第21話猫の行き倒れ。
9月3日 木曜日
猫の行き倒れ。オリンピックのエンブレム問題。
●門の戸を引く音がした。
玄関先で声がする。
カミサンが隣の部屋から玄関に向かう気配がした。
「猫が倒れている」
と、言うような話声がする。
わたしも小説を書く手を休めて立ち上がる。
●「ウチノ猫じゃないわね」
どうやら、猫が道端に倒れていて、動けない。
近所の猫を飼っている家をまわっている……と。
知らせてくれた人が話している。
●猫の行き倒れときいては、ホオッテおけない。
三毛のかなりおおきな雌猫がなるほど息もたえだえに横たわっていた。
口元からヨダレがたれている。
●「除草剤をまかれた草でもたべたのかな」
このところわが家のブラッキ―とリリは散歩から帰ってくるとかならず吐く。
この季節、雑草にクスリをかけたりする。
農薬も除草剤もむかしとちがい、人畜無害。
そういわれても、心配していたので、思わず、つい、そう口にしてしまった。
●近所の猫を飼っている主婦もかけつけてきた。
G病院のひとたちが餌をやっている猫だという。
なるほど気づかなかったが赤い首輪をしている。
●「ウチで帰ってきたら車で動物病院につれていきます」
ヒョイと汚れて、毛もぱさぱさにみだれている猫をだきあげた。
うれしかった。猫好きの人が隣近所にいた。
●そのご、アノ猫ちゃん、どうなったろうか。
行き倒れの猫を心配そうに介抱していた人たちの顔。
うれしかった。
●かれこれ70年ほどむかしのことだ。
今宮神社の境内で男が倒れていた。
「行き倒れだんべか」
大人たちが話していた。
「旅の俳句ヨミだってよ」
放浪の俳諧師だった。餓死だった。
このとき、幼いわたしは野垂れ死に、とか行き倒れ、という言葉を学んだ。
●後年、文学を志した折、これらの言葉が脳裏によみがえった。
芭蕉の「野ざらし紀行」――「野ざらしを心に風のしむ身かな」
とか、曽良「行き行きて倒れ伏すとも萩の原」
●俳諧の道を究めるために行脚漂泊、野に倒れてドクロとなる覚悟の先達を見習って、わたしも文学の道に踏みいった。
●ところが生きていくために学習塾をはじめたとき
「小説書いて、いくら儲かるんで」
と塾生たちにきかれて、驚いた。
両親が病で倒れたために学業半ばでもどってきた故郷だ。
●だが、理想主義のわたしの考えより、この生徒のほうがはるかに先を見通していた。
●いまでは、スポーツ選手も、小説家も、イラストレーターでも、すべての業界でいくら稼ぐか問題となっている。
金儲け最優先主義が跋扈している。経済原理主義の世の中だ。
●オリンピックのエンブレム撤回。国立競技場の問題。
すべて目に見えないところで、だれかが、金儲けのためだけに動いている。
恥ずかしい。
9月28日 月曜日
ブラッキーとGGはダニの攻勢に悩まされています。
●自伝を書くには早過ぎる。
●恋愛小説を書いていると公言してきた。
そのうちに、upしますと約束していた。
●このところ、その未完の作品を載せた。
御覧の通り、頓挫している。
どうしても、自伝的になるので、書きにくい。
ほんの出だしだけ。
いつ書き継ぐか、それが問題だ。
自伝を書くには早過ぎるなどと嘯いているうちはいい。
あちらから、お呼びがかかったらどうするのだ、と言いたくなる。
●小説を書くのは楽しい。
だが辛い。
この相反する心理をどうだましだまし書きつづけるか。
シンドイ作業だ。
●今日は晴天。
フトンをカミサンが干してくれた。
このところブラッキ―がダニにおそわれている。
まったく目には見えないのだが、すごく痒がって、夢中になって掻いている。
爪が尖っている。皮膚が傷だらけ。とくに首のまわりが酷い。
●わたしにもうつった。
オイラックスをつけているのだが、痒みに悩まされて、夜もおちおち眠れない。
痒みは痛みより辛いということをしった。
10月3日
「あれ六区」を飲んだ。
●皮膚科にかかった。やはりダニとのことだった。猫のダニなのだろう。
カミサンはせっせとフトンを干したり、部屋を整頓してくれている。
過日古沢良太の「デート」をみていてふきだしてしまった。
高等遊民の彼が理系女の彼女に本を置く場所を制限されてキレル場面。
おもしろかった。
GGなど書いても書いても売れない原稿を長年書いている。仕事場には本の置き場もない。もう限界だ。原稿料が入ったら本棚を作る予定なのだが――。
じぶんの本が一冊もないのは悲しい。
雑誌にはかなり書いているのだが、単行本はない。
ほかの作家の累積した本をみて、カミサンは毎日わめきだしたいのを必死でこらえているようだ。
●痒い。
かゆい。
カユイ。
KAYUI。
赤い小さな湿疹ができている。もうどうなってもいいからと、ぼりぼり掻きまくっている。それでも、ブラッキーのことは抱っこして寝ている。
ダニ供給元の猫と寝ている。
もうこうなると病気。
猫愛。
いっときも猫を離せない。
ブラッキ―とふたりで身体をカキまくっている。
辛い。
痛みよりもかゆい方が辛い。
それでもブラッキ―を離せない。
●パソコンの傍らにすわってブラッキ―は、わたしが小説を書くのをジッとみつめている。ハゲマサレテいるように感じる。
●さすがはお医者さん。
初めて飲んだ「アレロック」が効いた。
いまのところ痒みをあまり感じなくなった。
●パソコン――に打ち込んだら「あれ六区」と初めにはでた。
ああ六区がなつかしい。ことしは六区を舞台とした「人間座」の公演みにいけなかった。皆さん元気にやっているのだろうな。と「アレロック」から「あれ六区」へと思いが飛躍した。
10月17日 土曜日
リリとブラッキーの脱出
●またしてもカミサンの絹を裂くような悲鳴。
このカミサンの甲高い悲鳴をどのように修飾したらよいのか。
いまだに迷っている。
適当な表現ができない。
猛禽類の鳴き声と表現して叱られたことがある。
●「庭にでたスキに、ブラッキーが網戸をあけて、リリも、ふたりで、ダッソウサレチャッタ」
二階から問いかけたわたしに、カミサンが声を張り上げて応える。
●一年ほど前、リリが迷い込んで来た。リリがわが家の一員となったときには、あれほど嫌っていたのに――。最近、時折、ブラッキーがリリと行動を共にするようになつた。
ブラッキーもやはりよちよちと迷いこんで来た。
裏庭に放置してあったミユの餌の空き缶をなめていた。
哀れなので、家に入れて、蝶よ花よと育てて早十七年経っている。
ちゃほゃ(蝶や花や)育ててきた。
あるとき不意に子猫のリリが身近に存在することになったので、
おどろいたのだろう。
「ひりと娘だからブラッキーはわがままなのよ」
「性格だ。インコやウサギ、犬となかよく住んでいる猫もいる」
「人見知りするたちなのね」
人でも動物でも個の存在のときは、あまり性格が目立たない。
比較するものができると性格は際だって来る。
●そのブラッキーがうれしいことに、ようやくリリになれてきた。
鼻をつきあわせて挨拶する。
水を同じ器からのむ。
ふたりで並んで二階のわたしの書斎から外を眺めていたりする。
●網戸などブラッキーが率先して開ける。
リリがその後をおう。
そこで冒頭のカミサンの悲鳴とあいなるわけだ。
●これからGG作家の苦吟がはじまる。
すべて世は事もなし。
いつものルーテン。
11月4日 水曜日
猫ちゃんの風邪はひとにうつるのでしょうかね。
●ブラッキーがわたしの腕の中でクシャミをした。
寒くなって来たので夜は寝床にもぐりこんでくる。
ぴったりと寄り添ってひとりと一匹はこれからの寒い北国の冬を過ごすことになる。
それにしても、猫の風邪はひとにうつるのだろうか。
明け方、こんどはわたし自身のおおきなクシャミで目が覚めた。
右の鼻孔がむずむずしたのでクシャミをしたのだとはじめは思った。
無意識に鼻をホジッテしまう悪習がある。
ホジリスギテ、鼻血をだしてしまうこともある。
マスクをして手袋で完全防備で、寝床にもぐりこむしかないだろう。
室温八度。すこし冬のくるのが早過ぎるような気がるのだが、みなさんはどう感じていますか。若いときは、あまり感じなかったのですが、季節の変わり目が辛いです。
●猫クレイジィだ。
ブラッキーはあいかわらずダニがまだついている。
色々売薬で手当てもした。
獣医さんでクスリをもらってきてつけた。
それでもいまのところ薬石効なく……といったところだ。
わたしも上半身赤いポツポツができてすこぶるカユイ。
それでもブラッキーが甘え声で寝床にもぐりこんでくるのを拒めない。
●世界拷問史で読んだ記憶がある。
痛みよりも痒みにひとは耐えられない。この痒み。わかるような気がする。
やっぱりそれでも猫が好き。痒みの元凶であるブラッキ―を抱きしめて寝ている。つくづく猫クレイジィだと思う。
冬の夜長。
いままで生活をともにした猫ちゃんのことをおもい、涙ぐんだ。
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