陸の刻

 「前川まえかわ先生は紹介はいらないわよね?」


麻宮あさみやの言葉に前川は苦笑する。


「まあ担任だしなぁ」


秋華あきかは顔見知りである前川を見てホッとする。

双子も顔は知ってはいたが、殆ど会話もなかったのだ仕方ないだろう。

静流しずるはそんな秋華を見て、なぜだか心がささくれ立つような気がした。


皆、思い思いの所に座ると、さっそく麻宮は用件を切り出した。


「さて七霧ななきりさん。 貴女にお願いがあるのだけれど」


前川はそんな麻宮になにか言いかけたが、目線で制されとりあえずは状況を見てからと口を閉じた。

そんな前川に一つ頷いてから、秋宮は話し出す。


「私達は、この学校で起こる怪異な問題を解決する組織に属しているの。 貴女が先ほど見たような悪霊と呼ばれる存在とかね? そういった物を除霊もしくは退治するのが私達の仕事。 それでね、貴女にもぜひ協力してもらいたいの」


「はい、わかりました」


「こんな事すぐには決められないとは思う。 でも貴女には力がある。 その力をぜひ…… えっ? わかったの? OKってこと?」


どうやって説得しようか、勢いこんで話し出したたというのにすぐに了承されてしまい戸惑う。


「お、おい。 七霧、いいのかそんな簡単に決めちまって」


しばらく黙っているつもりだった前川だが、さすがに口を出した。


「は、はい。 あの空ちゃ、保護者から言われていたんです。 お前はこの学校で危険な目にあうかもしれないって。 その時、学校のある組織から協力を要請されたら受けろって。 それが助かる近道だって」


志乃しのはそんな彼女に違和感を覚えた。

だってそうだろう? どんな危険があるのか分からないのに、保護者に言われたからといって迷う事なく頷けるだろうか? 少なくとも自分には出来ない。

この子はなにかおかしいと、そう思うのだ。

そしてそれは、双子である静流も感じている事はすぐに理解できた。

素早く視線を交わし合うと、志乃はこれからの事を話している麻宮と前川の会話に割って入った。


「先生! 七霧さんは私達が引き受けます!」


突然の発言に二人は目を白黒させたが、前川がしばし考えるような素振を見せた後頷いた。


「そうだな。 それでいいだろう。 頼めるか?」


「え? それでいいの?」


しばらく誰と組ますかでもめていたのだが、あっさり決めた前川に麻宮は驚き聞き返す。


「ああ、校長には俺から言っとく。 シフトの調整の件もあるしな」


なにやら自分の預かりしれない所で、自分の処遇が決まったようでせわしなく首を動かし皆の顔を見る秋華に、志乃は手を差し出す。


「という訳で、私達が面倒みる事になったから! よろしくね」


そう言ってウインク一つ。 その姿を見て秋華はちょっと憧れを抱いた。 なにせ自分はウインクが出来ない。

どうしても両目を瞑ってしまうからだ。


「は、はい。 よろしくお願いします。 燕子花かきつばた先輩」


「ああ、志乃でいいわよ。 両方、燕子花なんだからどっちか分からなくなるわよ」


「俺も静流でいい」


あいかわらずぶっきらぼうな言い方に志乃は苦笑する。


「はい、志乃先輩。 し、静流、せ、先輩」


静流の態度で嫌われているのかと思ったのか、秋華はおっかなびっくりで挨拶する。


ああ、これは前途多難だわ。 と志乃は呆れ弟を見やる。


そんな三人を見ていた前川は時間を確認した後、解散を宣言する。


「よし、今日はこれで終わるか。 双子も今日はシフト入ってなかったよな? もうあがりでいいぞ」


そう言われ秋華の顔色を見るが、大分よくなっているので志乃は手を差し出し。


「もう大丈夫? 立てる?」


「あ、はい。 大丈夫です」


秋華は、恐縮しながらも志乃の手を借りベッドから起き上がる。

特にふらつきもない。 今日は帰っていいそうなのでお言葉に甘えよう。

送ってあげる、と言う志乃達に連れられて保健室を出ていく三人を見送り、前川も戻る事にした。


「んじゃあ俺も戻るわ。 校長の報告はやっとく」


「ええ、お任せするわ。 お疲れ様」


そう言って背を向け手を上げて出ていく前川を見送った後、誰もいなくなった保健室で麻宮は一人ニコニコとした笑みからニタニタとした笑みに変わった。


その手には、先ほど秋華が打った注射器が握られていた。


「完全全身疑体の少女。 その生体部分の細胞…… ウフフ、ウヒャヒャヒャヒャヒャ!」


ひとしきり哄笑を上げると突然ピタリと嗤うのをやめ、まるで能面のような無表情になる。

それは、今まで前川達に見せていた笑顔すらもが仮面であったかのように。


「でもまだ足りないわ。 --に至るまではまだ……」







双子の家は秋華の家より思ったほど遠くはなく、秋華の家より学校から遠かったが、それもあって家まで送ってもらった。

玄関の前でお礼をいって分かれ、秋華は誰もいない家に入り、そこで崩れるように座り込んだ。


「今日は疲れたよ空ちゃん。 これでいいんだよね? これで……」


秋華は、左手の手首を額に押し当てるとツッと涙が零れ落ちた。

しばしそうやって座り込んでいたが、やがてモゾモゾと起き上がると今日はもうお風呂に入ってしまおうと、お風呂の準備をするためにお風呂場まで移動する。


お風呂から上がった後、疲れてはいたが、明日の予習ぐらいはしておこうと机に向かっていたが、気付けば時刻は22時を過ぎていた。

勉強は好きだが、16時くらいから始めてもうこんなに経ったのかと驚く。

もう寝てしまおうと机の上を片づけ、明日の支度を済ませたのちベッドに潜りこむ。


「おやすみなさい」


誰に言うでもなく呟くと、ベッドの脇にある小さな机に眼鏡を置いて目を瞑るのだった。






そこは赤黒い壁で覆われた空間だった。 いやソレは壁などではなかった。

なぜなら壁は、生き物のように脈動などしないからだ。

ソレは生物の体内のようであった。

そして、その部屋、いや通路を走り抜ける二人の姿があった。


一人は少女。 長い髪をポニーテールにして頭の高い所で結わえている。

顔立ちは可愛いというよりは、髪型と相まって凛々しいと言えるだろう。

紺色の夏服セーラー服に身を包み、手には長い棒のような、いやこれは日本刀だろうか。

鞘に収まった刀を手にしている。


そしてもう一人も少女。 セミロングの髪を背中に流して今はその身体の動きに釣られて跳ねているが。

顔立ちは柔和でやさしげな性格が見て取れる。 しかし今はその顔を恐怖で歪ませている。

傍らの少女と同じセーラー服を着て、その手を引かれている。


「秋! 平気っ?」


秋と呼ばれた少女は、息も絶え絶えになりながらもその少女の問いに答える。


「そ、空ちゃん。 もうちょっとゆっくり」


「バカッ! そんな事したら追い付かれるでしょうっ!」


「それはそうだけどっ!?」


突然、空と呼ばれた少女は繋いでいた手を放し、左手に持っていた刀を抜き放つ。

そして呪を口に乗せ振り下ろす。


唵 おん! 阿毘羅吽欠裟婆呵あびらうんけんそわかっ! でえいっ!!」


空が放った斬撃は、壁から生れ落ちようとしていた不気味な蛇を切り裂き消える。

そして再び秋の手を取り駆け出す。


「絶対、絶対! 秋は守ってみせる!」


秋はその叫びを聞き、繋いでいない方の手で自分のお腹に触れる。


「うん。 頼りにしてる」


そう言ってはかなげに微笑む。



秋華は、何時の間にか見ていたこの場面を食い入るように見ていた。

またこの夢だ。

もう何度目になるかも覚えていない夢の光景に、だが目を離せない。

あれはどうやら過去の光景のようだ。

自分の知っている空音そらねよりも若い姿なのだから。

もう一人は…… 自分と同じ秋華と言う少女。

どこか、自分と似た顔立ちを見ていると涙が出そうになる。


この後はおきまりのシーンだ。

アレに追い付かれ、空ちゃんを庇った秋華がアレに取り込まれるのだ。

その時の空音の絶望の叫びは耳に残って離れない。

そして、地下から帰還した空音はなにかをかかえていた。


ソレが見ていた秋華に向かって話し掛けてくる。


オマエのせいだと。

オマエのせいで彼女は逃げきれなかった。

オマエみたいなバケモノが生まれなければ秋は死ななかった。

ソレは何時の間にか秋華の目の前にいた。

皮膚のない顔。 頭蓋骨も半ば存在せず脳みそが見えている。

左目は無く、右目だけが秋華を睨んでいる。

身体も左手以外はまともな部分はなく、胸のあたりがかろうじて存在していた。


蛭子ひるこ。 それは秋華を責める。 これはオマエ自身だと。

この身体はオマエの罪の証だと。


秋華はその怨嗟の声に耳をふさぐが、それは無意味だった。

その声はやがて秋華の身体に、偽物の身体にまとわりつきその身体を切り落としていく。

そして秋華の身体は地面へと落ち、目の前のソレと同じ姿になってしまった。

身動きの取れない秋華に向かって歩みを進めてくる空音に向かって必死に叫ぶ。

空ちゃん、空ちゃん助けて! と。

しかし、空音はそれに気付かず、それどころか、彼女を、秋華を踏み潰し歩み去っていった。


アハハハハハハハハハハハッ これがオマエの運命! 空音に捨てられ踏み潰される!


秋華は絶望の中、絶叫と共に目が覚めた。


「ハアッ、ハアッ、 またあの夢……」


秋華は左手首を額に押し当てる。 これは儀式、唯一存在する自分自身の身体。

それにすがることで意識を保つのだ。


傍らの置き時計に目をやると朝の6時を少し過ぎていた。


「学校、いかなきゃ」








 



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