再来

舞台準備

 夏が過ぎ、木々の葉に紅が差し掛かる秋の初頭。

 涼やかな秋風が吹き、頂点に近付いた太陽が城と町を照らしていく。

 ここはシューリン王国城下街。十五年前に先王が崩御し、王位を巡っての争いはあったものの長い時を掛けずに次王が決まってから騒乱とは縁がない穏やかな街だ。

 次王は先王と同じように圧政は敷かず、身分に相応しい税を納めさせ、その点では民からの不満はほとんど存在していない。。

 王族の住まう王城を中心のぐるりと囲うように街が展開しており、街全体に水が行き渡るように用水路が張り巡らされている。

 外壁は高く聳えており、その周りには深い濠が存在し街への侵入を阻んでいる。唯一の出入り口である門は東西南北に一ヶ所ずつ存在し、そこから外へと向かう為に跳ね橋が架けられている。

 街は中央に向かうにつれて住まう者の階級が上がり、一般市民と貴族の棲み分けが為されている。

 一般市民の住居は土壁の木造仕立てであったり、煉瓦仕立ての建物だ。屋根は土瓦で暖炉で発生した煙を逃がす煙突が備わっている。

 貴族の邸宅は三階建ての豪奢な作りのものや、広大な庭園を備えたもの、まんま帆船を利用して住居に改造したものなど様々だ。

 そんなシューリン王国城下街では、何時も以上の賑わいを見せている。

 建国を祝う年に一度の祭りの準備に人々は奔走しているからだ。

 祭りはこれより一週間後、三日に渡って行われる。

 祭りではさまざまな催しが開かれる。

 国一番の実力者を決める武術大会。

 魔法の腕を競う魔術大会。

 一番大きな胃を決める大食い大会。

 美しい歌声を披露する歌唱大会。

 鍛冶屋が今年一番の出来を披露する展覧会。

 そして、古の勇者の歩みを再現した演劇がある。

 この古の勇者の歩みを再現した演劇は、毎年決まった一座が演じている。

 演じているのは流れの旅一座【イルシオン】。

 彼等は一所に留まらず、いくつもの村や街を行き来して大道芸や演劇を見せている。

 その芸や演劇を見た先代の王が直々に彼等に依頼し、毎年古の勇者の演劇を建国の祭りに行っている。

 現在、彼等は演目で使う道具の補修や舞台作りを行っている。

 道具自体は彼等が常に持ち歩いていたり、街に保管されているのだ。かなり年季が入っており、見るからに長い間大切に使われていた事が窺える。

 しかし、大切に使っていたとしても壊れてしまったり欠けてしまったりしてしまう。こればかりはいくら注意しても仕方のない事だ。

 また、舞台は国が以前に建設した劇場を使う事になっている。まっさらな状態の舞台を演目に相応しい空間とする為に張りぼての城や巨岩等の大道具、煙や光を生み出す装置などを準備して設置していく。

 祭りの最終日に間に合うよう、【イルシオン】の団員は総出で補修作業及び舞台作りに勤しんでいる。

「ユレン! 釘持って来い!」

「了解ですっ!」

 呼ばれた少年ユレンは釘がぎっしりと詰まった箱を持って座長の下へと駆けて行く。

 歳は今年で十五。くすんだ黒髪は適度に切り揃えられ、翡翠の瞳の収められている目は少々大きめだ。少し太めの眉はややつり上がっており、鼻はすっと立っている。一見すると華奢な体形と見間違うが、服の下には程よく筋肉がついている。

 彼は二年前、自分の住んでいた村に訪れた一座の演劇を見て感動し、自分もこのような芝居をしたいと憧れて一員となった。

 演劇に関してずぶの素人であったが、本人の素質と向上心、ひたむきな努力の成果が実を結び、今回役者として舞台に立つ機会が訪れた。

 端役の出演と言えども、役者としての初舞台と言う事でユレンは俄然と気合が入った。ただ、相応に緊張もしている。

 今現在ユレンの意識は補修作業と舞台作りに向いており、緊張は影に隠れている。

 補修作業をしていると、正午を知らせる鐘の音が街全体に響き渡る。

「よっし、昼休憩だ! 一時になったら作業再開すっぞ!」

「「「「「うっす!」」」」」

 座長の一声により、団員は声を揃えて作業を中断し、昼食を食べに行く。

 食事は一座の者が日替わりで作る。本日は座長が食事当番であり、作業に取り掛かる前に作り終えていた。

 なので、後は全員に行き渡るように配膳していくだけだ。

 一座の者達は我先にと食事を受け取り、食事場として設けられた簡易スペースに座り、全員が揃った所で食べ始める。

 今日の昼食は厚切りのハムとトマト、レタスにマスタードが掛けられたサンドイッチに赤豆と玉ねぎのスープ、それに小ぶりの林檎が一つとなっている。

 ハムは一度焼かれており、冷めても香ばしい匂いが鼻孔に広がり、食欲を増進させる。トマトとレタスも鮮度がよく、瑞々しくて旨味が強い。ピリッと辛いマスタードがそれらを一纏めにしていい仕事をしている。

 スープは赤豆と玉ねぎ、そして塩と香草のみで味付られている。素材の味は限界まで引き出され、素朴で優しい味わいとなっており心身ともに温めてくれる。

 そして小ぶりだがしっかりと甘い林檎は午後の作業の活力となる。

 昼食を食べ終えた者達は食器を洗い、作業の時間になるまで自由に過ごす。

 演劇の台本を眺め、己や他の者の台詞を確認したりする者。

 複数人でより集まり、雑談に花を咲かせる者。

 軽く睡眠を取って、少し疲れを癒そうとする者。

 照明や音響、舞台装置を作動させるタイミング表を頭に叩き込んでいる者、と様々だ。

 そんな中、ユレンは客席側から作りかけの舞台を眺めている。

 舞台の両端には出番を控える役者や大道具が待機するスペースがあり、その出入り口である舞台袖には幕が下ろされていて観客からは見えないようになっている。

 大道具を設置する為の暗闇で薄らと光る印が舞台の至る所に薄らと描かれており、場面ごとに色分けされている。これによって、幕間のうちにスムーズに移動出来るように工夫がなされている。

「よっ」

「あ、シーンさん」

 ユレンが舞台を眺めていると、団員のシーンが彼に声を掛ける。

 シーンはユレンよりも五つ年上であり、彼と同じように役者として一座に身を置いている。

 少し癖のあるブロンドの髪は頭の後ろで纏め、やや目じりが下がった碧眼、チャームポイントの泣きぼくろに形の良い鼻、唇という甘いマスクで観客(主に女性の観客)を魅了する。

 ただ顔がいいと言うだけでなく、役者としてのスキルもきちんと兼ね備えている。どのような役柄であっても、まさに物語の人物その者とばかりの上辺だけでない迫真の演技を披露する。

 美形であり、演技も申し分なし。シーンは【イルシオン】の花形だ。

 故に、ここ最近の建国の祭りで行われる演劇ではシーンが勇者の役を担っている。

 ユレンもシーンの演技や演劇に対する姿勢を尊敬にしており、何時かは自分の彼のようになりたいと日々努力をしている。

「どした? 舞台なんかずっと見て?」

「あ、いえ。俺もようやく舞台に立てるんだと思うと、こう、感慨深くなっちゃって」

「あぁ、成程ね」

 ユレンの言葉に、シーンは腕を組み、納得して何度も深く頷く。

「その気持ちはよっく分かるぞ。俺もそうだった。初めて役を貰えた時、自分が立つ舞台を目にした時は遂に自分も役者として一歩踏み出すのかってな」

「そうだったんですか」

「あぁ。だが、同時に責任と言う重石ものしかかってきた。俺なんかが本当に出来るのか? 大丈夫なんだろうかって、不安になったりもした」

 シーンは当時の事を思い出し、苦笑を薄らと浮かべる。

 当時の自分は変に気負ってしまっていた。もう少し気を楽にして臨めていれば、もっといい結果になっただろうと今でも思ってしまう。

「見た所、ユレンは不安になったりはしてないみたいだな」

「今は不安よりも緊張が勝ってますね」

「そうかそうか。まっ、それも一座の誰もが通る道だ。それを経験して、一座の一員として更に一皮むけるってもんだ」

 事実、シーンも不安や緊張を経験し、今の自分を築く事が出来たのだ。それらは決して負の要因というだけではなく、自身の成長へと繋げる正の要因でもあるのだ。

「ただまぁ、緊張し過ぎるってのもあれだからな。先輩としてユレンに俺の自論を元にしたアドバイスを一つしよう」

 シーンはユレンの肩に手を回し、彼の前に人差し指を立てた手を持って行く。

「あまり気負わず、気楽に行け。成功させなきゃと力んじまうと逆効果だ。力んじまうと変な所で変な事になってお粗末な出来になっちまうからな。成功させなきゃと思う心は何処かにぶっ飛ばせ」

「でも、それで失敗したら元も子もないんじゃ」

「そん時は、俺達がフォローするさ。実際、失敗したなんてのは観客には分からねぇんだ。台本ねぇしな。今年はこんな演出か、何時もと違って新鮮だ、って思って貰えば御の字ってもんだ」

「そういうもんですか?」

「そういうもんだ。いいか? 演劇ってのはな、ただ見せるものじゃなくて、人を魅せるものなんだ」

「人を、魅せる……」

「あぁ。ただ芝居を見せるだけなんてのは子供にも出来る。でも、ただ見せるだけじゃ駄目なんだ。演劇ってのは、見る人を物語の中に引き込み、臨場感を与え、共感させるものなんだ。そうする為には漠然を演じるだけじゃ駄目だ。きちんと自分を役に落とし込み、それでいて自分らしさを活かせ」

「自分らしさを活かす、ですか」

「そうだ。で、自分らしさを活かすのには自然体が一番なんだよ。自然体であれば、劇は単なる作り物としてではなく命が吹き込まれたものになる。そして他の役者との掛け合い、照明や音響、舞台装置の効果と相まって人を魅せるものに変貌するんだ。で、例え失敗しちまっても、それを最大限利用して人を魅せられるものにすればいいんだ」

 言い終えたシーンは軽く息を吐くとユレンの反応を待つ。ユレンはシーンの言葉をかみしめるように何度も心の中で反復する。

 ただ見せるのではなく、魅せるものにする。

 ユレンは【イルシオン】の劇に魅せられたからこそ、彼は憧れて【イルシオン】の門を叩いたのだ。

 魅せる為には、ただ漠然と演じるだけでは駄目だ。それ自体はユレンも分かっていた。

 しかし、そうなると自分らしさとは何なのだろう? と疑問が湧き上ってくる。

 顎に手を当て、眉間にしわを寄せて考え始めるユレンに、シーンはやってしまった、と額に手をやる。

「あー、何か難しい顔してっけど、そこまで難しくとらえなくていいんだぞ? 要は気負わずに気楽に自然体で行けって所に要約されてっから。後半の長々したのは俺の自論だから参考程度でいいんだぞ?」

 アドバイスのつもりが余計な事を言ってしまったが為にユレンを混乱させてしまった。シーンはユレンの頭の中から自身の語った自論を忘れるよう進言する。

 と、その時街全体にまた鐘の音が響く。

「うっし、休憩は終わりだ。お前等! 作業再開すっぞ!」

「「「「「うっす!」」」」」

 それを合図に座長が全員に作業再開の号令をかける。

「ほれ、一旦その事は忘れて作業しに行くぞユレン」

「あ、はいっ」

 ユレンはシーンに促され、一度頭の中から疑問を消して舞台を完成させる為に作業へと戻っていく。

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