饒舌なる死者

泡沫恋歌

饒舌なる死者1話目

 あなたは死者の言葉を信じますか?

 死者は決して嘘をつかないと思いますか?

 ことわざに『死人に口無し』というのがありますが、死ねば永遠に沈黙を守れると言い切れますか? 

 死して、なお、饒舌なる死者もいるのです。

 そう、こんな風に……。


                  *


 久しぶりに郷里に帰ってきた俺は、十年振りの高校の同窓会で、古賀真司こが しんじが死んだことを知った。

 そのことを報じた新聞を幹事の女が同窓会に持ってきて皆に見せていたのだ。その記事は地方欄に小さく載っていた。卒業して十数年も経つ同級生の死なんか興味なかったが、死因が自殺だと書いてあったので、なぜ今頃になって……と、俺はいぶかしく思っていた。

 地元情報に詳しい女幹事の説明によると、古賀は降りていた踏切の遮断機をくぐって、線路内に侵入し、特急電車に撥ね飛ばされたらしい。その光景を踏切で待っていた多くの人たちが見ていた。

 目撃者の話によると、午後五時半頃、駅前の踏切で電車の通過を待っていた若い男が、突然遮断機のバーを持ち上げると、なんの躊躇ちゅうちょもなく、踏切に入ってゆき、大声で制止する人々の声を無視して、線路内で仁王立ちになったという。

 ――それは間違いなく覚悟の自殺のようだ。

 特急電車が迫ってきていた時、男は何か大声で叫んだという。電車の騒音でよく聴こえなかったが、確かに迫りくる電車に向って、悲鳴ではなく、何か言葉を発していたらしい。

 ――死を目前に古賀は何を叫んだのだろう?

 さらに自殺した日付を知って、俺の背筋に冷たい汗が流れた。そう、十年前のあの日と同じ日だったからだ。

「死人に口無し」という言葉があるが、あれは嘘だった。――死人ほど饒舌な者はいない。まさか、その後、あんな大きな事件になろうとは俺自身が想像していなかった。


 俺と古賀真司は中学高校と同じだった。

 活発でクラスのリーダー的存在だった俺と、無口で目立たない古賀とは正反対の存在なのだが、ただ、成績だけは古賀がいつも俺のライバルであった。

 中二の時、古賀と同じクラスだったが数学の学力テストで俺は98点で学年トップになった。クラスのみんなの前で俺は教師に褒められた。ちなみに古賀が次席で96点だと聞いた。たった2点差で負けて悔しかっただろうと俺は内心ほくそ笑んだ。

 その日、学校の帰り道でクラスの不良グループに絡まれた。

 教師があんまり俺の成績を褒めたものだから、そのことでムカッ腹を立てていた不良グループに俺は殴られ、学生鞄の中身をばらまかれ、98点の数学のテスト用紙をビリビリに破って足で踏みつけられた。

 不良たちに執拗に殴ったり、蹴ったりされて……地面に這いつくって、俺は「もう止めてくれ」と泣きながら許しを乞うていた。

 偶然、そこへ通りかかった古賀が大声で助けを求めてくれたので、不良たちは逃げ去った。――俺は地面にうずくったまま泣いていた。

 古賀は俺の鞄の中に、ばらまかれていた荷物を一つ一つ拾って入れてくれた。破られたテスト用紙まで拾い集めてくれていた。ようやく立ち上がったボロボロの俺を……その時、古賀は憐れむような目で見つめていた。

 そしてポケットからシワクチャのハンカチを出して渡そうとしたから、それを掴んで地べたに投げ捨てて、俺は靴で踏みつけてやった。

 選りによって、こんな奴に助けられるなんて! 

 古賀になんか、同情されるのが我慢できなかった。弱味を握られたようで不愉快だった。あの時、俺は不良グループに痛めつけられた恨みを、古賀にぶつけていただけだった。


 その後、不良グループは集団万引きで補導され、リーダーだった奴がクラスの女子数人に性的暴力をはたらいた件が表沙汰になって少年院送りになった。

 それで虐めもなくなり安心したが、あの時、古賀に惨めな格好を見られたことが俺にとって屈辱だった。教室であっても古賀は何も話さないが、その目の奥に人を小馬鹿にしたような嘲笑ちょうしょうの色が見えた。――そのことが、ずっと俺の胸の中でくすぶり続けていたのだ。

 中学を卒業した俺は進学校へ入学した。

 そこは地元でも偏差値の高い学校で、うちの中学からは二人しか進学できなかった。高校の合格発表の日、自分の受験番号を見つけてホッとして大喜びした俺だったが、同時に古賀の受験番号もそこに見つけた時には、チッと舌打ちをしてしまった。この高校に進学したのは、俺と古賀真司の二人だけだった。

 ともあれ、高校に入ってから一度も古賀と同じクラスになることもなかったし、クラブも俺は『英語検定部』という、受験のための実用的なクラブに入っていたし、古賀は『写真部』だと聴いていた。

 たとえ校内で顔を合わせても、お互い知らんぷりだった。


 あれは高校生活の最後の夏だった。

 学年ではトップクラスの成績で、生徒会長だった俺は教師たちの信頼も厚く、自慢じゃないが女の子にも人気があった。高三だった俺は受験勉強に明け暮れる日々だったが、息抜きに女の子とも適当に遊んでいた。特に決まった子とは付き合わず、来るものは拒まず去る者は追わずの精神だった。

 俺に取って女と付き合うことは、ゲームで言うところのレベル上げのようなもので、男としてのスキルアップなのだ。だから攻略するまでが面白くて、攻略してしまえば急に興味を失ってしまう、本気で好きになったことはない。

 その頃になっても、俺と古賀は同じ中学から同じ高校に進学した仲だったがお互いに無視し合っていた。高校に入ってからの古賀は太い黒ブチ眼鏡、髪もボサボサで冴えない感じになった。陰気臭く根暗な古賀のことを俺は心底馬鹿にしていたし嫌いだった。

 古賀の方も俺のことが苦手みたいで、いつも避けているように見えた。


 五時間目の移動教室で理科実験室の席に着いたら、机の中にプラケースの書類入れみたいなものが入っていた。何だろうと開けてみたら……中には、写真がギッシリ100枚以上は詰っていた。

 全部、陸上部の鈴木由利亜すずき ゆりあの写真だった。

 由利亜がグランドを走っている姿や部員たちと談笑しているもので、遠くから隠し撮りしたような写真ばかりだった。

 いったい誰がこんなものを忘れていったんだ? 前のクラスの奴かな? 

 ――そう思っていたら、血相を変えて古賀が教室に入ってきた。プラケースを俺が持っているのを見つけると、まるで引ったくるように奪い取った。

 そのまま、教室を出て行こうとする古賀に、

「おまえ、陸上部の鈴木由利亜すずき ゆりあが好きなのか?」

 俺が訊くと、背中がビクッとして動きが止まった。

「根暗な奴でも女には興味があるんだなぁー」

 皮肉たっぷりに言ってやった。振り向いて古賀は、

「由利亜さんは俺の女神めがみだ!」

 そう言い残して、教室から逃げるように走り去った。


 女神めがみだって!? 俺は可笑しくて、思わず噴き出した。

 確かに鈴木由利亜はスタイルも良いし、顔もわりと可愛いが……。たかが陸上部で走ることしか能のない女を捕まえて《女神めがみ》はないだろう? あいつは中二病か? オタクをこじらせるとああなるんだ――。

 古賀が《女神》と呼んだ鈴木由利亜のことは、今まで興味すらなかったが、逆にあいつのひと言で興味を持ってしまった。俺はその《女神》とやらを攻略したいと思ったのだ。

 鈴木由利亜は、女子陸上部のキャプテンをしている。短距離が得意でインターハイでは常に上位ランキングだった。アスリートの彼女は引きしまった肉体とスラリとした肢体で、チーターのような野生動物をイメージさせた。

 ボーイッシュなショートヘヤーは中性的な魅力で、その人気は高く、特に後輩の女生徒たちからは熱狂的に支持されていた。彼女の走る姿を見るために、放課後のグランドには由利亜のファンたちが集まってキャーキャー騒いでいた。――まさに女子陸上部のアイドルだった。

 古賀真司も、そんな鈴木由利亜に憧れるファンの一人のようだ。

 あんな中性的な女は趣味ではなかったが、古賀の奴を悔しがらせてやろうと俺の食指しょくしが動いた――。

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