第406話 はぐれ風龍の身の上話②
人々がすっかり寝静まった深夜の湖畔に、小さな人影が現れた。その頭には小さな生き物が乗っている。
その人物……シュリは、頭の上にイルルを乗せたまま周囲を見回す。
だが、見える範囲に人影はなく、まだ待ち合わせの相手は来ていないようだった。
『まだ、来てないみたいだね?』
『うむ。そうじゃのう。……む?』
イルルと2人、ひっそり念話を交わしていたら、頭の上のイルルが鋭く上空を見上げた。
シュリもつられて空を見上げる。
すると遙か上空から、人が降ってきた。
その人は、重力を感じさせない、軽やかな仕草で地面に降り立つと、黄金の龍の瞳でシュリとイルルを見つめた。
少し短めの癖のある髪の色は艶やかで鮮やかな緑色。
年の頃は十代後半に見えるその少女の髪の色に見覚えのあったシュリは、
「アマルファ?」
彼女にそう呼びかけた。
その呼びかけに少女が頷く。
「ふむ。もう人の姿を手に入れたか。誰に教えられずともそうして人の姿をとれたとは、なかなか優秀な幼子よの」
アマルファにそう話しかけるイルルも、もう火トカゲの姿ではなかった。
いつものちびっ子イルルではなく、アダルトなイルルヤンルージュ・バージョンの姿へと転身した彼女は、まだ若い同胞をまっすぐに見つめた。
「イルルヤン、ルージュ様」
「イルルでよい。今の妾の呼び名じゃ。ついでに言うなら、そうかしこまるな。今の妾はお主と同じく、人の傍らにあることを選んだはぐれ龍、じゃからの」
「人の傍らに? じゃあ、イルルヤンルー……いえ、イルル様の主はもしかして」
「ああ。ここにおるシュリじゃ。かわゆいじゃろう?」
イルルは得意げに、むふんと胸を張った。
「確かに可愛いです、けど。……浮いた噂がないと思ってたら、イルル様はショタ好きだったのかぁ(ぽそっ)」
「うん? 何か言ったか??」
「いえっ!! なにも。イルル様のご主人様、素敵だなぁ、って」
「そうじゃろう? じゃが、シュリは妾の主じゃからの? お主は惚れたらダメじゃぞ?」
「で、ですよね~? ……私、ノーマルだし。確かに可愛いけど、レセルの方がかっこいいし。そりゃあ確かに、すっごく可愛いけど、私、ショタ趣味じゃないし(ぽそっ)」
「ん?」
「な、なんでもないです!! レセルの方がかっこいい、なんて言ってないですし!!」
「レセル? おお、お主の主の男か。確かにあれもなかなか良い男ぶりじゃが、シュリには負けるのぅ。ま、悪くはないが、妾にはシュリがおるから、お主の男には手は出さぬから安心するといいのじゃ。妾はこう見えて一途な女じゃからの」
「わ、わぁ。ありがとうございます。……っていうか、レセルがなびくわけないし。世の男が全て、胸の脂肪になびくと思うなよ? (ぽそっ)」
言いながら、アマルファが見下ろす胸元は、ぺたんことは言わないが、かなりすっきりしていた。
くっと唇をかみ、ちょっぴり悔しそうにイルルの胸の膨らみをにらむアマルファに、シュリは思わず苦笑する。
イルルには聞こえていないようだが、アマルファがぽそっとつぶやく本心は、シュリの耳にはしっかり届いていた。
「ほら、イルル。アマルファの事情を聞くんでしょ? 何で里に帰らないのか」
「ん? おお! そうじゃった。で、アマルファ、お主はなぜ里に戻らぬのじゃ? 見たところ、あの男にテイムされておる訳でもあるまい? ここにはお主の自由意志でおるんじゃろう? それともなにか? 何か脅されて無理矢理つなぎ止められておるのか? それならば妾がいかようにも……」
「いえっ!! 無理矢理とかじゃないです。私がレセルの側から離れたくなくてここにいるだけで」
イルルの言葉に、アマルファは慌てて、そうじゃないと手を振る。
「ふむ。ならば、自由意志でここにおるんじゃな? しかし、誇り高き龍種がなぜ飛竜のふりをする?」
「それは、その。レセルやレセルの周りの人がそう誤解してくれたので、ちょうどいいやと思ってそのまま……」
「なるほどのぅ。しかし、その偽装もそう長くはもたぬぞ? お主も気づいておるじゃろう? もうすでに脱皮の兆候が出ておることに。 脱皮が終わればお主の体はさらに大きく成長する。そうなれば、さすがに飛竜と偽ることは出来ぬぞ?」
「分かっては、いるんですけど」
「いっそレセルとか言うお主の主に打ち明けてみたらどうじゃ? お主はもう人の姿がとれるわけじゃし」
「それも考えてみない訳じゃないんですけど、なんというか……」
「なんじゃ? なにか問題でもあるのか?」
「いえ。ただ、その。ゆ、勇気が出なくて」
「む? そういうものかのう??」
顔をうつむかせるアマルファを見て、イルルは首を傾げる。
シュリは苦笑しつつ、アマルファに助け船を出した。
「そういうものだよ、イルル。秘密を明かすって、勇気がいるものなんだよ? まあ、僕達が帝国にいる間に、どうにかしよう。僕とイルルが手伝うから」
「い、いいの?」
「もちろん。イルルが気にかける相手は、僕にとっても他人じゃない。出来る限りの事はするから、一緒に頑張ろう」
「あ、ありがとう。いい子だね、君」
「ぬ!? シュリの懐の深さに惚れたらダメじゃぞ!! 妾のじゃ!!」
「大丈夫だよ、イルル。アマルファはレセルが好きなんだから。ね、そうでしょ?」
「え? ま、まあ、そう、かな。うん、そう。私はレセルが好き、なんだ。だから、なにがあっても離れたくない」
そう言って頬を染めるアマルファは、なんとも言えずに可憐だった。
「でしょ? 僕、気になってたんだけど、2人はどうやって出会ったの?」
「うむ。確かにそれは気になるの。アマルファ、説明せよ」
シュリの素朴な疑問にイルルも乗っかって、アマルファに説明を求める。
アマルファはまだ熱の残る頬をさらに赤くし、もじもじしながら説明してくれた。
「えっと、私はもともと好奇心旺盛な子供だったんです。で、人間という生き物にも興味があって。両親に頼んで人間の書物を手に入れては読んでいたんですが、そうすることで更に人間に興味がわいて。ある時、周囲の目を盗んで1人里の外へ遊びに出たんです。人のいる場所を、遠くからでも見てみたくて」
「ふむ、ふむ」
「当時の私は人の気配を求めて結構な距離を飛び続けました。そして、いつの間にか帝国の領域に入り込んでいたんです。そして、帝国の深い森の奥で、魔物の群に襲われている数人の人間を見つけました。即座に助けに入ったのは良かったんですが、人を傷つけずに魔物だけを退治するのが思った以上に大変で。衝撃や炎のブレスを吐いたら、魔物よりも先に人間の方が木っ端みじんの消し炭になっちゃいそうだったし。風の刃もうっかり人間に当たっちゃったらまっぷたつだろうし。結局ちまちま爪や牙でやっつけるしかなくて、反撃もそれなりに受けて。全部倒し終わった頃には私も大分傷つけられてました」
「ほお、ほお」
「で、疲れ果てて倒れた私に、近づいてきた人がいたんです。それがレセルでした」
「ふむっ!!」
「お付きの人間が止める中、レセルは恐れる様子もなく私の傍らに膝をついて言いました。助けてくれたんだな、ありがとう、と。そして更に言葉を続けました。命の恩人の治療をしたいから、一緒に来てくれないか、と。青と黄金の瞳でまっすぐに私を見つめながら」
「ほほおぉ!!」
「元々人間に興味があったから里を抜け出てきた私に、否という選択肢はありませんでした。レセルに連れられて帝都に行き、傷が癒えるのを待つ間に、私の心はすっかりレセルに捕らわれてしまいました。今の私は、レセルの側にいられるなら何でもするでしょう。飛竜のまねごとも、彼の側にいられるならちっともいやじゃないんです」
「わかる!! わかるのじゃ!! 妾もシュリの側にいるためなら何でもできるのじゃ!! ペット扱いも、矮小な火トカゲのふりも、ちっともイヤじゃないのじゃ!! ちっちゃい姿だとシュリが抱っこしていいこいいこしてくれるしの!!」
アマルファとレセルの馴れ初め話に、イルルは激しく同意してうんうん頷く。
そして、豊かな胸をどんと叩いた。
「お主の気持ちはよーっく分かった。妾とて鬼ではないからの。お主とレセルとかいう小僧の間を無理矢理引き裂くようなことはすまい。お主の両親には折を見て妾から話しておこう。お主等の娘は無事で幸せに暮らしておる、とな。まあ、色々落ち着いたら、1度くらいは顔をみせてやるといいのじゃ」
「あ、ありがとうございます。イルル様」
胸を叩いた衝撃でふるふる揺れる豊かな脂肪の塊を、複雑な視線で眺めつつ、アマルファは頭を下げる。
話がとぎれたそのタイミングで、シュリはそっと口を挟んだ。
「アマルファが秘密を話すにはどうしたらいいか、僕も色々考えておくよ。まずは人の姿のアマルファをレセルに紹介して、仲良くなってから正体を明かすのがいいような気がするんだけどね。策が決まったらイルルに伝礼してもらうから、それまでは普段通りに過ごしてて?」
「うん。分かった。ありがとう、シュリ」
「じゃあ、夜も遅いしそろそろ帰った方がいいね。人に見つからないように、気をつけて帰るんだよ?」
シュリの言葉に頷いて、アマルファは龍の姿に転身する。
イルルとシュリに挨拶するように、小さくクゥ、と鳴いた後、その姿は一瞬で上空へと浮上した。
それに驚いて空を見上げていると、
「ふむ。風の魔法を使ったか。さすがは風龍じゃの。ま、近くにいる我らに気を使ったのじゃろう。しかしまだ幼いのに中々やるのう。次代の
偉そうに腕を組んだイルルも、空を見上げながら感心したようにそう言った。
(なるほど、風の魔法かぁ)
そう思いながら、あっという間にアマルファが飛び去った方を見るとはなしに眺めた。そしてそのまま、またたく星を見上げる。
かつて、前世のシュリが過ごした場所は結構な都会で、ビルの明かりに星の光が負けて、あまりきれいな星空を見ることはなかった。
だが、シュリが新たに生まれ落ちたこの世界は、かつての世界よりもずっと明かりの量も少なく、その輝きも柔らかで。
空を見上げればそこにはいつだって、美しく輝く星を見ることができた。
でも今晩の星空は、いつにもまして美しく。
耳に届く静かな水音をBGMに、いつまでも空を見上げていられるような気がした。
そんなシュリを見てなにを思ったのか、イルルはひょいとシュリを抱き上げて、空に向かって高く高くその体を掲げた。
「ほれ、シュリ。星に手を伸ばしてみるのじゃ。届くかもしれんぞ?」
「さすがに無理だよ。でも、ありがと。イルル」
イルルのそんな気遣いに、ちょっぴり苦笑しつつ、でも素直に感謝の言葉を口にする。
そして続けようとした。僕らもそろそろ帰ろうか、と。
だが、その言葉を口にする前に、
「ふむ。ここからじゃ流石に届かぬか。ならば、もっと高い場所ならどうじゃ?」
その言葉と共に、シュリの体がイルルと共にふわりと浮かび上がった。
イルルの背中の龍の羽が羽ばたく度に、2人の体はその高度を増していき。
気がつけば、星空の中にシュリとイルルだけが浮かんでいた。
「このくらいなら届くかの? ほれ。試してみるといいのじゃ」
しかし、試してみても届くはずもなくて。
シュリは、見守るイルルの為に一応星に手を伸ばして見せた後、微笑んでイルルの頭を撫でた。
「星には届かなかったけど、周り中星に囲まれてすごくきれいだね。ありがとう、イルル」
「むぅ。このくらい上でも届かぬか。ならばもっと上に……」
「ここで充分だよ、イルル!! ほんとにありがとう」
どれだけ空高くのぼっていっても、星に手が届くはずがないと分かっているシュリは、慌ててイルルを止めた。
まあ、ファンタジーなこの世界では、もしかしたら星に手が届く可能性もあるが、やはり星は何万光年の彼方にあり、星に手を届かせることなく酸欠で墜落する可能性の方が高い気がする。
前世で育てられた常識が、シュリにそう訴えていた。
「む? そうかの?? シュリがそう言うならばここで良いか」
小首を傾げて答え、イルルはゆったりと羽を羽ばたかせつつその場で体勢を維持した。
そんな彼女にシュリは問いかける。
「イルルも風魔法を使ってるの?」
「んむ? そうじゃの。ちょびっとじゃが使っておるぞ? 妾は風の魔法は得意じゃないんじゃが、風の魔法を使った方が飛行が安定するからの。妾はどっちかというと火の魔法の方が得意なのじゃ。じゃが、火の魔法は飛行の補助には向かぬからの~」
イルルはちょっと残念そうにそう答えた。
彼女の言葉を聞いたシュリは、小さく首を傾ける。
火の魔法が飛行の補助には向かない。果たしてそうだろうか。
たとえば、後方に向かって火を勢いよく噴射させて飛んだらスピードが上がったりするんじゃないだろうか。
ジェット機のように。
といっても、ジェット機は火を噴き出して飛んでる訳じゃないだろうけど。
そんなことを考えながら、気軽な気持ちでそれを口にしてみた。
後にその自分を呪うことなど、想像すらしないままに。
シュリの話を聞いていたイルルの瞳が徐々に輝きを増し、そして。
「それは面白そうなのじゃ!! よし、早速試してみるのじゃ。シュリ、妾によーっく掴まっておるのじゃぞ!?」
言うが早いか、イルルは飛行体勢に入り、その足から炎が噴射した。
そして。
イルルとシュリは星になった。
その夜、帝国の湖畔の別荘地で深夜に空を見上げていた人は、ひときわ明るい流星を見たという。
最初はまっすぐ飛んでいた流星は、なぜかすぐに蛇行を開始し、少々アクロバティックな軌道を描いた後、唐突にその輝きを消したとか。
その不思議な現象を見た人々は自慢げにその話を吹聴し、色々な人からその話を聞かされた銀色の髪の少年はなんとも言えない顔で笑い、その頭に乗っている珍しい火トカゲは小さくなって少年の銀色の髪に潜り込んだ。
得意げに自慢話をする人々は知らない。
彼らの流星話の裏側で、
『イルル?』
『な、なんじゃ?』
『火の魔法で飛ぶのは、イルル1人だけの時にしようね?』
『う、うむ。目立たぬように練習しておくのじゃ』
『練習?』
『そうじゃ! 妾の高速ジェット飛行を死蔵させるのはもったいないのじゃ。ちゃんと練習してまっすぐ飛べるようにしておくから、その時はまた一緒に飛ぶじゃろ?』
『……か、考えさせて』
シュリとイルルがそんな念話を交わしていた事実を。
それからしばらくの間。湖畔の別荘地の深夜の空で頻繁に流れ星が目撃されたという。
そんなとき、よーく耳をすますとなぜか、
「うぎゃ~!! まっすぐ飛ばぬのじゃ~!!」
とか、
「何でそっちにいくのじゃあぁぁ~!!」
とか、
「目が!! 目がぐるぐるなのじゃああぁぁ!!」
などといった悲鳴のようなものがかすかに聞こえたとか、聞こえないとか。
だがその流れ星の輝きは明るく鮮やかで。
1週間ほどして、流れ星が見えなくなったときは、寂しく感じる者も多かったという。
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