこうとしている。

 その周りを大勢の生徒が取り囲んで、心配そうに眺めていた。私たち二人も、野次馬の輪の外側に加わる。


「何があったの?」

 周りで様子を伺っていたクラスメイトに尋ねる。

「あっ、川澄さん。なんかそっちの男の子が、急に家に帰るって言い出して、危ないからって止めてる……みたいな?」

 クラスメイトはそう説明してくれた。

 促されて男の子の方を見るとその頭の上に、あの見慣れた死亡フラグが立っているのが目に入って、血の気が引いて行くのを感じた。


「離せっ! 俺は家に帰るんだ!」と男の子は大声で叫んでいる。

 ……間違いない。

 その言葉が死亡フラグだ。

「み、宮下っ……!」

 宮下の方にすがるような目線を向ける。情けないことに、私は足がすくんで動けなくなってしまっていたからだ。

「ああ、分かってる」

 宮下はそう言って頷くと、人ごみを掻き分けて男の子に近づいていった。

「おい」

 そのまま男の子の肩を掴んで、強引に自分の方を向かせる。

「外に出ようだなんて何考えてるんだよ!」

「なんだとっ!?」

「出られるわけないだろ、危険だって分かるだろ!」

 宮下はいきなり喧嘩腰で男の子を問い詰める。周りの人たちは心配そうな目でその様子を見守っている。

 そんな言い方して大丈夫なのかと思ったのだけれど、やっぱり逆効果だったみたいで、余計意固地にさせてしまったようだった。

 さっきまでの先生との口論が、相手が宮下に変わっただけ。むしろさっきよりも悪化してしまっている。

 二人はいつの間にかつかみ合いをしている。これじゃ、説得じゃなくてただ喧嘩してるだけじゃない……。


「こんなボロい校舎にいるくらいなら、家にいたほうがよっぽど安全だよ!」

 男の子が興奮した声でそう叫んだ瞬間、彼の頭の上のフラグが激しく光った。そしてどんどん大きくなっていく。

 このままじゃダメだ。やっぱり、私が止めなくちゃ!

 私はまだ震えている足を無理やり動かして、ゆっくりと二人に近づく。

「ね、ねぇ、きみ」

「川澄っ!?」

 宮下を押しのけて、血走った目をしている男の子に話しかける。

「外は危ないよ。ここにいたほうが良いよ」

「うるせーよっ!!」

 男の子は振り返りながら怒鳴り声を上げた。

 叩きつけるような暴力的な言動に、思わず体が強張る。やっぱり怖い。自分が小柄な事もあって、男の人は苦手だ。

「…………チッ!」

 男の子は私が怯えているのに気付くと、ばつが悪そうな顔で舌打ちをした。ちょっとだけ冷静になったみたいで良かった。

 私と男の子の間に割って入ろうとした宮下を、手で遮って大丈夫と伝える。


「わ、私はさっき学校に来たところなんだけど、傘もさせないくらいの大雨だったの」

「そんなこと分かってるよ」

 私は挫けそうになっている心に鞭を打って、気合いを入れる。私が止めなきゃ誰が止めるんだ!

「うっ……、えっと、道路は川みたいになってたし、とてもじゃないけど、帰れるような状況じゃないと思う」

「はあ……」

「ほ、ほらほらっ、命より大事なことなんてないでしょ?」

「まあ……それはそうだけど……」

 泣きそうになりながらも一歩も引かない私に、男の子は見るからに狼狽している。宮下も私の勢いに呆気にとられているみたい。

 もうひと押し。頑張れ、私!


「だから、帰るなんて言わないで! お願い!!」

「…………ああっ、もう、分かったよ! ここに居ればいいんだろ!」

 男の子が諦めてそう言った。と同時に、あのガラスが割れるような音がして、男の子の旗は折れて消えていった。

 やった! と私は心の中でガッツポーズ。

 周りにいた野次馬も、一様に安堵の表情を浮かべた。

 男の子はばつが悪そうにしながら、教室の隅へと行ってしまった。それに合わせて周りの人ごみが一斉に左右に割れたのにはちょっと笑ってしまう。

 男の子は空いていた椅子を乱暴に引き寄せて、そこに腰を下ろす。それを見てようやく私は、もう大丈夫だとほっと胸を撫でおろした。


 ざわめいていた教室の空気も、ようやく落ち着きを取り戻したみたいだった。

 我に帰った宮下が私に話しかけてくる。

「川澄、大丈夫か?」

「宮下……、あんたねぇ、あんな言い方したらダメに決まってんじゃん!」

「ゴメンゴメンっ、なんか思わず」

 こいつ……っ!!

 さっき一瞬でも頼りになるなんて思ったことを、心の中でやっぱり撤回。

「でも、ビックリしたよ、川澄が止めに入るなんて。」

「あんたが頼りにならないからでしょ!」

 まぁ確かに、と言って宮下は頭をかいた。

「でも、あんだけ怖がってたくせに、全然引かないし。川澄って、勇気あるなあ」

「……だって、あのまま行かせるわけに行かないじゃない」

「そう思っても普通は先生に任せようってなるって。あそこに割って入るなんて、やっぱり怖いしさ。川澄、優しいんだな。なんか、見直したよ」

「そんなこと……」

 急に褒められて、戸惑ってしまう。だって、フラグが見えているのは私だけなんだからしょうがないじゃない。

 それに、原因を取り除けばフラグが折れることだって分かっている。そう。こんなにも簡単に、フラグは折れるんだ。


 ……そうだった。

 学校に来てから色々なことが起こって、すっかり忘れていたけれど、それで私は思い出した。早く希を探さないと。

「宮下、希は居ないみたいだし、私やっぱ体育館に戻るよ。来たばっかりだけど、ごめんね」

 私は宮下にそう言って教室を出ようとした。


 その時、さっきまで男の子と言い争っていた教師が教室中に聞こえるように、大きな声で言った。

「そうだ。外の様子が気になるなら先生が見て来てやる。危険な事は大人に任せて、お前達はここに居るんだ。いいな!」

 と同時にすっかり聞きなれたあのファンファーレ……。


 だから、どうしてそういう事を言うんですか……、やめてください先生!

 私は肩を落として、思いっきり大きな溜息をついた。

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