第255話 助けたおじいさんの正体は?

 見知らぬおじいさんとのイベントがあってから数日後、シュリはいつものように学校で勉学に励んでいた。

 といっても、初等学校で習う勉強のほとんどは、すでにシュリの頭の中に入っている事だったりするのだが。


 でも、シュリは退屈そうにすることもサボることもせずに、非常に真面目に楽しそうに授業を受けていた。

 そんなシュリを、担当教師もクラスメイトも、ついついうっとりと見つめてしまう。


 シュリは、[年上キラー]の影響力をひしひしと感じていたが、あえてそこから目をそらし、授業に没頭した。

 いや、没頭するふりをした。


 実際の所、薄々わかってはいるのだ。

 このまま初等学校へしがみついていたとしても、得る物は少なく、周囲に与える良くない影響は甚大だということは。

 初等学校の生徒達はまだ幼く、精神的にもまだ成熟していない。

 よく言えば純粋な彼らは、シュリの見境のないスキルの影響を受けるのが早かった。


 まだ、はじめての恋も知らない者が多いであろう彼らにとって、自分は劇物だという自覚はきちんとある。

 自分にとって身近な人は仕方がないとしても、たまたま同じ時期に同じ学校へ通うことになっただけの無垢な学友を己のスキルの餌食にすることは、正直なところ出来るだけ避けたかった。

 その為には……



 (う~ん。中等学校じゃあ、あんまり意味がないよなぁ。初等学校から会いに来ようと思えば会いに来ちゃえるし。スキルの影響力から解放してあげるためには、なるべく僕との距離をおいた方が効果的だもんねぇ。いっそ、王都の学校とかまで行っちゃえばいいのかもしれないけど、流石にそこまでの飛び級は難しいだろうしなぁ)



 [年上キラー]のスキルが、せめてもう少し制御できるものなら、と思わないでもないが仕方がない。

 人生なんてものは、中々自分の思うとおりにならないものだし、だからこそ面白いとも言える。

 なにもかも思い通りになって先の見える人生など、きっと面白くも何ともないだろうから。

 シュリはそう自分に言い聞かせつつ、更に考える。



 (ん~……カイゼルにお願いして、王都とまではいかなくても、ここから離れた中等学校へ飛び級出来るように学校へ掛け合ってもらうか? あるいは、ほとぼりが冷めるまで、冒険者稼業をしてみるとか? でもなぁ、冒険者は、ミフィーが反対しそうだしなぁ。まだこんなにちっちゃいのに冒険者なんてダメって泣かれそうな予感しかしない……)



 あ~、どうしよう、と最近ずっと心から離れない問題に内心頭を抱えながら、授業が終わった後の学校を歩いていると、



 「おや、貴方は……?」



 前から歩いてきた人から不意に声をかけられた。

 顔を上げて見れば、白い髭をきれいに撫でつけて仕立てのいい服を身につけたおじいさんが、こちらをじっと見ている。

 そのおじいさんの斜め後ろには、淡い紫の髪の綺麗な女の人。その人も、髪の色より濃い紫の瞳で、シュリの方をじぃっと見ていた。


 女の人の方には全く見覚えが無かったけれど、おじいさんには何となく見覚えがある気がして、シュリは足を止めてその顔を見上げる。

 おじいさんは、にこにこしながらシュリの方へ向かって歩いてくると、



 「やあやあ、先日はお世話になりましたな。おかげですっかり元気ですぞ」



 と、やけに親しげに話しかけてきた。

 誰だっけなぁ? と、ちょっぴり眉間にしわを刻み、じぃぃっと見つめながら頭を捻る。

 そんなシュリに、おじいさんの後ろから綺麗な女の人も声をかけてきた。



 「先日は、がくいんちょ……こほん。え~、主に食べ物を恵んでいただき、ありがとうございました」



 そんな風に。

 その言葉でやっと、目の前の老紳士と、数日前に街で会った腹ぺこなローブのおじいさんが重なった。

 余りに小綺麗になっていたから分からなかったのだ。



 「あ~、もしかしてあの時のおじいさん?」


 「うむ。もしかしなくとも、そうですぞ。あの日は本当に世話になりましたなぁ」


 「いえいえ。おじいさんが元気そうで安心しました。あれから危険な事はありませんでした?」


 「おかげさまで、何事も。私も、貴方の姿を見て安心しました。貴方の方も、危険はありませんでしたかな?」


 「僕は大丈夫。僕が狙われてた訳でもないし。パペットを追いかけていた連中も、おじいさんと別れた後に捕まえておこうかと思ったんですけど、いつの間にかいなくなってて」



 ごめんなさい、と申し訳なさそうな顔を向けると、おじいさんは少し驚いた顔をして、それから慌てたように、



 「いやいや、お気になさらず! あの場を救って頂いただけで十分にありがたい事です。後の始末は、私の責任でしょう」


 「そう、ですか?でも、困ったら力になりますから相談して下さいね? あの日出会ったのも、今日ここで会ったのも何かの縁ですし」


 「縁、ですか。……そうですな。なにかあったらぜひ相談させて頂くとしましょう」



 おじいさんの目が、ぎらりと油断の出来ない光を帯びた気がした。

 後ろの女の人の視線も、突き刺さるようにシュリに向けられている気がする。

 が、気のせいだろう、と軽く流して、可愛らしい微笑みを彼らへ向けた。



 「そうだ。まだ、自己紹介をしてませんでしたね? シュリナスカ・ルバーノといいます。良かったら、シュリって呼んで下さい」


 「おおっ、私の方から名乗らなければいけない所を申し訳ない。シュタインバーグ・ドルンと申します。以後、お見知りおきを。私の事は、シュタルあるいはバーグと呼んで下され」



 おじいさんは慌てたようにそう名乗り、それから後ろに控える女の人を示して、



 「これの名前は、リューカと申します。私の身の回りの事を全て任せている者です」



 そう紹介した。



 「どうぞ、リューカとお呼び下さい」



 それを受けて、リューカは洗練された仕草で流れるように頭を下げる。

 その美しい仕草に、



 (すごいなぁ。ジュディスみたいだなぁ)



 と己の中では最大級とも言える賛辞をリューカに向けつつ、シュリは二人の顔を交互に見上げて、



 「えっと、バーグさんにリューカさん、ですね? よろしくお願いします」



 再びにっこり微笑んだ。

 その微笑みが見事なまでにグッサリと二人の胸に突き刺さっているなどとは、夢にも思わずに。

 相変わらず、鈍いときはとことん鈍いシュリなのだった。


 彼らの目的地が教員室であることを聞き出したシュリは、当然の事ながら案内を申し出て、二人の前を軽快な足取りで歩く。

 その後ろ姿を、シュタインバーグは己の胸を撫でさすりながら不思議そうな表情で、リューカはうっすら頬を染め、あきらかにうっとりとした顔で見つめるのだった。


 他愛ない会話を交わしながら、あっという間にたどり着いた教員室の扉をシュリががらりと開ける。

 そして、



 「シュリナスカ・ルバーノです。お客様をご案内してきました」



 元気よくそう告げると、教員室にいた教師達ががたがたっと一気に立ち上がり、我先にとシュリに群がってこようとしたが、それを制してサシャが颯爽とシュリの前に立った。

 彼女は優しく目を細め、愛おしそうにシュリを見つめると、



 「お客様のご案内、ご苦労様でしたね」



 そう言いながら、シュリの頭をそっと撫でた。

 彼女のその行為に、教員室中から嫉妬の視線やら羨ましそうな眼差しが一斉に突き刺さる。

 それは、シュリの後ろにいた二人も例外ではなく、彼らはどこか羨ましそうにサシャとシュリを見ていた。

 そのままひとしきりシュリを撫でて満足したサシャは、そこでやっとシュリの後ろに立つ人物に目を向けて、軽く目を見開く。



 「おじいさ……いえ、王立学院の学院長が何故ここへ?」



 おじいさま、そう呼びかけそうになったが、彼の後ろに控える秘書の姿を目にして、公的な立場としてここを訪れているのだと察したサシャは、冷静に軌道修正をした。

 だが、耳ざといシュリはしっかりサシャのうっかり発言も聞き取っていて、



 「おじいさま?」



 可愛らしく小首を傾げて、サシャとシュタインバーグを見比べる。

 サシャは、その様子の愛らしさに思わず悶絶しそうになりながらも、きっぱりと首を横に振った。



 「いいえ、違います。その方は、王都の王立学院の学院長で……」


 「いやいや、違わんだろう?そんなにきっぱり否定されるとは、おじいさま、胸が切なさでいっぱいになりそうなんだが……」



 ほれほれ、おじいさまだよ? とサシャに迫るシュタインバーグと無表情にそれから目をそらすサシャを再び見比べて、今度はシュタインバーグを見上げ、問いかける。



 「えっと、バーグさんはサシャ先生のおじいさま、ですか?」


 「うむ。私がサシャのおじいさまで、間違いないですぞ」


 「で、王立学院の学院長先生?」


 「いかにも。私が王立学院の学院長です」


 「そんな人がどうしてお腹を空かせて行き倒れ寸前に??」


 「……それには深い大人の事情がありましてな」


 「おじいさま? 行き倒れとはどういう?」


 「いやいや。大したことじゃ無いから、サシャは気にせんでよろしい」


 「……シュリ君?」


 「えっと、アズベルグの街を散策中に、お腹をすごく空かせたバーグさんに偶然行きあって、たまたま持っていた食べ物を」


 「なるほど。シュリ君には迷惑をかけましたね。祖父を助けてくれたお礼に、今度食事に行きましょう。先生のおごりです」


 「いえ、気にしないで下さい。それに、ご飯はうちで……」


 「ぬぅっ! シュリ君とお礼の食事に行くなら、助けてもらった私が行くのが筋というものだろう!?」


 「いえいえ、だから、僕は家でご飯を……」


 「いいえ。大切なおじいさまを救ってくれたお礼は孫である私がしますから、おじいさまは引っ込んでいて下さい」


 「せ、先生? 僕、ご飯は家で食べる派で……」


 「大切な、などとどの口が言うんだ。さっきは、私との血縁関係を否定しておっただろうが」


 「ば、ばーぐさん?」


 「さあ。記憶にありませんね。とにかく、シュリ君と食事に行くのは私です」


 「いいや、私だ!」


 「……」



 なにやら話がおかしな方向へ転がってきた。

 ただ教員室に客を案内してきただけなのに、今やすっかりシュリの取り合いが勃発し、祖父と孫の間には殺伐とした雰囲気が漂っている。


 右手をサシャ先生、左手をシュタインバーグに取られ、巻き起こる仁義無き引っ張り合い。


 シュリは光の消えた目で周囲に助けを求めるが、誰もがさりげなく視線を逸らす。

 ここに、愛の奴隷三人組がいたらなにをしてでも助けてくれただろうが、もちろん彼女達はこの場におらず。

 ここにいる皆様も多かれ少なかれシュリに愛情を抱いてくれてはいるものの、危地に飛び込む選択肢を選ばせるには、少々愛情の振り切れ具合が足りなかった。


 諦めの表情で、だが最後に一縷の望みをかけて、リューカに目を向けたが、彼女も心苦しそうに目を反らした。

 がっくり肩を落とすシュリの身体の内から、



 『シュリ、今すぐ水で吹き飛ばして助けてあげますわ。……いえ、溺れさせるほうがより確実かしら』


 『吹き飛ばすなら風が便利だよ~? シェルファにお任せ~。地の果てまでふっ飛ばすよぉ?』


 『シュリを困らせる奴らだ。きっちり燃やすのが筋ってもんだろ?安心しろ。ちゃんと跡形もなく消し炭にしてやるからな!』


 『みんな、少々物騒すぎやしないか?ここは穏便に土で拘束するくらいに……』


 『甘いわ、グランさん。でも確かに、命の危機を招く行為はちょっと行き過ぎかもしれないわ。でも、まあ、目潰しくらいならいいわよね? シュリの手を握る余裕が無いくらい、思い切りやってあげるわ。大丈夫よ、命に危険は無いから!二、三日ほど目が見えなくなるくらいですむはずよ』



 精霊達のそんな声がささやく。

 だが、シュリは力なく首を振って彼女達の物騒な申し出を断ると、大人しく時間が解決するのを待つことにした。


 幸い身体は頑丈だ。

 右と左、それぞれから女性と老人の力で引っ張られたところで、まっぷたつになるほどやわではない。


 もう少し時間が過ぎて、二人が自分達の行為のバカらしさに気づくまで待とう……シュリはちょっぴり遠い目をして、小さくため息をこぼした。 

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