第469話 晩餐会のお誘い②
またシュリがなにかやったらしく、褒美の為という形で、夕食の席に彼を招くことになった。
今度はどうやら獣王国でやらかしたらしい。
商都、帝都と続き、短い期間で己の価値を示したシュリを、父も母も非常に気に入っているようだ。
少し前、シュリが帝国で功績をあげたあと、彼を婚約者にどうかと言われ、最初はかなり抵抗があったが、その後の舞踏会で彼と踊ったことをきっかけに、その抵抗はかなり小さくなった。
別に趣味嗜好が変わったわけではない。
相変わらず、男性に興味はないし、心が動く対象はすべて女性だ。
中でも、専属護衛のアンジェリカに抱く思いは、きっと1番恋に近い。
いつか。
彼女を自分だけのものにしたい。
誰かは思い出せないけれど、誰よりも大切で愛しかった存在に似ている、彼女を。
そうしたら埋められる気がするのだ。
胸にぽっかりあいたままの、父の愛でも母の愛でも埋めることの出来なかった、大きな穴を。
でも、アンジェへの好意も己の嗜好も横に置いて、結婚だけはしなければならない。
なにしろ、自分はこの国の王女であり、1人娘の自分が子供を残さなければ、この国の血統は絶えてしまう。
愛してくれる父と母の為にも、それだけは避けたい。
フィフィアーナはずっとそう思ってきた。
シュリは、アンジェの心をあっさり奪った憎い相手だが、見た目は悪くない。
褒めたくはないが、性格も、まあ、いいと思う。
アンジェの事を除いて考えれば、彼はかなりの優良物件なのだ。
身分は高くないが、フィフィアーナはそんなこと気にならないし、父と母も気にしていない。
見た目は中性的……というか、黙っていれば美少女にしか見えない。
そういうところも、男性が苦手なフィフィアーナにとっては最適の相手、と思えなくもない。
だから、フィフィアーナは彼との婚約を前向きに考えた。
まだ彼に打診もしていないのに、少々気は早いかもしれないが。
でも考えれば考えるほど、自分の婚約者にはシュリしか考えられない気がする。
女性にムダにモテるから、あちこちに女性を作りそうだが、それはこちらだって同じだ。
なにせ、恋愛対象は女性なのだから(たぶん)
なら、最初からそう言う約束にしてしまえばいい。夫婦として子供に愛情を注いで共に育てる。
でもそれ以外は、愛人も浮気もお互いに許容しあうこと、そんな風に。
男と婚約し、結婚する。
複雑な気持ちだが、きちんと取り決めをすれば、それなりに幸せな家庭を築けるだろう。
そう見定めてから、フィフィアーナはシュリとの婚約を現実的に考えるようになった。
婚約・結婚に際しての約束の条項を具体的に考えて検討を重ねたり、今日だって浮かれるメイドを叱りたい気持ちをぐっとこらえて、シュリの為に着飾りもした。
父と母から、今日、シュリに婚約の話を切り出す、と伝えられていたからだ。
メイドが張り切りすぎたせいで時間に遅れ、フィフィアーナは急ぎ足で廊下を歩く。
遠くから聞こえてくるのは母の声。
なにやら、脈ありだと騒いでいる。
きっと、シュリにフィフィアーナの事でさぐりでも入れていたのだろう。
そう、脈ありなのね、と思いつつ、フィフィアーナはわずかに息を整えてから家族と客人が待つ部屋の、扉を開いた。
「廊下の向こうまでお母様の声が聞こえたけど、なんの騒ぎなの?」
第一声を放ち、部屋の中を見回す。
シュリは相変わらず、男装の美少女にしか見えない、でもこの場にふさわしい装いで、気負った様子もなくこちらを見ている。
国王と王妃を前に、これほど緊張感なくいられるのも才能ね、なんて思いつつ、フィフィアーナはシュリの前に進み出た。
「待たせて悪かったわね。なぜかメイド達の気合いが入りまくってて。ただの食事会だっていうのに」
「ううん。そんなに待ってないから平気。でも、髪の毛もドレスも、すごく可愛いね、フィフィ」
別にどうとも思っていない相手からでも、可愛いと言われればそれなりに嬉しい。
でもいま、それより気になったのは……。
「……フィフィ?」
そう、その気安げな呼び方だ。
普段父と母しかしない呼び方で、シュリはさらっと呼んできた。
とても親しげに、フィフィアーナがちょっとでもシュリに好意を抱いていたら誤解しかねないような、近しさで。
じ、と見つめると、
「あ、王妃様がそう呼ぶように、って。でも、人前ではちゃんと姫って呼ぶから大丈夫だよ」
ちょっと焦った顔をしたシュリから、すぐにそんな言葉が返ってくる。
そんな彼に、
「……そう」
と、言葉少なに頷いてフィフィアーナはシュリの顔を見つめた。
その顔がちょっと不安そうに見えるのは、いつもフィフィアーナがシュリに怒っている事が多いからだろう。
(別に私だっていつも怒ってる訳じゃないと思うけど)
シュリの態度を不満に思いつつも表には出さず、フィフィアーナは差し出された手の上に己の手を乗せる。
シュリのエスコートに任せるまま席につき、そしていつも通りの夕食が始まった。
お客様のシュリが1人加わり、いつもより多い人数ではあったが。
食事中の会話は、お客様がいる割には少なめだった。
でもそれも、メインが終わりデザートタイムに入るまで。
料理長渾身のデザートと、シュリのメイドが作ってくれたらしい甘味を味わいつつ、母親が楽しそうに話している様子をぼーっと眺める。
婚約の話は、いつ切り出すのかしら、なんて思いながら、少々上の空で。
でもそれが気になったのか。
「ねえ、フィフィ」
不意にシュリが声をかけてきた。
「……なに?」
「おもしろい話、聞かせてあげるよ」
小さく首を傾げたフィフィアーナに、にこにこしながらそんな風に。
『ねえ、○○○。おもしろい話、してあげる』
シュリの声に別の誰かの声が脳裏によみがえる。
聞いたことのある、でも誰の声か分からない、泣きたいほどに懐かしくて愛おしい声が。
「おもしろい、話?」
聞きたいような、聞きたくないような。
複雑な気持ちで小さく返す。
そんなフィフィアーナの声に、シュリは大きく頷いた。
「そう、おもしろい話!」
「あら、いいわねぇ。聞きたいわぁ」
「うむ。ぜひ聞かせてほしいな」
母親と父親が楽しそうな顔で話を促す。
周囲のそんな反応に気を良くしたように、シュリはにこにこしながら口を開いた。
「僕の友達が犬を飼っててね」
『私の友達がね、犬を飼っててさ』
声が、重なる。
懐かしくて、懐かしくて。
ずっと聞いていたい、と思う。でも同時に、これ以上聞きたくない、とも思う。
「……いぬを?」
ずきずきと、痛み出した頭に少しだけ顔をしかめ、言葉を絞り出す。
「まあまあ、犬を? どこの魔犬かしら?」
「魔犬を飼えるとは、その人物はかなりの実力者に違いない」
すっとんきょうな返答を返す両親に、すこしだけ笑みがこぼれる。
なにを言っているのか。
犬と言ったら……すくなくともこの話における犬と言ったら、白い犬に決まっている。
何気なくそんな事を考えて、フィフィアーナは愕然とする。
犬と言われれば魔犬を連想する。それがこの世界の常識だ。
白い犬。
一体どこからそんな考えがわいて出てきたのか、フィフィアーナ自身にも分からなかった。
「ま、魔犬かどうかはともかくとして、とにかく僕の友達は犬を飼ってるんだ。でね、その毛皮の色は何色だと思う?」
軌道修正を試みるシュリの声。
「う~む。魔犬と言えば濃い色の皮毛が特徴のはずだが」
「あなた、そうとは限りませんわよ?
「まあ確かになぁ。だが
のんきな両親の会話を聞きながら、フィフィアーナはどんどんひどくなる頭痛と戦いながら、
「……白、でしょ?」
小さな声で、答えを告げる。
シュリの返事をきくまでもなく、それが正解だと分かっている。
だって、犬と言ったら白なのだ。この、話の中では。
なぜ、そう思うのか。自分でもまるで分からなかったけれど。
でも、フィフィアーナの答えを聞いたシュリはぱっと顔を輝かせた。
その表情だけで分かる。
やはり白が正解なのだと。
「そう! 白!! フィフィ、正解だよ!! 友達の犬は白。きれいな真っ白い毛皮の、すっごく可愛い犬だったんだ」
『すごいね、○○○、正解だよ。何回か会ったことあるけど、真っ白な可愛い子でね。私にも良く懐いてて』
重なる声は、少しずつ鮮明に。その人の、体温すら感じさせるほどに。
それが錯覚だと分かっていても、泣きたいような気持ちにさせられる。
もう2度と、その人の温もりを感じることはないと、思っていたから。
「……そう。やっぱり白い、犬なのね」
堪えきれないほどの頭痛をどうにか耐えながら、フィフィアーナは虚ろな声で言葉を紡ぐ。
「そう、真っ白くて可愛いんだ」
「ほほう。シュリ君の友人の犬は白い犬なんだな」
「まあまあ、それはきっと可愛らしいでしょうね」
「「で?」」
シュリと両親の声が遠く聞こえた。
まるで現実のことでは、ないかのように。
「なにしろ白い犬だからね。そのしっぽも真っ白でね」
「ふむ。しっぽも白い、と」
「全身真っ白なのねぇ」
「「……で??」」
遠く遠く聞こえる、3人の声。
でもその内容は不思議と頭に入ってくる。
この話の終わりを、フィフィアーナは知っている気がした。
(白い犬の、しっぽも白いから、おもしろい)
「しっぽも白い。つまり、尾も白い。おも、しろい。ね? おもしろい話でしょ!!」
『まっ白な犬だから、しっぽも白い。つまり尾も白い。おも、しろい。ほら、おもしろい!! ね、面白かったでしょ? ○○○』
重なる声が問いかける。
正直言えば面白くも何ともない。
他のヤツが話してたら、くだらなすぎて最後までなんて聞いてあげない。
彼女が話すから、オチが分かってても黙って最後まで聞いたのだ。
でも、面白いと言ってあげたことは、1度も無かった。
いつだって呆れたようにあいつを眺めて、
「今時そんな話をそんなに真面目に話すのなんて、あんたくらいじゃない?」
そう、返した。
面白い、と言ってあげることもなく。
面白い、と言ってあげる事が出来なくなる日が、来ることなど欠片も考えずに。
面白いと。1度でもいいから面白いと言ってあげれば良かった。
そしたらきっと、彼女は喜んでくれたに違いないのに。
もう2度と、そうすることは出来ない。
「ごめんね、フィフィ」
気がついたらシュリがすぐ近くにいた。
そしてその手が、壊れやすいものに触れるように、そっと優しくフィフィアーナの頭を撫でた。
何で謝るんだろう。
そんなシュリを、フィフィアーナは不思議そうに見つめる。
「どうして、謝るの?」
「だって、フィフィが泣いてるから。僕の話がダメだったのかなぁ、って」
シュリの言葉に、フィフィアーナは驚いたように目を見開いた。
そして己の頬に触れる。
彼の言うとおり、そこは濡れていて。
思わずぽつりとこぼす。私、泣いてたのね、と。
「ごめん」
「だから、どうして謝るのよ」
シュリが再び謝罪の言葉を口にして。
フィフィアーナは彼に問いかける。
「いや、だって。僕の話がイヤで泣いちゃったのかなぁ、って」
しょぼん、としながら答えるシュリに、
「別に、嫌じゃなかったわ。でもなんだかなんだか、懐かしい気がしたの」
フィフィアーナも答えた。
今の、素直な気持ちを。
「シュリの話を聞いてたら、胸があたたかくなって、だけど、妙に切なくて。泣いていることにすら、気づいてなかったわ。だから別に、あなたの話が嫌で泣いた訳じゃないの。謝らなくていいわ」
淡々とそう答えながら、フィフィアーナは胸にわき起こってこぼれ落ちそうな疑問を、胸の中に押しとどめる。
どうしてあなたは彼女と同じ話を知っているの?
どうしてあなたは。
どうしてあなたは。
どうしてあなたは。
ぶつけてもどうにもならない質問だ。
第一、彼女が誰かすら、フィフィアーナには分からない。
分かるのは、自分がどうしようもなく彼女を好きだった事だけ。
シュリを見つめる。
魂の奥底に、ひっそり隠れた何かを探すように。
でもそんなのが見えるはずもなく。
同じように見つめ返してきたシュリのまっすぐな視線から逃れるように目を反らし、
「でも少し疲れたみたい。今日はもう失礼してもいいかしら?」
そう告げて、フィフィアーナは1人部屋を後にした。
急ぎ足で自分の部屋へ向かう。心と頭が混乱していた。
でも、今はとにかく……
部屋のドアを開けて部屋へ飛び込む。
「あ、姫様。おかえりなさい。シュリ君とのお食事会、どうでし……」
今はとにかく、アンジェの顔が見たかった。
のんきに出迎えてくれたアンジェの腕に飛び込み、抱きつく。
アンジェは驚いたようだが、でも黙って受け入れてくれた。
フィフィアーナを抱き返し、膝の上に抱え上げてイスに座る。
「姫様?」
「……少しだけ、こうしててもいい?」
問いかけるようなアンジェの声に、フィフィアーナの声が答える。
その頼りない声に、アンジェはフィフィアーナの頭を優しく撫でながら、
「いいですよ? 姫様のお気のすむまで」
姫様は軽いからいくらでもだっこしてられます、アンジェは答え、小さく笑った。
「……ありがとう」
消え入りそうな声でそう告げて、フィフィアーナはアンジェの肩に顔を埋め、ただ彼女の温かさだけを感じる。
顔も、名前も思い出せない、でも確かに誰よりも大切だった人と、アンジェはどこか似ている気がする。
だからフィフィアーナは彼女に依存した。
アンジェがいてくれれば、それだけで心の安定を得ることが出来たから。
でも今は。
彼女の体温に包まれてなお、心は乱れたまま。
脳裏に浮かぶのは美少女にしか見えない少年の姿だ。
(シュリ、あなたは何者?)
たまたま、あの話を知っていた、だけかもしれない。
複雑な話の内容じゃないし、誰でも話せそうな内容だ。
でも。
他の誰があの話を披露したとしても、きっとここまで心は乱れなかった。
こんなに混乱しているのは、シュリの口からあの話が出たから。
なぜなのかは、分からないけれど。
そう遠くないいつか。
あなたは何者なのか、と。
フィフィアーナはシュリに問うことになるのかもしれない。
そして思い出すことになるのかもしれない。
愛しくて愛しくて、思い出したいけれど、でも思い出すことを恐れている、誰よりも愛した人の事を。
その日が何よりも待ち遠しく、同時にひどく恐ろしかった。
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