才能が……枯れた?

 私の創作の趣味は詩から始まりました。絵も描いていましたけど。

 それで、今でも詩は書き続けているんですけど、最近自分の昔の詩を読んで、こう言う詩はもう書けないなあと……才能のようなものが自分にあるとして、それが枯れたんじゃないかと思うようになりました。


 そもそも、詩って書けば技術が上がるのか、よく分からんのです。絵は見た目なので技術はすぐに分かります。小説も、文章なので詩に比べたらこれは上手いなとか分かるでしょう。語彙を増やし、使いこなすと描写も豊かになりますし。

 でも、詩って、よく分からないんです。書いていれば向上するとは思えない。どうすればうまくなるのかも分からない。一度身に付いたものもいつまでも使いこなせるか分からない。感性がそのまま出るのでその時その時が一発勝負な所があります。


 って言うか、そもそも詩の技術って向上出来るものなのかと……。こう言う事を書いてしまうのは多分本質を知らないからなんでしょうね。詩が趣味と言っても誰かに教わった訳でもありませんし。独学と言うか落書きみたいなものですし。


 今の私の詩のスタイルだって、書いていたら自然とこうなっただけのものです。詩のいいところは何をどう書いたっていいところで、つまり詩の書き方と言うものは本来存在しません。


 ――と、それは私がそう思っているだけなんですけどね。少なくとも私の中での詩の定義はそうです。学術的には何かしらの法則的なものはあるのかも知れません。


 今の自作のクオリティは、ただ文字数を埋めていっているだけのように感じてしまいます。昔はそうじゃなかった。不思議と言葉が浮かんで、いい感じに世界観を表現出来ていた気がするんです。感性が鈍ったのかな。


 20代には20代の詩、30代には30代の詩、40代には40代の詩と、年代に合わせて変わってしまうものなのかも知れません。後、強い思いを抱いている方がいい詩が書ける気がします。

 今の自分の詩も後から読み返すと感慨深く感じる時も来るのかも……。


 詩はこれからもずっと書き続けると思います。もう生活の一部なので。昔のような詩は書けなくても、今書ける今の詩を書き続けていこうと思います。

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