第277話 なかなか旅立てない旅立ち

 「シュリ様、中々華麗にカイゼル様をスルーされてましたね」


 「ちょっと可哀想だけど、僕、男の人とキスするつもりはないから!」


 「お口直しの準備はしっかり整えていたんですが、残念です」


 「同じく。唇のお手入れは万全ですが、無駄な準備になりました」


 「カイゼル様とのキスに衝撃を受けてるシュリ君を優しく慰めてあげる予定だったんですけど」



 馬車に同情している愛の奴隷の三人が三人とも、シュリとキスするつもり満々だったようだ。

 まあ、シュリがカイゼルの求めを上手にかわしたため、三人の野望もはかなく消えたわけだが。


 別に、特に理由が無いとキスをしてはいけないという訳ではないけれど、密室でキスをはじめると際限が無くなって危険である。

 そのことをいやと言うほど己の身で実感しているシュリは、『じゃあ、キスしようか?』などと余計なことは言わず、大人しく口をつぐむのだった。


 御者のおじさんの手綱さばきも素晴らしく、シュリの王都行きの為に用立てられた豪華な馬車はアズベルグの街中を門へと向かって進んでいく。

 途中、キキにお別れの挨拶をするため孤児院へ寄ってもらったが、生憎とキキは用事で外していた。


 少し寂しく感じはしたものの、これが永遠の別れという事でもないしと己を納得させ、他の子供達に用意したお菓子を渡して孤児院でのお別れをすませた。

 子供達はなんだかそわそわしてちょっと落ち着かない様子だったが、僕と別れるのがそんなに寂しいのかぁ、とちょっぴり胸をほっこりさせる。

 後々、その時の子供達の事を思い出して大いに頷くことになるのだが、それはもう少し後の話。


 キキのいない孤児院での別れをすませ、シュリは再び馬車へ。

 街の中での用事はこれで済んだ。

 後はもう門をくぐって街の外へ出るばかりだったが、商人達の店が軒を連ねる、通称商人街と呼ばれる辺りで、再び馬車は止まった。

 あれ?とシュリが首を傾げる間に馬車の戸が開き、



 「シュリ様。シュリ様にお別れを言いたいというご友人がいらしてますがどうしましょう」


 「友達? 誰だろう。名前は聞いてる?」


 「ルゥ様、というお名前を頂いております。白いお髪の可愛らしいお嬢さんですよ?」



 御者のおじさんが、どうしましょうか、と言うように小首を傾げる。

 ただのおじさんのはずなのに、そんなしぐさが一々可愛らしくてなんだか不思議だ。

 今日のお肌のコンディションも素晴らしく、おじさんの女子力は増えていく一方のような気がする。

 女子力の高いおじさん……実に謎である意味得がたい人材である。



 「ルゥかぁ。わざわざお別れを言いに来てくれたなんて、悪いなぁ」


 「中にお入り頂きますか?」


 「ん~……いいや。僕が外に出るよ」



 シュリはそう言って立ち上がり、馬車の戸口へと向かった。

 外へ出ると、そこには可愛らしい格好をしたルゥがいて、シュリの姿を見つけるとすごく嬉しそうに笑った。

 今日もウサギの耳をしっかり装着したルゥは、すっかりウサ耳ボクっ娘の属性をものにしつつあるようだ。



 「シュー君。今日出発だって話を聞いたから、見送ろうと思って」



 ぎゅうっと抱きついてきた彼女を優しく受け止め、その柔らかな髪の毛を撫でる。

 ルゥは気持ちよさそうに目を細め、至近距離からシュリの顔を見つめた。

 そして切なそうな瞳をして、



 「やっぱりやだなぁ。離れたくないよ。ねぇ、ボク、シュー君のペットになるから、このまま一緒に連れて行って?」



 そんなおねだりをした。

 シュリは苦笑し、再びルゥの髪を撫でる。

 恐らく冗談なんだろうけど、たとえ冗談だとしてもその願いは受け入れがたい。特に、後ろの建物の陰から、相手の父親がものすごい形相でこっちを見ているような時には。



 (大丈夫ですよ、ロイマンさん。そんな必死な顔をしなくても……ルゥをこのまま王都に連れて行ったりしませんから)



 ハラハラした表情でこっそりこちらを見守るロイマンに心の中で話しかける。

 ルゥに見つからないように上手に隠れてはいたが、気配はダダ漏れだし、正直シュリにはバレバレだった。

 が、こっそり見守りたい父心も分かるので、シュリは彼の存在をあえて指摘せずに、ルゥの頬を手の平で撫でながら、



 「お父さんもお母さんもいる娘さんをペットになんかできません! 離れるのは寂しいけど……王都で待ってるから。ね?」

 はっきりきっぱりそう告げる。

 ルゥは、やっぱりダメだったか、とほんの少しがっかりした表情を浮かべた。

 でも、すぐに持ち直し、



 「ボク、頑張る。少しでも早くシュー君の近くに行けるように努力する」



 シュリの手を両手でぎゅっと握り、ルゥは力強い瞳でそう宣言する。

 そして誓うように、シュリの両手の甲に交互に唇を落とした。



 「すぐに行くから……だから、待っててね?」



 懇願するような瞳に、シュリは頷くことで答えを返し、ルゥの髪を撫で、ウサ耳を撫でた。



 「大丈夫、待ってるよ。ルゥは僕の大事なウサギさんだもん」



 じゃあ、行ってきます、と告げ、シュリは再びルゥを抱きしめてから馬車の中へと戻る。

 ルゥはちょっと物足りなそうにシュリを見つめてきたが、流石にお父さんの見ている前で娘さんに口づけをかますのは気まずい。

 シュリは、ルゥの求めに気づかない振りをして微笑み、じゃあね、と手を振って馬車の扉を閉めた。



 「いってらっしゃい、シュー君」



 そんなルゥの声に見送られ、馬車は再び走り出す。

 そのまま順当に進んで門を抜け、一路王都を目指してこれからスピードを上げていこうという頃合いで、馬車は再びスピードを落とした。

 盗賊やらなにやらに目を付けられるにしても、まだ街から近すぎる。



 (また、誰かのお見送りかなぁ?)



 徐々にスピードを落とし、その動きを止めた馬車の上でそんなことを思っていると、



 「シュリ様、お客様です」



 再び御者のおじさんが顔をのぞかせた。



 「今度は誰かな?」


 「貴族様の馬車で、エリザベス様という大変愛らしいお嬢様がシュリ様を馬車にお招きしたいと」


 「ああ、エリザベスか。分かった、すぐ行くよ」



 おじさんのもたらした情報に二つ返事で頷き、シュリは一人、馬車を降りてもう一つの馬車に乗り移る。

 ゆったりとした作りのその馬車の中には、エリザベスといつも彼女にくっついている従者の人がいた。



 「ありがとう、エリザベス。わざわざ見送りに来てくれたんだね」



 微笑みながらシュリが言うと、エリザベスは可愛らしい顔をツンとそらす。



 「べ、別に、わざわざ見送りにきた訳じゃありませんわ。馬車に乗ってお出かけしようとしていたら、たまたまルバーノ家の馬車を見つけたんですの。見つけたからには、貴族としてきちんと挨拶しなければと思っただけですわ」



 そんなエリザベスを見つめながら、



 (相変わらずツンデレさんだなぁ)



 とシュリは思わず微笑んでしまう。



 「……かれこれ数時間、ここにいたような気がしますけど、私の気のせいでしょうか」


 「きっ、気のせいに決まっていますわ! ワタクシはここでシュリが通りかかるのを待ってなんかいませんわよ!!」



 従者の人のひっそりとしたつっこみに、エリザベスが慌てたようにチラッチラッっとシュリの方を見ながら反論する。

 それを聞きながら、



 (そっかぁ。エリザベス、僕が通りかかるのを待ってたのかぁ。待たせちゃって悪かったなぁ)



 シュリは胸をほっこりさせながら、暖かい眼差しをエリザベスに注ぐ。

 そんなシュリの眼差しを受け、エリザベスは落ち着かない様子でワタワタしはじめた。



 「ちっ、違いますわ、シュリ。勘違いしないで欲しいですの。ワタクシは別に、早朝から髪のセットなんかしてないですし、時間をかけてお化粧なんかしてないですし、シュリが王都に行っちゃうからって半泣きになんかなってないですし、シュリの馬車が中々通りかからないからって不安になったりしてないですわ!!」


 「……や~、さすがはお嬢様。私が暴露するまでもなく、全部自分でぶちまけちゃいましたねぇ」


 「はっ!!! しまったぁぁ、ですわぁぁ!!!」



 なんて事ですのっ、と頭を抱え込んだエリザベスが何とも可愛い。

 出会った当初は見事なツンデレキャラだったはずの彼女も最近ではすっかり、ツンとデレが逆転してしまった。


 今ではデレ成分が80%を余裕で越えつつあり、ツンデレではなくデレツンになりつつある……というか、なっている。

 そこに、わんこ成分やら、イルルから感染したアホの子成分も加わり、なにやら訳が分からないが見てるとなんだかほっこりする不思議キャラが出来上がりつつあった。


 しょんぼり落ち込む様子に、思わずきゅんとしたシュリはエリザベスの頭を抱え込んでわしゃわしゃ~っと撫でる。

 そう、もふもふの可愛いわんこにするように。



 (ウサギさんも可愛いけど、やっぱりわんこもいいよね!)



 などと、意味不明なことを思いながら、腕の中の少女を全力で愛でる。

 前世のシュリは、毛皮のある生き物なら何でも愛するモフモフ好きな女子だった。

 その嗜好は生まれ変わった今でも変わりなく、むしろ加速しつつある。

 最近では、ヴィオラのグリフォンで鳥(?)の良さを再認識し、イルルの存在により爬虫類にも目覚めてしまった。



 (ん~、イルルのひんやりしっとりした鱗の感触も悪くはないけど、やっぱりモフモフっていいなぁ。まあ、エリザベスのはサラふわって感じだけど、これはこれでさわり心地がいいよね)



 エリザベスの髪がモフモフでなくサラふわなのは、毛皮ではなく髪の毛なので仕方ないことである。

 でもこれはこれでいい、と思う存分わしゃわしゃし、ふと気が付くとエリザベス曰く早起きしてセットした髪は見るも無惨な状態になってしまっていた。

 その惨状に、



 (し、しまったぁぁぁ!!)



 と動きを止めるが、もう後の祭りである。やってしまったことはもう取り返しようがない。



 (え、えりざべす、怒ってるかなぁ?)



 恐る恐るエリザベスの表情を伺う。

 伺ってみて、シュリは首を傾げた。

 エリザベスの顔に怒気は見あたらず、むしろそこにあるのは恍惚とした幸福感のようなもの。



 (あれ? だ、大丈夫そう、かな?)



 だが、まだ油断は出来ないと、そのまま様子を伺っていると、シュリの視線に気づいたエリザベスがはっとした顔をし、それから場を誤魔化すようにこほんと咳払いを一つ。

 そして、もっさもさの頭のまま、



 「コルリ、アレを出して頂けますこと?」



 従者の人にそんな指示を飛ばした。従者の人は、笑いをこらえているような微妙な表情のまま、あるものをさっと取り出し、エリザベスの手へ。

 それを確認したエリザベスは、満足そうに頷いて、それをそのままシュリへと差し出した。



 「さ、シュリ。貴族たる者、自分のしたことは自分で責任を取るべきですわ」



 ワタクシの愛用のブラシを貸してあげます、と突きつけられたブラシを受け取り、嬉々として背中を向けたエリザベスの背後に立つ。

 シュリにとって、わんこへのブラッシングはむしろご褒美。

 まあ厳密に言えば、エリザベスはワンコではなくれっきとした人間のレディなわけだが、そんなのは些細な事である。


 シュリは目をキラキラさせながらエリザベスの髪の毛にブラシを滑らせた。

 何度も何度も丁寧に、心を込めて。

 そんなシュリの手による最上級のブラッシングは、エリザベスがとろとろに溶けてしまうまで続けられたのだった。

 しばらくして。



 「ふにゅぅ……こ、このへんれ、ゆ、許して差し上げまふわ」



 ツヤツヤになった髪を再びセットしてもらい、とろけきったエリザベスがようやくシュリに許しを与える。

 シュリは、もう終わりかぁ、と若干不満そうな顔を浮かべたもの、大人しくエリザベスにブラシを返した。

 出来ることならいつまでだってブラッシングしていてあげたいものだが、ブラッシングのしすぎも良くない。

 ブラッシングをしてあげることは好きだが、しすぎて毛を痛めてしまうことは、決してシュリの本意ではなかった。



 「こ、こほん。で、では、気をつけて行くんですのよ。王都では、むやみやたらと女性の髪をブラッシングして歩かないように、ですわ。貴方のブラッシングは、ある意味凶器ですから」



 ほっぺを赤くしてやや息を乱しつつ告げられた送り出しの言葉の中に、意味不明の言葉を見つけて、



 (ん? 凶器??)



 と内心首を傾げたものの、シュリはあえて突っ込まず、



 「大丈夫。僕がブラッシングしてあげる子は、うちの子とエリザベスだけだよ」



 にっこり笑ってそう答えた。



 「身内の者以外はワタクシだけ、ですの?」


 「うん、そうだよ」



 潤んだ瞳で問われたその言葉に、シュリはきっぱりと答えを返す。

 その脳裏に、白い髪に赤い瞳、頭に手作りのウサ耳をつけた美少女の顔が浮かんだが、彼女の場合、ブラッシングより撫でられるのを好むため、ブラッシングの対象にはなっていない。

 だから、セーフのはずである。とりあえず、今のところは。


 己が丁寧にブラッシングし、ツヤツヤに仕上がったエリザベスの髪に手を滑らせながら、シュリは満足そうに目を細める。

 そんなシュリの様子に、エリザベスは更に顔を赤くし、



 「ふ、ふん。そ、そんなにワタクシがいいんですのね……。し、仕方ありませんわねぇ。貴方がそこまでおっしゃるなら、ワタクシも考えないでもないですわ」



 照れくさそうにそんな言葉。



 「考える??」



 何を考えるのかな、とシュリが首を傾げると、



 「で、ですから。ワタクシも行ってあげますわ」


 「行ってあげる??」



 エリザベスは更に言葉を追加してくれたが、それでもまだシュリはピンとこない。



 「ですから! ワタクシも頑張って飛び級して王都へ行ってあげると、そう言ってますの!!」



 そんなシュリの様子にじれたように、エリザベスは叫んだ。

 シュリはちょっとびっくりしたように、肩ではぁはぁ息をするエリザベスを見ていたが、すぐにその目元を優しく緩ませ、エリザベスの髪の一房をその手の中に閉じこめる。

 そして、



 「そっか。うん。ありがとう、エリザベス。待ってるね?」



 甘く微笑み、手の中のエリザベスの髪にそっと唇を落とした。



 「ふあっ!?」



 そのシュリの微笑みと行為に、ぼふんっ、と音が聞こえるくらいの勢いで顔を真っ赤にしたエリザベスは、そのままフリーズしてしまう。

 シュリはそんな純情すぎるくらい純情なエリザベスの反応を微笑ましく思いつつ、固まったままの彼女に改めて別れの挨拶をして、彼女の再起動を待たずに馬車を後にした。

 丁寧すぎるくらい丁寧に頭を下げるエリザベスの従者に見送られて。


 見送りは、それが最後だった。


 馬車は軽快に王都への道を進んでいく。

 途中、上空からグリフォンの鳴き声が聞こえて、どこからともなく現れたヴィオラが当然の如く馬車に乗り込んで来たが、馬車は特に止まることなく王都を目指した。


 こうしてシュリは王都で新たな生活をはじめるため、故郷ともいえる街アズベルグを旅立ったのだった。

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