声を失くした少女

「ハーブティーとか、お好きかしら」

「えー? 紅茶はあんまり飲まないけど。でも飲んでたらさ、すごい大人って感じがしていいなぁ、憧れるよねぇ」

「じゃあ飲めるようになりましょうよ。ほらこれ。良い匂いでしょう」

「ホントだぁ。なんか、リフレッシュできそう」

「あなた、銀行に勤めていらっしゃるんでしょ? 仕事終わりに一杯、疲れた身体に染みわたって、よく効くわ。すっきりするわよ」

「えー、そう? かすみんが言うなら、飲んでみようかなぁ……」


    ◆◆◆


 富広中学校は現在、事態の収束に忙しい。

 あるクラスの女子生徒が自殺したかと思えば、間を置かずに同じクラスの委員長の自宅が全焼。父親である男性教諭とその妻、そして男性教諭の愛人と噂されていた女が死亡した。女がガソリンの入ったタンクを持っていたことから、警察は痴情のもつれによる放火事件と判断。この件は被疑者死亡として処理されることになったという。

 ちなみに火事現場の近くでは、当該クラスの一員である男子生徒が火傷を負っているところが発見されていた。命に別状はないらしいが、本人の回復を待ってから話を聞いたところによると、男子生徒は委員長に対してかなり深い恨みを抱いていたようだ。

 自殺したクラスメイトの女子生徒に、恋愛感情を抱いていた。職員室で担任と委員長が話をしているところをたまたま目撃したことで、彼女が死んだのは委員長のせいだと思い、どうしても許せなくなった。だから騒ぎに乗じて、トイガンを使い委員長を殺害しようとした――……そう、彼はあっさり自身の行動を認めた。

 その委員長は、火事の焼け跡から遺体が見つかることなく、実質行方不明の状態となっている。近々、親族が捜索願を出す予定だという。

 また、周囲からの聞き込みと、とある生徒の匿名による証言から、さらに以下の事実が明らかになった。

 先の自殺した女子生徒が、クラス内で起こっていたいじめに加担しており、何らかの裏切りにより仲間グループから返り討ちに遭っていたこと。その『返り討ち』に何らかの形で委員長が関与していたらしいこと。

 そして――これは、富広中学校と直接関係のない話だが――死亡した愛人女の実家である花屋が、とあるトラブルを起こしたことにより、人知れず閉店していたこと。

 問題のクラスは現在、学級閉鎖になっている。他の生徒や教師たちにも、必要があればカウンセリングを受けさせているようだ。

 少し環境が落ち着けば、追々いじめその他に関する指導を学校全体で行う予定であるという。


「――ってな感じなんだけどさ」

「ふぅん。お前にしては、よくまとめられた記事なんじゃないの」

 居酒屋のカウンターで、週刊誌を読んでいた亮太が顔を上げた。その隣では、記事を書いた張本人である記者・忍海がニヤニヤと誇らしげに――いや、至極憎たらしげに笑っている。

「最近見たゴシップ記事の中では、一番マシなんじゃないかな。今までこじつけ多かったし」

「今までだって全部、ホントのこと書いたよ。俺が嘘吐くわけないだろ」

「どの口が言うんだか」

 軽口を叩き合いながら、腐れ縁同士、酒を酌み交わす。

「それにしても……」

 忍海が世間話のついでに呟く。本当はもっと言いたいことや、気にかかっていることがあったのだが、亮太がそもそも取り合わなさそうだと思ってやめたのだ。

 例えば――そう、例えば。

 以前副島の葬儀の時に気になると発言したことのある、新藤香澄とかいう黒いワンピースの女。

 彼女が件の富広中学校に教師として勤務しており、さらに火事の起きた家に頻繁に出入りしていた形跡が確認されていること、とか。

「ニュース見たけど、最近の中学生がやるいじめってかなりえげつないんだな。性的なのもかなり含まれてたらしいじゃん」

 つい口を出そうになったことをどうにか抑え、別のことを告げると、亮太は途端に表情を曇らせた。理由に心当たりがある忍海は、それに気付くと、あからさまにしまったという顔をする。

 ――そうだ。亮太の前では、これ・・もまずかった。

「悪かった、お前にこの話は振るべきじゃなかったな」

 話題選びを間違えたことに言ってから気づき、忍海ははぁ、と小さく溜息を吐く。亮太は感情の読めない笑みで、ゆるりと首を横に振った。

「別にいいよ。今更」

 ――そうだ。今更、思い出すようなことじゃない。

 だって『あのこと』があってからもう、十年以上も経っている。それだけの年月が経てば、亮太だってもちろんいい大人になったし、心の整理だってあらかたついてきているはずなのだ。

「でもさ、宮代」

 コトリ。グラスをカウンターテーブルに置き、忍海がじっと亮太の顔を覗き込む。揺れる瞳は酔いが回ったせいか多少泳ぎ気味で、いささか焦点が合いづらい。

 押し殺した声で、忍海はずっと心に引っかかっていたことを告げた。

「……お前、本当は」

 それだけで、亮太には読めたようだ。

「んなわけないだろ」

 視界から全てをシャットアウトするように閉じた瞼の裏に、今ごろ家で待っているであろう少女の、あどけない笑顔が浮かんだ。

「あれは、もう終わったことだ」

 噛んで含むような、ゆっくりとした呟き。

 それは忍海への言い訳というよりは、揺れる自身の心へと言い聞かせているようであった。


    ◆◆◆


 ようやく初七日が終わった。とはいえまだまだ三十五日と四十九日、そして百箇日が残っているので、落ち着くことはできない。

 佐川家の法要を執り行うために各地を奔走しなければならないのは、瑠璃たち親戚連中である。何せ主である佐川だけでなく、その妻である律子までいなくなってしまったのだ。一人娘の帆波に至っては行方さえ知れない。いずれ、捜索願の一つも出さなければいけないだろう。

 さらに間の悪いことに、家ごと消滅したものだから、他に人もいなければ場所もない。仕方ないことだとは思いながらも、ほんの少しだけ面倒に感じてしまう。

 そういった家内でのごたごたと、相変わらずの仕事の忙しさにかまけながら、瑠璃はそれまで心に燻っていたマイナスな感情を、全て忘れてしまおうとしていた。

 黒いワンピースの女は、近頃夢にまで現れる。

 瑠璃にとってたった一人の恋人の――亮太の腕を、薄手の黒い袖に包まれた、細い腕が捕らえる。

 蔦が絡みつくように、するすると。毒蜘蛛さながらに妖しく。卑しく。

 ぞっとするほどに、美しく。

 亮太はその腕を振りほどくことなく、むしろ歓迎するかの如く、くびれのある細い腰をそっと引き寄せる。

 瑠璃は恐ろしくなって、顔を上げる。にぃ、と真っ赤な唇を吊り上げた女と、瑠璃の恋人であるはずの男が、瑠璃そっちのけで見つめ合っている。二人の世界へ、飛び立とうとしている。

 女の――香澄の勝ち誇った顔と、彼女の姿をうっとりと愛でる恋人の、顔が近づいていく。唇が触れる前に、顔同士がじわりと溶けて、ゆっくりと時間を掛けて混じり合う。景色もろとも、ぐにゃりとマーブル模様に空間が歪む。

 やがて二人の顔が完全にミックスされてしまうと、見覚えのある、あの・・少女・・の顔が浮かび上がる――……。

 そんな夢を毎日のように見るせいか、最近は眠りが浅くて仕事に集中できない。銀行の窓口業務にだって、それなりの責任はある。こんなことでは示しがつかないと、わかっているのに。

「瑠璃、顔色悪いよ」

 カウンターに並んで座っていた隣の同僚が、心配そうに声を掛けてくれる。ふわ、と漂う香水の匂いが、夢の中で常に感じる謎の腐臭と混じり合う。そんなありえない錯覚に陥り、瑠璃はほんの少し吐きそうになった。

 そんなこと、おくびにも出さないけど。

「大丈夫? 何かあったの?」

「うん……ちょっと、家の方で色々あって」

「そっか……疲れてるんだね。大変だね」

 眉を下げる同僚の言葉からは、気遣うようでいて、どこか自分には関係ないことだからと冷たく突き放したような印象を受ける。他人同士なんて――特に女同士の付き合いなんて、所詮はこんなものだ。

 と、少々冷ややかに考えている瑠璃の肩を、先ほど休憩から戻ったらしい先輩行員がポン、と叩く。

「なーに、瑠璃ちゃん。最近しけてんねぇ」

 彼女はもともと明るい性格だが、近頃はテンションが少々高すぎるのではないかというくらい底抜けに明るくなった。

「ちょっと静かにしてあげてくださいよ。瑠璃、最近疲れてるんですって」

「えー、疲れてる?」

 話を聞いていた同僚が、言外に咎めを入れても、まともに取り合う様子はない。まぁ、もともとそういう無神経な人なので、気にはしないが。

 そのままの流れで、先輩は瑠璃の肩を親しげに抱いた。すっきりとした香りが、鼻腔を掠める。

「そういう時はお茶でも飲んで、リラックスする時間を取るといいよ。仕事の合間とか、ほんの十分程度でも時間取るだけで、頭スッキリするよ」

 おちゃらけていそうな彼女から発された、意外にも普遍的で感心できる回答に、瑠璃は内心驚いた。

 そんな瑠璃に、先輩は本人いわく最近のイチオシだというハーブティーを分けてくれた。最近知り合った友人が薦めてくれたのだという。

 無印良品か何かなのか、パッケージは至ってシンプルなものだ。ハーブティーというからには、ローズヒップとかジャスミンティーとか、そういう定番のお茶を想定していた瑠璃は、思わず怪しげに顔をしかめてしまった。

 しかし先輩はそんな反応などものともせず、突き返す間もなく「じゃ、飲んだら感想教えてねぇ」と言い残し去って行ってしまった。

「まったく……ってかこれって、どこのブランドなんだろ」

 うさんくさいなぁ、などとは思いつつも、頂き物なので一応持って帰ることにする。

「瑠璃、それホントに飲むの? 明らか怪しいんだけど」

「無印良品じゃないかな。別に、大丈夫だと思うよ」

 それに、先輩から貰ったものを無下にできるわけないしね。

 同僚が心配そうに見てくるのを、苦笑交じりに受け流す。

 微かにハーブのすっきりとした香りが漂う、銀紙で出来た簡素な袋を、瑠璃は無意識に大事そうな手つきで、鞄の内ポケットにしまいこんだ。

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