【掌編集】タイムトラベラー 他

卯月

タイムトラベラー 他

タイムトラベラー

「俺は、タイムトラベラーだよ……二十年後から、お前を殺しに来た、な」

 部屋の壁に寄りかかると、俺は荒い息を吐いた。死病を背負い込んだ身体には、今の格闘は少々辛かった。だが、これで全てが変わる筈なのだ。

 目の前の床には、俺がたった今殺した男が転がっている。男の名はライオネル・ハミルトン――俺の父だ。


 父は、親譲りの財産で働かずとも贅沢できる金持ちだったが、人間的には最悪だった。もともと偏屈だったようだが、結婚してからその度を増し、僅かな友人との交際も一切絶ってしまう。使用人も最低限を残して辞めさせ、その最低限すら次々首にしては入れ替えた。全ては、自分より十も若く美しい妻ガートルードが浮気するのでは、との猜疑心に駆られてだ。

 俺が生まれてからは、酒を呑んで酔っ払っては暴力を振るうようになった。「エディには手を出さないで」と懇願する母を突き飛ばし、「どうせ俺の子じゃないんだ」と言いながら俺を殴る父。嵐が去った後、泣きながら「こんな筈じゃなかったのに」と言うのが母の口癖だった。謂れのない疑いをかけられ、どんなにか辛かったことだろう。結婚写真では華のように微笑んでいた母は、俺が十のとき、枯れ木のようにやせ衰えて死んでいった。

 父は賭博にも手を出していた。父が死んだのは母の死の四年後、酔って行き倒れるというくだらない死に方だったが、その頃にはハミルトン家の財産は喰い潰されていた。俺は身一つで世間の荒波に放り出され、それでも必死に働いて、二十歳まで何とか生きてきた。

 だが――

 「お気の毒ですが」という、医者の言葉。俺の人生は、いったい何だったんだ?


 航時局から、タイムトラベルが一般に解禁される、というニュースが流れたのは去年のことだ。もちろん相当に金のかかる道楽で、自分には関係ない話だ、とそのときは聞き流していた。だが、医者に余命三ヶ月と宣告された俺は、病状を隠して借金し、トラベル費用を捻出した。

 そして俺は二十年前、自分が生まれた直後の時代に、飛んだ。

 ここで父を殺せば、きっと全てが変わる。俺も母も、父に殴られたりしない。母が死ぬこともなく、屋敷で二人幸せに暮らしていただろう。そうすれば、俺がこんな病気に罹ることもなかった筈だ。

 同行してきた航時局の係員を撒くと、ハミルトン屋敷に向かった。父が死に俺が追い出される頃には相当荒れていたが、この時代ではまだ小奇麗だ。だが、人の気配がないのは相変わらずで、俺は易々と、勝手知ったる屋敷内に忍び込んだ。

 父は一人、鍵のかかった書斎にいた。父が鍵を開けて部屋を出ようとした瞬間、俺はナイフをかざして踊りかかった。刃は相手の腕を傷つけたが、そんな程度で殺せはしない。「誰だ!」と叫んだ父ともみ合いになり――父の身体に馬乗りになり、腹にナイフを突き立てたときには、へとへとになっていた。

「誰だ、か……」

 薄笑いを浮かべながら、立ち上がる。

「俺は、タイムトラベラーだよ……二十年後から、お前を殺しに来た、な」

 部屋の壁に寄りかかると、俺は荒い息を吐いた。死病を背負い込んだ身体には、今の格闘は少々辛かった。だが、これで全てが変わる筈なのだ。

 ――不意に、激しい咳き込みが俺を襲った。

 ナイフを取り落とす。口を押さえた手の指の間から、鮮血が溢れた。壁に寄りかかったまま、ずるずると床に座り込む。そのとき、

「ライオネル? 何の騒ぎ?」

 母の声だった。慌てて隠れようとしたが、壁沿いに二メートルほど這って力尽きた。母は、開いていたドアから室内を覗き、血塗れの父を見て悲鳴を上げる。

「……ク、クロード! 早く来て!」

 その声を聞きつけて、誰かが駆けつけてきた。

「どうなさいました、奥様」

 使用人らしき男が書斎に入ってくる。俺の存在に気付かれたが、俺は力ない目で見返すだけ。男は、父が事切れていることを確認し、冷静な声で告げた。

「旦那様は殺されています。犯人は、恐らくこの男」

 男が指差し、母は俺を見て息を呑んだ。

「警察を呼びます、奥様」

「……駄目よ!」

 意外なことに、母は拒否した。

「今、彼が死んだとわかったら、ハミルトンの親族が財産を持っていってしまうわ。死体を隠すのよ。もともと誰とも会わない人だもの、死んだことだって誤魔化せる」

「し、しかし、犯人はどうするんだ」

 母の言葉は、男にも意外だったようだ。冷静な態度が崩れ、言葉遣いが変わっている。

「殺して。ライオネルと一緒に庭に埋めるの」

 母の言葉に、俺は耳を疑った。

「ガートルード、さすがにそれは……」

 ためらう男に、華のように微笑んで母は言った。

「そうだわ。あなたが整形して、ライオネルになりすますの。そうすれば、ハミルトン家も、私も、あなたのものよ、クロード」


『どうせ俺の子じゃないんだ』

『こんな筈じゃなかったのに』

 ――そういう、ことだったのか。

 俺は、自嘲の笑みを浮かべた。

 覚悟を決めたらしいその男が、ナイフを拾い、ゆっくりと、俺に近付いてくる。

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