第1話 鷲の青年 04
「理由は二つある」
すっかり日も暮れ、ケルウスの起こした火に当たりながら、アクィラ王は切り出した。
それは昼の問いへの答えだった。ケルウスもすぐにそれに気付き、居住まいを正した。
「一つに、私はあの兄王が嫌いではなかったのだ。あの人こそこの国の王に相応しいとすら思っていた。王に相応しくない私が、次王に相応しからざる待遇を受けるのも尤もだと思っていた。私はきっと、王としての兄が好きだったのだ」
「王……」
既に顔に塗られた紅は取れ、髪飾りも、腰布もぐしゃぐしゃに汚れている。アクィラはそれでいいと思った。これでようやく自分は王ではなくなったのだ。
「そしてもう一つ。私にはな、ケルウス、先見の力などないのだ」
「なっ……!」
ケルウスは驚愕から目を見開く。アクィラは炎を見つめながら、これまで隠し通してきたものを吐き出すように一息に語った。
「周囲が勝手に言い出したのだ。まだ幼かった私を見て、「この子は先見だ」と。根拠などなかったのだろう。いや、もしかしたら本当に幼い頃に偶然何かを言い当てたのかもしれないが、それだけだ。私に、先見の力は使えない」
「そんな……。どうして、どうしてそれを兄王に伝えなかったのですか! 伝えていれば貴方は!」
「言って信じるほど単純な人でもないさ、我が兄上は」
ぱちんと炎の中で枝が爆ぜた。新しく薪を足しながらアクィラは黙考し、やがて口を開いた。
「……いや、違うか。怖かったのかもしれない。先見の力すらなければ、兄王は私への興味を失うだろう。私は兄王からの「先見の力を持つ」という評価を失いたくなかった。兄王の視界から消えたくはなかった。兄王の兄弟でありたかった」
言いながら顔を覆う。
「ただの感傷だ。今となってはそう思う」
今やアクィラには、ケルウスの顔を見ることが出来なかった。
「すまないな我が友よ。こんな所にまで付き合わせてしまって。一人で死ぬのは怖かったのだ。たった一人で見送ってくれる者もなく、緩やかに死の淵へ引きずり込まれるのを待つのが、どうしようもなく恐ろしかったのだ」
「……先王のように、ですか」
「ああ、先王のようにだ」
アクィラは背を丸め、揺れる炎を見つめ続けた。ケルウスはそんなアクィラの肩を掴み、強引に視線を合わせた。
「王よ。いいえ、アクィラ。私は、自分で選んで貴方に着いてきたのです。……だから大丈夫です。私だけは絶対に、最後まで貴方とともにありますよ」
アクィラの薄い唇がぐっと引きしめられ、その端がかすかに震えた。
「すまない……」
「はい」
「すまない、ケルウス。……ありがとう」
「……はい」
薪は燃え尽き、星は天の球に沿って廻っていく。すっかり秋の様相を呈したこの「森」も、夜の闇の中ではその色鮮やかさを潜めていた。
「眠い……」
「どうぞお休みください。見張りは私が」
「ああ、すまないな、ケルウス……」
アクィラはケルウスの肩を借り、目を閉じた。
「……夢を見るのだ」
「夢、ですか」
「何かが私を押し流すのだ。何かに辿りつかねばならないと、どこかへ進めと、何かがそう焦らせるのだ」
「どこへ進もうとしているのです?」
「私にも分からない。だが……この「森」はとても落ち着く」
薄く目を開く。星々のかすかな光に照らされた木々の輪郭が黒く影を落としている。
「もしかしたら、それは、この「森」に……」
アクィラ王は夢を見た。
幾度も訪れたあの蠢く星の夢だ。
流れゆく星々を見ながら、アクィラ王は息をしようとした。ごぽりとあぶくが口から溢れる。水だ。と彼は思った。しかし息はできる。見えざる水が臓腑を満たし、アクィラ王は己に身体が無いことに気付いた。水こそが彼であり、星こそが彼であった。境界が曖昧だ。だが不快ではない。元々こうあるべきだとアクィラ王は思った。
違う、とアクィラ王は考えた。口からあぶくが溢れた。星々は流れていた。同じ方向へ。彼もまた押し流されていく。行かなければならない。辿りつかなければならない。何者かの目がこちらを見ていた。それとは異なる彼の意図も感じた。自他の境界は揺さぶられ続けている。口からあぶくが溢れた。私は星に融けていく。
アクィラ王は目を開いた。身体が動く。流れがアクィラ王を押し流していた。
「王!?」
睡魔に負けかけていたのであろうケルウスが慌てて飛び起きるのが視界の端に見えた。
「どうされたのですか」
答える必要性は感じなかった。無言のまま歩みを進める。夜明け近くとはいえまだ薄暗い時間であったが、アクィラ王の足は迷いなくどこかへ向かって動いていた。
どれほど歩いたのか、アクィラには分からない。日が昇り、辺りが明るくなってもアクィラ王の身体は留まることはなかった。
「アクィラ!」
ケルウスの声。腕を掴まれ、無理矢理歩みを止められる。そこでようやくアクィラの意識は呼び戻された。
「ケルウス……?」
「貴方は、やはり先見の……」
「何の話だ? 私は何をしていた?」
「あちらに」
ケルウスが指し示した方へ目を向ける。
まず手が見えた。次に腕に彫られた入れ墨が。身体は仰向けに倒れている。目鼻は落ちくぼみ、骨に張り付いた皺だらけの皮膚からは全ての水分が失われているように見えた。
傍らに転がる武具の模様と、腕に彫られた特徴的な入れ墨。アクィラには見覚えがあった。
「父上……」
先王コルキオスが、変わり果てた姿でそこに横たわっていた。
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