父と母と子

 人間はこの社会に存在し続けるために、多くの書類とお金と場所を必要とします。


 出産が終わってほっとしたのもつかの間、病院から出された書類を手に出生届を出し、保健センターに連絡し、保険証を申請したら医療福祉や児童手当の手続きが待っています。そのほかにも学資保険や医療保険も考えなければ……とてんやわんや。銀行印を作って通帳も用意したほうがいいし、早い人では一年ほどで保育所を探し出すこともあるでしょう。予防接種の案内もきます。

 出産してすぐは動けないので、出生届などは夫が代わりにしてくれました。


 彼は新生児を沐浴させるのはやっぱり怖いそうですが、長男はお風呂に入れてくれます。子どもが泣いていると、すすんで抱っこするようにもなりました。

 子どもという存在に慣れてきたよう。それに、長男がしっかりしてきたので、「怖くてどう接していいのかわからない」というのがなくなったのかも。

 おむつを替えるのは上手だし、長男をあやして一緒に遊んだりご飯を食べさせるのは感心するほどプロ級。ありがたいです。


 「してくれない」ことばかり目について苛々しがちですが、人間には得手不得手がありますものね。

 ちょっとしたことでも「仕事で疲れてるのに悪いな」と遠慮してお願いせず、一人で抱えて、そのくせ「手伝ってくれてもいいのに」と勝手にイラッとしたこともありますが、それじゃ相手には何も伝わらないし、相手に失礼だし、自分は勝手に辛いまま何も変わらないんですよね。


 夫の顔つきに父としての自信が見えてくるとともに、なにより私自身が楽になりました。ものは考えようですね。

 母が「人間、慣れと諦めの繰り返しで何かと乗り越えられるのよ」と言っていたことがありますが、まさにこれだと思います。


 子どもを挟んで、夫とあれこれ気持ちのやりとりをしているうちに、自分の中に『母』という存在が確固たる物になっていきます。『私』は『女』で『妻』で『個人』で『母』になり、夫も『父』という立場や視点が生まれます。

 

 それ以来、子どもに関するニュースや映画、小説などへの視点が変わりました。痛ましい子どもの事故や事件に涙することもあります。子を持つ母としての視点が増えたことで、確実に受信するものが変わりました。今までは思いつかなかった感想を抱くこともあれば、独身時代は平気だったのに見たり読んだりすることができなくなった作品もあります。

 視点が増えるっていいことのように思えますが、精神的に疲れることも多くなります。偏った視点になりがちで、受け取るものまで偏らないようにしなくちゃ潰れるな……という危惧もあります。


 私は二度の出産で肉体的な存在だけではなく、精神的な存在も産んだのだと思います。自分の中にある『母』だけではなく、夫の『父』と息子たちの『子』という精神的存在も。

 けれど、それらが実際に育って動き出すかは本人たちの意識次第であり、そしてお互いにどれだけ心を重ね合えるかにかかっているわけです。

 それぞれの結びつきがどう根を張っていくのか、楽しみであり、不安でもあり、愛おしくもあるのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る