肆の刻
食事を済ませて、洗い物は
慎重に足を部屋の外に置いたまま素早く棚に目をやる。
そこには、水の入ったガラス瓶が置いてあり、常なら透明な水が満たされているはずであったが、今はドス黒く濁っている。 これはただの水ではない。 聖別された水、聖水なのである。
その水が濁ると言う事は……
呪的攻撃された? どこから、どうやって? この家の呪的防御は強固だ。 幾重に何重に重ね掛けられている。
そして攻撃を受けたら警報が鳴るはずだ。
それはなかった。
なら異なるルートからの攻撃。 それは……
「ネットを介したのかっ!?」
静流が思わず叫ぶ。 自分はさっきまで何を見ていた? もしソレが原因であれば攻撃してきたのは。
「どうしたのよ静流。 突然叫んで?」
先ほどの叫びを聞きつけた姉の
「どうやら呪的攻撃されたようだ」
それを聞いて志乃は驚きに目を見開く。
「ちょっ!? どういう事よ! なにがあったの?」
そう言いながら部屋を覗き込もうとする姉を
そしてドス黒く変色した聖水を指し示しながら説明する。
「さっき、再封印管理委員会のサイトに潜って調べ物をしていたんだけどさ」
志乃はジトっとした目で弟を睨み付ける。
「んで? どんなヤバい情報を見ようとした訳?」
「三十五次封印戦の情報だよ」
「ハア? そんな物で攻撃なんてされるワケが……」
そう言い掛けた志乃に静流は答える。
「その中に僕らのIDじゃ見れない情報があったんだ。 たぶんこの情報を見ようとした者を攻撃するようにしてあったんじゃないかな?」
志乃はなにか言いかけた口を閉じる。
それは…… ありうるかもしれない。 なにせ、前回の戦いは不明なことが多すぎると父も言っていたではないか。
「攻撃はネットを仲介して送られてきたようだ。 志乃、”ことほぎ”には注意して。 決して気を許さない様に」
翌朝、今日も晴れで絶好の転校日和だ。 などと、らしくもない事を思いながら
といっても、前日には用意を終えており後は制服に着替えるだけであるのだが。
制服に着替え、時間になったので家を出る。
玄関を出て一歩踏み出した時、足先になにかが当たった。
怪訝に思いそのナニカを見るとそれは小さな箱で、その上に手紙が置いてあった。
ある予感を覚えて秋華はしゃがみこむとその手紙を開き読みだした。
そこには秋華の予想通り、育ての親である空ちゃん事、
その内容は、帰りはもうちょっと遅くなる。 お土産があるからソレを右手に仕込んどきなさい。 といった内容だった。
あまりにも簡潔な内容に、空音の性格を感じ秋華はクスリと笑う。
なんか久しぶりに笑った気がする。 そう思いながら小さな箱の方に目をやる。
蓋を開けてみると、中には小指の先ほどの水晶玉が一つだけ入っていた。
秋華はしばし
家の前の通りを抜けて、大通りに出る。 その大通りの先にボンヤリと見えるのが私立
この
学校を中心として放射状に大通りが伸び、その間を道が繋いで広がっている。
空から見れば、まるで蜘蛛の巣のように見えるだろう。
ほぼ全ての道は、歩行者用道路と車両用道路が分かれており、また違法な路上駐車に対する罰則も重いものとして知られている。
その代わり、至る所に無料の駐車場があり路駐は少ないのだが。
秋華はその道の造りはすべて、呪的な理由による物である事を空音から聞いている。
秘密主義的な空音なのですべてを聞いている訳ではないが、この市の成り立ちくらいは知っている。
そんな所に転校する理由……
秋華は左手の手首を額に押し当てる。
これは儀式だ。 臆病な秋華の勇気を振り絞るための。
それでも、ムクムクと弱気の虫が暴れ出すのをなんとか押さえ、学校へ足を進めるのだった。
秋華の転校の挨拶は大よそ平凡極まりない物であったが、概ね好意的に迎えられた様である。 なお担任の教師は
去年まで中学生であった生徒達が、5月も半ばという中途半端な時期に転校してきた少女を見逃すという事はなく、休み時間になれば秋華の周りに人が群がるのは自然の事であろう。
人と話すのは苦手な秋華であったが、これも仕方ない事であると応対にいそしむのであった。
しかし、休み時間のたびに群がってくる生徒達にさすがに疲れを感じていたが、お昼休みの時間にはなんとか抜け出し覗いてみたいと思っていた図書室へ向かう。
図書室の扉を開けると、古い紙の匂いが秋華の鼻をくすぐる。
中には誰もおらず、図書委員らしき人影もなく静寂に包まれていた。
これ幸いと一応入口から死角になる場所で椅子に腰かけ、持って来たポーチから注射器を取り出し、綿布で左腕を消毒し注射する。
注射針の部分にカバーをしポーチに仕舞うと席を立ち、なにか読もうと本棚に向かう。
どんな本が置いてあるのか、少しワクワクしながら奥まで進みそこに好きな作家さんの初期短編集を見つけた。
あ、これ絶版になったやつだ。
読みたいと思っていたその本をさっそく手に取りそこで、目が合った。
本を抜いた隙間にポッカリと開いたそこに、暗闇の中に”目”が
「え?」
その目はズルリと隙間から抜け出すと、ポトリと床に落ち消えた。
目の錯覚? 秋華はそう思い目を擦ってみたが特に変化はない。
休み時間の騒ぎで疲れちゃったのかな?
秋華は苦笑するとなんとなく本を棚に戻し図書室を出ようとして、異変に気付いた。
さっき入ってきた扉がない。
扉があったと思われる場所には古びた壁があるのみで、むしろ窓すらなくなっているではないか。
突然の異常事態にパニックになっていると、突然バンッ! と音がしたかと思うと壁に1mはあろうほどの手形が、赤い血のような手形が壁に現れた。
バンバンバンッ! と連続して壁に付く手形は徐々に床に向かって現れ、最期に床に大きくバンッ!! と音を響かせるとそこからユラリと立ち上がる影があった。
「ヒッ!?」
それはトカゲを直立させて人のように見せかけた偽物。
それは秋華の方を見ると、やけに人間くさい表情でニタリと嗤う。
その大きさは3mほどだろうか? 秋華が逃げられない様にするためかその両手を左右に広げている。
ジリジリと後ずさるが、やがて壁に背をぶつける事になった。
悪霊はそんな秋華を見て舌をせわしなく出し入れしながらゆっくりと近づいてくる。
どうしよう? どうしよう!? 空ちゃんっ!
逃げ場もないまま、また立ち向かう覚悟もないまま秋華は空音に祈り、今朝の事を思い出した。
ハッとしてポケットに手を入れ、入れっぱなしだった水晶玉を取り出す。
これをどうするんだっけ?
なんとか手紙の内容を思い出そうと頭を捻る。
たしか、右手に仕込んでおけって……
秋華はゴクリと喉を鳴らすと右手を見る。
トカゲは、今だゆるりとした動きでこちらへ向かってきている。 まだ間はある。
コクリと一つ頷くと、秋華の右手が真ん中からパシュっという音と共に割れていく。
その真ん中は骨だろうか? 黒い骨のようなものが見え、その骨の周りを細い管が絡みついている。
どこ? どこなの?
秋華は、そんな自分の腕の状態に構わず目を走らせる。
やがて手首の近くの骨の上に張り付くように小さな箱状のものを見つける。
そこには小さな穴が、まるで水晶玉をはめ込め。 といわんばかりの穴があった。
秋華は迷う事なくその穴に水晶玉をはめ込む。
水晶をはめ込むと右手が再び閉じていき、すぐに普通の腕のようになった。
これでどうするんだろう!?
秋華はこの後どうするのか分からずに困惑するのだった。
昼休みになり、静流は図書室で調べ物をしようとして秋華を見つけた。
「あれは…… 七霧?」
彼が秋華に気付いた時には図書室の中に消える所だった。
どうしよう?
別にそのまま入ればいいだけなのだが、今入ると後を付いてきた様に見られるんではないか?
そんな仕様も無い事を考えていた。
こういった考えなどが、姉をしてヘタレと言わせる
そうやってしばし思い悩んでいると、静流は突然図書室内に強い邪気を感じた。
「これはっ!? 七霧っ!」
慌てて扉に手を掛けるも扉はビクともしない。
「なら! 風よ! 汝の白き手で闇を払いたまえっ! ヴァーユ!」
呪によって集めた風の精をそのまま扉にぶつける。 が、扉にはまったく傷すらつかない。
「ヴァーユ! ヴァーユ! くそっだめかっ!?」
彼の使う魔術は強力ではあるが、結界などの解除には向かないのであった。
せめて志乃がいればっ!
今から連絡しても間に合わないだろう。 静流は焦りから扉を強く叩きつける。
「おいおい、器物破損はやめてくれよ?」
声のした方を振り返るとそこには前川と、保健医の
「麻宮先生っ! 中に、中で悪霊が! 七霧があぶないっ!」
そう言われ、二人は気付いた様で表情を険しくさせると麻宮が扉の前に進み出る。
白衣のポケットに手を入れると、小さな鈴がまるでツリーのように装飾された物を取り出す。
そして。
「ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここのたり、ふる
麻宮がひ、ふ、み、という度にシャラリと鈴を打ち鳴らす。
どこか幻想的なその場面だが、静流と前川は戦闘態勢を崩さない。
「状況は?」
「七霧が入ってすでに5分は経ってる」
「5分か、まずいな。」
「ゆらゆらとふる
麻宮がそう叫び鈴をひときわ大きく鳴らすと、バンッという音と共に扉が開け放たれた。
その扉を弾かれたように潜り抜ける静流。
「七霧っ!」
「おいっ!? まったく!」
慌てて前川も突入せざるをえなかった。
続
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