第15話 何もないがある
波瀾万丈、紆余曲折。
人生とは、山あり谷あり、浮き沈みの激しい、凸凹道のようなものである。
目まぐるしく移り変わる、走馬燈のように儚く、脆い日常を生きる私達の日常は、困難と夢と希望と冒険に満ち溢れて、それはジェットコースターに乗ったようなアドベンチャーの日々である。
なんて事はほとんど無く、昨日とだいたい同じ様な今日を生きている人々がほとんどだろう。
毎日がそんなに騒がしいものであるならば、きっと人間というのは疲れてしまい、疲弊してしまうだろうし、多くの場合はそんな騒がしい日常に追われているような人というのは、できれば身のまわりに起きて欲しくない、巻き込まれるのもご免なさいという状況であるに違いない。
私もだいたいそちら側の人間であり、そんな自身の身のまわりの、出来れば巻き込まれたくない状況というものは、自らの不始末であるという場合が半分ぐらいであるのだから自業自得と言われてしまえばその通りであり、何ら反論できる余地はないのであるから、反論するつもりもないのだけれど、残り半分の厄介事は私自身に何の落ち度も責任も無いというのに、巻き込まれているという事実には目を向ける事はない。
できれば、できるだけ、どうしようもなくなるまで目を背けて行こうと若い時分から決めていたのだけれども、時間の流れというのは歳を取れば取るほど、非常識なくらい加速していき、もうそろそろ現実という奴と向き合わなければいけなさそうなのだけれども、知った事ではない。
早い話が何を言いたいのかというと、普通に生きている限り、そうそうそれほど目まぐるしい日々というものは起こらないという事だろう。
何も変わらない、何も起こらない日々を淡々と生きていくしかないのである。
そうなると、日々の出来事や思いというものを「エッセイ」として書いている私にはネタが降りてこないという事になる。
書く事が何もない。
こうなってしまえば、もはや何も書く事がないと言う事を書こうと思い至ったわけであった。
「何も無いが在る」と言う事である。
夜勤の工場勤務をしているのだけれど、夜勤をしているのは私の他にもう一人。
お互いの仕事をそれぞれに持ち場を持って仕事をしているので距離があり会話もない。
飯を食う時もそれぞれ別々に食うので話しもない。
誰かと会話をする事があれば、某かのネタを発見できるのかも知れないが、会話もないので何もない。
せいぜい、その人は57歳で、最近スロットで知った「ガールズ&パンツァー」にハマリ、ブルーレイを全巻揃え、劇場版の特典付きブルーレイも発売当日に買うと言っていた黄金持ちのガルパンおじさんと言う事くらい。
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