第412話 一段落は天使の暗躍とともに
「兄上が目を覚まされた!? 本当か!!」
危篤状態となった兄の部屋を追い出され、不安な気持ちのまま自室で夜を明かしたレセルファンは、早朝、駆け込んできた侍従の肩を掴んで揺さぶった。
「は、はい!! すっかりお元気になられて食欲もわいてきたらしく、今はお食事をされています」
がくがく揺さぶられながら侍従が叫ぶように答えると、
「そうか!! 食事をとれるまで回復されたのか。一時はどうなるかと思ったが……。では兄上は食堂におられるのか?」
レセルファンは心からホッとしたように唇をほころばせると、ようやく侍従の肩から両手を離し、兄の居所を問う。
解放された侍従はホッとしたような表情を浮かべ、それから第三皇子の質問に答えた。
皇太子殿下は、寝室でお食事を召し上がっています、と。
それを聞いたレセルファンは、すぐに部屋を飛び出した。己の目で、最愛の兄の無事を確かめたくて。
そしてそれはすぐに叶うことになる。
兄の寝室の前で若干の押し問答はあったものの、その全てを振り切って寝室に入ったレセルファンは、自分の想像を遙かに越えた光景に目を見張った。
昨日は危篤状態だったのだから、元気になったとは言ってもまだ本調子ではないに違いない。
食事と言っても、柔らかく煮た消化にいいものを少し食べているくらいのことだろう。
病にやつれた痛々しい顔が目に浮かぶようだが、それでも生きていてくれるだけで十分だ。
そう、思っていた。
実際に己の目で、回復した兄を見るまでは。
「やあ、レセル。見舞いに来てくれたのかい? 食事中ですまないね。空腹感がすごくて、自分でもどうにもならないんだよ。朝食がまだなら、レセルも一緒に食べていくといいよ。料理はまだまだ届くから」
そこには、山と盛られた料理を精力的に片づけていく青年が、快活に笑っていた。
一瞬、この人は誰だろう、と首を傾げたくなるほどに血色のいい、精力に満ちあふれた顔をしたその人の顔立ちは、きちんと見ればどう見ても皇太子・ヘリオールのもので。
レセルファンは目をこすり、それからもう1度兄を見る。
そして、変わらぬ目の前の光景に、己の頬をぐにっと力一杯つまんだ。
「なにをしてるんだい? レセル。自分で自分の頬をつねったりして」
はじけるように兄が笑う。
その生命力にあふれた笑い声は、レセルが今までに聞いたことがないものだった。
幼い頃から体の弱かった兄は、いつももっと静かに密やかに笑う人だったから。
「その、もしかして夢なんじゃないか、と思いまして」
「そうか。それで? 頬をつねって目は覚めそうかい?」
「いえ。覚めそうにありません。ということは、これは現実なんですね?」
「そうだよ。夢みたいだけど夢じゃないんだ。でも、レセルが驚く気持ちも分かる。私自身、とても驚いているんだ。自分の体がこれほど軽やかに、私の意志に従ってくれるのは初めての経験だからね」
「一体なにがあったんですか? 俺の記憶が確かなら、昨日、兄上は死にかけていたはずです」
「そうだね。確かに私は死にかけていたし、私自身、とうとう死ぬときが来た、と思っていたよ。私の枕元に、天使が現れるまでは」
「は? 天使、ですか?」
「そう。天使だよ。本人は天使じゃないと否定していたけどね」
「は、はあ。天使ですか……。それで、その天使がなにをしてくれたというんです? 奇跡を起こしてくれたとでも?」
「奇跡、か。そう言っても間違いじゃないだろうね。その天使は瀕死の私に薬をくれたんだ。特製の薬だといって飲ませてくれた」
「特製の薬!? 天使だかなんだか知りませんが、そんな怪しげな薬を飲んだんですか!?」
「いっそ毒でも構わないと思ったんだよ。どうせそのままじゃ助かりようのない命だったから」
「そんなことは……」
「そんなことはあったさ。私の命はもう尽きる寸前だった。あのままだったら、きっと朝まで保たなかっただろうね。相手が悪魔でも天使でも、私には差し出された手にすがるしか道は残されていなかったんだ。でも、そのおかげでこうして私は生きている。思いの外元気になっていて、自分でもびっくりしているくらいだ」
「すぐには信じがたい話です。でも、こうして兄上がお元気になられた以上、きっとそれは本当にあったことなんでしょうね。その天使も実在しているに違いない。兄上が会ったその天使は、どんな人物だったんですか?」
「多くは知らないんだ。回復する前の私は物事を注意深く観察する余裕などなかったし、回復した後はすぐに眠らされてしまったから。ただ、その天使は幼い子供のように見えた。いとけなく、愛らしい子供のように。銀色の髪で、瞳は……淡い紫、に見えたかな。礼儀正しくて、優しく笑う子だった、ように思う」
「銀色の髪に、瞳は淡い紫……」
兄の言葉を聞いたレセルファンは首を傾げた。
己の中の記憶を探るように。
「覚えがあるのかい? レセル」
「アズランとファランが学友を連れて戻った話はしましたよね? その友人の少年の要望がそんな色彩なんです」
「いとこ殿達の学友、か。しかし、いとこ殿達の学友と言うには幼い容姿だったよ。私の天使は」
「その学友の見た目も完全に幼子と言っていいレベルですよ。優秀な少年で、かなり飛び級をしていると、ファランが言っていました」
「そう、なのかい? なら、私の天使はその子、なのかな。そう言えば、レセルやスリザ、いとこ殿達の友人だ、と言っていたしな。私を安心させるためだけの言葉だと思っていたんだが」
「わかりません。オリアルド兄上を恐れずに逆らう芯の強さを持った子ですから、普通とは違うとは思いますが」
「オリアルドを恐れない? それはすごいね。大人だって彼の事を恐れる者は多いのに」
「兄上もお元気になられたことですし、ファランもアズランも兄上の事を心配しているでしょうから、今日、こちらへ招きましょう。兄上の見舞いという名目で。その際、シュリも連れてくるようにと言付けておきます」
「シュリ、というのか。私の天使は」
「まあ、シュリがその天使かどうかは、まだ分かりませんけどね」
レセルファンは肩をすくめて小さく笑い、
「では兄上。俺は諸々の手配がありますからもう失礼します。スリザも心配していましたから、もう少ししたらこちらに来させます。いいですか?」
食事の手を止める様子のない兄に、そう問いかけた。
ヘリオールは即座に頷いて、
「もちろんだよ。いろいろ面倒をかけてすまないな、レセル。明日には私も執務に復帰するよ」
そう返すと、レセルファンは笑って首を横に振った。
「俺への気遣いはいりませんよ。お元気になられたとは言え、病み上がりでもありますし、数日は休んで貰いますよ。急に元気になった姿を見せると、不振に思う者も現れます」
「……そう、だね。療養中の振りをして、少し様子を見ようか」
「それがいいでしょう。兄上の現状は、あまり広めないように手配します。兄上も大人しくしていて下さいよ?」
「わかったよ。すっかり元気になった身で寝てばかりいるのは苦痛だが、これを期に色々あぶり出すのもいいかもしれない。私がまだ死んでいはいないものの、すっかり弱って床にいると知れば、とどめを刺したくなるに違いないからね」
「……護衛は、きちんとお付けします」
「大丈夫だよ、レセル。昨日まで病んでいたのが嘘のように体が軽いんだ。自分の身を守ることくらいは出来ると思うよ」
「それでも、です。兄上をお守りするのが俺の仕事ですから」
「わかったよ。ありがとう、レセル。頼れる弟を持って私は幸せ者だ」
そう言って、ヘリオールは弟に微笑みかける。レセルファンもかすかに笑みを見せ、だがすぐに表情を引き締めると足早に部屋を出ていった。
◆◇◆
「ねえ、イルル?」
「んむ? なんじゃ??」
朝になったが、まだ皇太子殿下快癒の報は届かず、遊ぶ気分にはとてもなれない、という事で、朝食の後はまたそれぞれの部屋にこもった。
昨夜治療を施した身として、皇太子殿下の無事を確信していたシュリはともかく、アズランとファランはかなり沈んだ顔をしていて心が痛んだが、素直に明かすわけにもいかないので、シュリも神妙な顔をして沈黙を貫いた。
皇太子殿下はもう大丈夫と伝えることはたやすいが、どうしてそんなことを知っているのか、と問われることは避けられない。
お城の皇太子殿下の寝室に忍び込んで、得体の知れない薬を飲ませて治療しました、なぁんて正直に言えるはずもなく、結果、皇太子殿下が回復されたという正式な連絡を待つしかないのがなんとも歯がゆかった。
そんな訳で、部屋にこもったシュリは、イルルにちょっとした疑問をぶつけてみることにしたのだ。
竜毒、とはなんぞや、と。
その単語を聞いたイルルはびっくりしたように目をぱちくりした。
「竜毒、とな? ずいぶん物騒な毒を知っておるのじゃな。シュリは物知りさんじゃの~」
どうやら竜毒という代物は、かなり危険で珍しい毒のようだ。
小首を傾げ、更につっこんだ説明を求めると、火トカゲ姿のイルルはふんすっ、と鼻息を吐き、得意そうに教えてくれた。
「竜毒は、その名の通り、ある竜が身に宿す毒の事じゃ。
人が奴らをなんと呼ぶかはよう知らんが、妾たちは毒の竜、と性質そのまんまに呼んでおるの。
奴らはその身の全て……それこそ血に至るまでが毒となる、おっそろしい生き物なのじゃ。
ゲテモノ喰いの同胞が言うには、奴らの肉は驚くほど美味じゃというが、血抜きを完璧にせんと毒に侵されるというやっかいな代物で、妾もまだ試したことがなくての。
機会があれば、1度くらいは……」
「イルル、イルル。話がそれてるよ? その毒の竜の毒の効果はどういうものなの?」
「む、そうじゃった。奴らが身に備える毒は主に2種類じゃ。
血肉に宿る毒は弱毒じゃが、口にした者の身体を弱らせる。
少しずつ飲ませ続ければ、飲んだ者の体の防衛機構を狂わせ、ちょっとの病気でも生死をさまよう虚弱体質の者の出来上がりじゃ。
ただ、この毒だけでは体が弱るだけで死にはせぬ。
あくまでその先を求めるなら必要になるのが、毒の竜のもつ毒腺の毒じゃ。
この毒は凶悪じゃぞ~? 吹きかけられて接種してしまえば、あっという間に呼吸困難に陥って死者の仲間入りじゃからの」
「なるほど。じゃあ、その毒腺の毒を飲ませたらすぐに死んじゃうんだね?」
「一概にそうとは言えぬのがこの毒のおもしろいところよ。
毒腺の毒のみを接種したら、効き目はあっという間に現れる。
じゃが、奴らの血の毒を飲み続けた者に与えた場合は、少し違う効き方をする」
「というと?」
「最終的に死ぬ、という着地点は一緒じゃの。
じゃが、血の毒と併用して与えた場合、線毒の効き目は比較的緩やかじゃ。
結果的に、長年病んでいた者の体調が急速に悪くなり死んだように見せかける事が出来るのが面白い所じゃのう。
毒を使われた事を知らねば、病のせいで死んだと思わせることができる」
「なるほど。そういうことか」
今回、皇太子を狙ったのは第二皇子の一派の可能性が高い。
第二皇子のお母さんは皇帝陛下の2番目のお后様でスヴァル公爵家の末のお姫様で、周囲の者からは二妃様、と呼ばれているらしい。
その二妃様が2番目の男子を産んだ時から、その子に皇位を与える為の画策がはじまったのだろう。
二妃様が言い出したのか、彼女の実家のスヴァル公爵家が言い出したのかは分からないが。
竜の血の毒を使った彼らの画策で病弱な皇太子が出来上がる。
体の弱い皇太子が自然に死ぬならそれでいいし、そうでなければ自分達の都合のいいタイミングで次の毒を盛ればいい。
病で死んだと見せかけられる、竜の腺毒を使って。
「竜の毒は、簡単に手に入れられるものなのかな? 普通に流通してたりは、しないよね?」
シュリの問いかけに、イルルは首を横に振る。
「いや。竜の毒は、取る者にとっても命がけの大仕事じゃからの。
それに、今は毒の竜自体が稀少な生き物となっておる。
奴らを見つけるのも一苦労じゃし、滅多な事では手に入れられぬじゃろうの。
もし、市場に出たとしても、かなりの高値がつくはずじゃ。
それこそ、一般市民ではとうてい手を出せぬほどの、の」
「そっか。滅多に手に入らないならちょっとは安心かな」
「うむ。こんな物騒な毒があちこちで回っていたらかなわんからの~」
「ちなみに解毒する方法はあるの?」
「毒竜の毒は、解毒もちと難しくての~。
通常の手段ではほぼ解毒は不可能なのじゃ。
解毒の魔術も効かぬしの。
それに、奴らの毒は1体1体違うから、それもやっかいでじゃな~」
「毒が1体1体ちがう?」
「そうなのじゃ。じゃから、奴らの毒は、血の毒、線毒、そして奴らの唾液から採取する解毒薬がセットで売り出されるのが通常じゃ。
違う個体のモノが混じると、正しい働きをしなくなるからの。
違う竜から取ったものでは解毒薬も効果が出ないのじゃ。やっかいじゃろ?」
「うん。やっかいだね」
「そんなやっかいな代物を解毒したシュリはすごいのじゃ。さすがは妾のシュリなのじゃ!!」
イルルの褒め言葉に、曖昧な笑みで返し、色々教えてくれてありがとう、と火トカゲなイルルの額を指先で撫でてあげた。
役に立てたなら何よりなのじゃ、と気持ちよさそうに目を細めるイルルを眺めつつ、シュリは思考の海へと沈んでいく。
(皇太子殿下が無事と知れば、今回の件に関わる悪い人達はきっと慌てて尻尾をだす。
もし出さなくても、竜の毒入手の証拠や彼らが抱き込んだ皇太子周辺の人達を押さえられればこっちの勝ちだ。
毒に関する証拠集めはジュディスとシャイナに一任すればどうにかしてくれるかな。
で、彼らが使った人達が口封じで殺されないようにこっそり守るのは、オーギュスト……は新製品開発で忙しいだろうから、そうだなぁ。僕の精霊達にお願いしておこう。
ま、大人しく尻尾を出してくれるなら、それが一番手っ取り早くていいような気もするけど、万が一に備えるのは大事だよね)
まとまった考えに小さく頷き、シュリはまず、ジュディスとシャイナに連絡を付けるために、念話をつなぐのだった。
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