第9話 小学校4年生 お泊まり

 泊まりっこ。お互いに相手の家にお泊まりすることで、俺と春香は何回もお互いに泊まりっこをしていた。


 今日は春香のお誘いを受けて、春香の家にお泊まりに来ている。


 春香も一人っ子だったせいもあって、ちゃんと自分の部屋がある。父親はとある商社の課長で、母親は近所のスーパーで働いている。

 春香の部屋は女の子らしく、柔らかい色の壁紙に女の子や動物の人形がたくさん並んでいた。本棚には、ルイス・キャロルの『不思議な国のアリス』やメーテルリンクの『青い鳥』、サムイル・マルシャークの『森は生きている』など様々な童話が揃っている。図鑑が少ないのはやっぱり女の子だからだろうね。


「ねえ。なっくんがお父さん役で私がお母さん役ね」


 そう。春香の家にお泊まりに来ると必ず夫婦ごっこをするのが恒例となっていた。結局、誰とも結婚することはなかったから、なんというかこういう甘あまな雰囲気は、子どもとはいえ照れくさい。

 今日は人形を子供役にするわけでもなく、新婚夫婦のつもりでごっこ遊びをするらしい。


 春香が小学校で配られた日本地図を持ってきた。


「あなた。新婚旅行はどこにする?」

「えっ? そうだなぁ。春香は日本がいいの?」

「うん。外国は言葉がわからないから怖いの。……ね、沖縄とかどう?」


 文化人類学および考古学者としてアジアから北米を動きまくった俺は、英語も中国語も話すことができる。けれども、そんなことを春香に言うわけにはいかない。


「ああ。沖縄いいねぇ。……春香はやっぱり結婚式は6月がいいの?」

「え? えへへ。そうだなぁ。別に6月じゃなくてもいいかな」


 そういって春香は再び日本地図を見る。

「北海道もいいけど。やっぱり綺麗な海が見たいな」


「……そうだね。沖縄で本島だったらスノーケーリングとかさ、美ら海水族館とか、コテージでホテルをとってさ、サンセットクルーズとかいいよね」

「う、うん。なっくん、よく知ってるね」

「あはは。離島だったらさ慶良間ケラマとか海が綺麗だぞ。どっちも捨てがたいなぁ」


 沖縄の地図を指で示しながらそう言うと、春香は頬を赤く染めて、うんうん頷いている。


 俺は指をずっと北へとずらして北海道を指す。


「北海道もいいぞ? 箱館の夜景は綺麗だし、冬だったらトマムとかでスキーもいい。洞爺湖とうやこ登別のぼりべつの温泉もいいし、旭川の雪の美術館や動物園もいいんじゃない?それに、タイミングが難しいけど初夏の富良野ふらのとか美瑛びえい町の丘も素敵だよ。お肉も魚もおいしいし、俺個人的にはジンギスカンって好きなんだよね。……あ、そうだ。新千歳空港のレストランの鮭の親子丼なんて最高だぞ!」


 俺が夢中になって北海道の見どころを説明していると、春香は鼻息も荒くうんうん言っている。「いいね。北海道いい!」


 うれしそうな春香の様子を見て、俺は箱根を指さした。「ここの箱根もいいよ」「箱根?」

「そう。ここにはさ。強羅ごうらの嵯峨沢館とかの素敵な温泉宿があるしさ。そういえば伊豆もマリンスポーツもあるし近くていいよ」

「ふむふむ。なるほど~」

「まあ、これくらい近かったら別に新婚旅行じゃなくてもいいけどね」


 俺は日本地図を裏返しして世界地図を広げる。この時期なら、ちょっと中国は危ないか?


「海外だったらさ。アメリカの東海岸だったらニューヨーク。怖いイメージあるかもしれないけれど、やっぱりいいよ。……西海岸だったらサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジとか、ロス・アンジェルスとかさ」


 まあ、あと何年かすれば、とあるニューヨーク市長のお陰で治安がかなりよくなるんだよね。


 そんなことを話していると、俺自身も夢が広がるし春香も楽しそうだ。……将来、大人になった春香と一緒に、国内も海外もあちこち訪れる。それって素敵な夢だよな。

 そんな幸せな夢を思い描きながら、俺は春香と一緒に地図を見ながら色んな話をした。



「夏樹くん。……おじちゃんと一緒にお風呂に入ろう」


 その日の夕方、みんなでホットプレートで焼き肉を食べ、これからお風呂というときに、春香のお父さんがそう言ってきた。

もちろん、俺は断ることもなく了承した。


 ガラガラッ。

 浴室の引き戸を開けて中に入る。春香の家のお風呂は俺の家のお風呂よりも狭いが、子供に戻った俺にしてみれば十二分に広い。


 さっそく湯船につかると、おじさんも浴槽に体を沈めた。

 あふれたお湯が洗い場に一斉に流れていきプールのようになる。


「いつも春香と遊んでくれてありがとうな」


 おじさんがそう言った。俺は頭を横に振る。

「いいえ。おじさん。俺の方こそ春香ちゃんと遊んでもらってて嬉しいです」

 そういうと、おじさんが嬉しそうに破顔した。


「あはは。そうか。それはよかった。……なんだか、夏樹くんが春香と結婚してくれるような気がするんだよね」

「えっ。いきなり何を言うんですか」


 おじさんの言葉に俺は思わずそう言ってしまったが、おじさんはニヤニヤとしている。きっと子供が照れてると思っているだろう。


 その時、浴室の引き戸がガラガラと開いた。


「私も入る~」


 入ってきたのは春香だった。俺は慌てるが、それを見ておじさんが笑った。


「あはは。春香。ほら夏樹くんが照れてるよ」

 そういうと、春香はちょっと恥ずかしそうにしながら浴槽に入ってきた。


「もう。なっくんがそうだと、私も恥ずかしくなっちゃうよ」

 まあ、この頃は一緒にお風呂も入っていたはずだから、いきなり恥ずかしがるのも変だろうな。


 けれども……。俺は春香をちらっと横目で見る。4年生になって胸も少し膨らんできて女の子らしくなった。まあ、これで意識しちゃったらロリコン認定されちゃうだろうが。



「お父さん。背中を洗ってあげる」

 春香がそういうと、おじさんは嬉しそうに湯船から出るとイスに座った。春香も浴槽から出ると、健康タオルにボディーソープをつけて泡立てると、おじさんの背中をごしごしとこすった。


 俺は浴槽からその様子を眺めている。背中をこする春香のおしりがぷるぷると震えている。……はっ。今、俺は何を? 違うぞ! 俺はロリコンじゃない。これは春香だからだぞ。

 自分で自分にそんなことを言い聞かせる。


 背中を洗い終わると、春香は手桶にお湯をくんでおじさんの背中を流した。おじさんは気持ちよさそうにしている。


「はあぁぁ。いきかえるぅ。……春香。ありがとうな」

「うん。お父さん」

 そのままおじさんが春香から健康タオルを受け取ると、背中以外を順番にごしごしと洗う。


 春香は再び浴槽に入ってきた。

「えへへ。なっくん。……えいっ」

 春香はそういうと手で水鉄砲をつくって、俺の顔にお湯を引っかけた。「あぶっ」

 俺は思わず変な声を上げ、お返しとばかり春香にも手で作った水鉄砲でお湯を引っかける。「ひゃう!」

 しまいに俺と春香で水鉄砲の応酬となった。


「あはははは」


 おじさんはそれを見て愉快そうに笑っている。……うん。これは夕飯の時のビールのせいもあるだろう。

 おじさんが体を流し終えて浴槽に入ってきた。

 俺と春香は二人とも出て、順番に体を洗ったり頭を洗ったりした。


 お風呂に上がりパジャマに着替える。


 今日は土曜日だから明日は休日だ。俺の布団はいつもどおり春香のベッドの脇に敷いてあった。

 9時までテレビのバラエティを見て、歯磨きとトイレに行き、おじさんとおばさんにお休みの挨拶をする。


 春香と一緒に部屋に戻ると春香はベッドに入った。俺は部屋の明かりを小さいのにして布団に入り込む。

 ……ううむ。なんだか落ち着かない気分がする。


「ねえ。なっくん」

 上のベッドから春香が顔を覗かせた。


「どうした?」「う、うん……」

 春香が言いよどむ。「あのさ、そっち行ってもいい?」「へっ?」


 俺が何かを言う前に、春香はベッドから降りて布団に潜り込んできた。おいおい……。


 近い位置から俺の顔をのぞき込んで、春香が照れくさそうにしている。「うふふ。なっくん。」

 春香は俺の名前を呼びながらぴったりとくっつくと、くんくんと匂いをかいでいた。……なぜ?


「お、おい。春香?」

 俺はすぐ横の春香の顔を見ると、春香はえへへと笑う。


「なっくん。大人になっても一緒にいようね。……大好き」


 最後の一言は消え入りそうな小さい声だったが、俺の耳にはしっかりと聞こえた。


「俺も大好きだよ」

 同じように小さい声でいうと、春香は嬉しそうにほほえんだ。


 それから話らしい話もすることなく、俺たちは一つの布団で眠りに落ちた。

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