裸は恥ずかしい

 私、詩を書いているんですけどね。毎日二編の詩を書いているんですけれど。詩って趣味は公言するのに勇気がいるじゃないですか。かく言う私もリアルではこの趣味の事を秘密にしております。

 しかし詩=恥ずかしいって一体どう言う根拠でそうなってしまったんでしょうね。


 小学生の頃、国語の授業とかで詩を書く時、別にそれは恥ずかしい行為ではありませんでした。授業の一環ですものね、当然です。

 それから授業でも特に詩を扱わなくなり、国語の授業と言えば作者の心情を探る推理ゲームばかりになっていきます。


 次に詩がクローズアップされるのは思春期の頃でしょうか。その頃、詩はポエムと言う形になって主に妄想を言語化する手段として使われます。男子より女子が嗜むイメージですよね。その頃に生み出された多くのポエムはやがて黒歴史となり記憶の彼方に封印されていく運命を辿る事になります。


 多くの人が詩をイメージするのはこの頃に生み出されがちな妄想ポエムを指すのではないかと思うのです。詩=痛い趣味と言うイメージの根源はここなのです。多分。


 詩に妄想ポエムのイメージしかない人にはぜひ現代詩に触れて欲しいですね。普通に読んでもすぐには意味が掴めないそれらに詩の概念は崩されるのではないかと思います。

 普通の人に触れやすい現代詩っぽいものと言えばスピッツの歌の歌詞とかでしょうか。私はたまの歌の歌詞を推しますが、たまはもう解散しちゃったし、キワモノのイメージが大きいから……(遠い目)。


 私が書いている詩も妄想ポエムの類ではありません。何せ恋愛の詩はひとつもありませんから。作者ですら後で読んで恥ずかしい詩と言うのは大抵恋愛詩なのです。

 これは恋愛詩を馬鹿にしているのではなく、詩の本質に迫る話なんです。


 結論を言いますと、詩と言うのは裸の心をそのまま表現出来る文学なんです。誰だって裸は恥ずかしいものですよね。人に見られるなんてとんでもない事です。よっぽどの自信でもない限り。


 詩はとてつもなく自由度の高い文学です。何でもありです。作者がこれは詩だと言えば詩になる。拘る人は異論を訴えそうですけど、実際詩に条件はありません。

 思いついた事を書き連ねれば詩なんです。一言でも長文でも意味が繋がらなくても。


 詩はそう言う性質なので作者の心情が素直に文字で表現されてしまいます。勿論、しっかり考えて何重にも意味を持たせる事もまた可能です。どちらもアリだと言う事なんです。


 詩が恥ずかしいのは、詩を恥ずかしく思ってしまうのは、詩がその人の裸の心を表してしまっているから。特に恋愛詩はその傾向が強いから。想いが溢れて形にせざるを得なかった情熱がそこにほとばしっているから。つまり余りにもプライベートすぎるからじゃないかと私は思います。

 そう言う詩を堂々とネットで発表出来る人はよっぽど心を鍛えているんだろうなと思うんです。ネット以外でも発表出来る人はさらに鋼メンタルだなと。


 私はアレです。恋愛詩は書きませんので。後で読んで恥ずかしく思うような詩は書かない主義です。これ、ちょっと卑怯かも知れませんね。


 詩は書くの楽しいですよ。何書いたっていいんですから。私のように毎日書いているともう日記感覚です。日記詩と言っていいのかも。

 何か書いてみたいけど、小説はハードルが高いし……と尻込みしているような人がいたら私は詩をオススメしますね。


 考えてみれば日本は古来から俳句や短歌など短い言葉に何重もの意味を持たせた文学を好む国民性です。俳句や短歌も言わば詩の一種です。詩も身近だったんです。なのに俳句が趣味と言うと高尚な人物と思われ、詩が趣味と言うと痛い人だと思われる……悲しいですね。


 もっと詩の市民権が向上したらいいのになと、一介のネット詩人は思うのでありました。

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