第2話 懐かしい夢
「ねえ。なっくん。大人になったら結婚しよ!」
突然、目の前に小学校低学年の女の子が現れた。キラキラした目で俺の顔をのぞき込んでいる。
あ、あれ。どこかで見たような……。ええっと、春香?
「う、うん。いいよ。春香ちゃん」
映画を見ているように遠いところから男の子の声が聞こえる。女の子はうれしそうに破顔した。
「やった! ね、約束だよ。約束」
「うん。はい。ゆびきり」
そういって右手を差し出すと、自分の手がちっちゃくなっている。ああ、これはもしかして……、子供の頃の夢か。
小さな小指と小指をからめて指切りをする。終わって手を離すと、女の子は自分の小指を幸せそうに見つめていた。
その時、初夏の爽やかな風が俺たちを通り過ぎていった。少し湿った緑の匂いを含んだ風が木々を揺らしながら吹き渡っていく。
「うわぁ。気持ちいい風。ね、なっくん。今日はここまできて良かったね」
振り返った春香が町並みを見て気持ちよさそうに言う。
さっきまで気がつかなかったけど。ここは裏山にあるお寺の境内地だ。見晴らしがいい高台になっていて街を一望することができる。優しい年配のお坊さんと奥さんがいて、学校帰りの子供たちがよく遊びに行っていた。
そうか……、ここはあそこの桜の木の下だ。小さい頃は春香とよくここで秘密基地ごっことかしたなぁ。それ以外にも春香は俺とおままごとをするのが好きだったっけ。
目の前には晴れ渡った空に、一列に白い雲がぽこぽこと浮いている。眼下の手前には小学校があり、家並みがずっと続いていて、ところどころに家と家のすき間を埋めるように田んぼが見えた。
うん? まてよ……。ということは、この夢は春香がよく言っていた約束の場面か?
思い出すと、懐かしいやら恥ずかしいやら。……でも、もう春香はいないんだ。
不意に小さい春香が振り向いて俺の手を握った。
「ねえ。なっくん。もし私がどこか遠いところに行っちゃったら……、探してね。私、なっくんが来るのをずっと待ってるから」
「う、うん。でも春香ちゃん。遠く行っちゃうの? ずっと僕と一緒にいようよ。ね?」
「えへへへ~。そうだよね。なっくん。ずっと私たち一緒だよね」
ああ。結局、俺の方が遠くに行っちゃったんだよな。……いや、今は春香の方が遠くに行っちゃったか。
高校を卒業して今まで、とうとう彼女をつくることはできなかった。こうして夢を見るってことは、心のどこかで春香を探していたのだろうか。
「ああ、やっぱりきちんと告白しておけばよかったのに」
耳元で大人になった俺の声がする。その声と同時に小さい頃の夢はぷっつりと消え、俺の意識は闇へと溶け込んでいった。
――――
「お~い。夏樹。起きてるか?」
ドアをどんどんと叩く音で俺は目が覚めた。父さんの声だ。
「あ、おはよう。父さん」
ベッドの中から廊下の父さんに返事をすると、「ご飯できてるぞ。……もう少ししたら仕事に行くから顔だけでも見せろよ」と言って階段を降りていった。
俺は、ベッドの中から身を起こして大きなあくびをする。ふとのばして右手の小指をながめた。
……見つけて、か。
「ふい~。じゃ、着替えて行きますか」
誰ともなしにつぶやいて、Tシャツとジーンズに着替え、階段を降りていった。そのまま洗面所に行って寝ぐせを直してから台所に向かう。
「おはよう」
朝の挨拶をしながら部屋に入るとすでに父さんも母さんも朝食を終えていて、父さんは新聞を開き、母さんは片付けを始めていた。
父さんの向かい側に朝食が用意されている。
「昨日は遅かったみたいだが、大丈夫か?」
イスに座ると、新聞をたたんだ父さんが聞いてきた。
「うん。大丈夫。まあ東京から新幹線で2時間くらいだしね」
「そうか。ま、久しぶりに帰ってきたんだ。ゆっくりしていけ、な?」
「うん。ありがとう。父さんはもう仕事?」
イスから立ち上がった父さんに声を掛けると、父さんはやれやれと肩をすくめた。
「連休だってのにな。若い連中が軒並み休むから育児が終わった老兵の出番だとさ」
「ぷっ。老兵だって、いつの言葉さ。……ま、がんばって」
俺がそう言うと、「確かにな」と笑いながら父さんは歩いて行く。
「あ、そうだ」
廊下に出たところで父さんが振り向いた。
「今晩は早めに戻ってくるから、みんなで外に食べていこう。……お前も成人したんだ。お酒も少しはいけるんだろ?」
そういって父さんは口元で手をくいっとする仕草をした。俺は片手を挙げる。
「もちろん。……じゃ、いってらっしゃい」
「ああ、じゃあな」
ドアの向こうに消えた父さんは、そのまま玄関の方へ向かったようだ。
朝食はトーストに目玉焼き、そして、サラダが少しついている。朝食はパン派な我が家におけるオーソドックスなメニューだ。
「ほい。牛乳とコーヒーとどっちにする?」
冷蔵庫を開けた母さんが聞いてきたので、「う~ん。コーヒー」と返事をする。
そのまま冷蔵庫のドアを閉めた母さんは、食器棚からマグカップを取り出すとコーヒーメーカーからコーヒーを注いだ。
コーヒーの香りがただよってくる。
「さてと、洗濯物してくるから、ちゃきちゃき食べてね」
そういって母さんはコーヒーを置いていくと、脱衣所の方へと歩いて行った。
久しぶりの実家の朝。一人の朝が板についてきていたから、なんだかノスタルジックな気持ちになる。
あんな夢を見たからかな。……そうだ。久しぶりに裏山のお寺に行ってみよう。
朝食を終えて食べ終えた食器を流しの洗い桶につけておく。そのまま部屋に戻り際に、洗濯物を持った母さんに会った。
「これ終わったらパートに出るけど、あんたはどうする?」
「ああ、じゃあ、俺もぶらぶらと出るよ。鍵は持ってる」
「わかった。それなら昼はそっちでやってちょうだい」
そういうと母さんは洗濯物を持って奥に歩いて行った。
「わかったよ」
その背中に声を掛けると俺は階段を上った。
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