第3話 少女の名の花

私に対して、敵意も恐怖もない無垢な人間の娘と関わることが出来た。

そして幸運にもその女は、私を恐れてはいないらしい。

でも、私にはどうすればいいのかなんてわからなかった。


毎朝、彼女が働くのを見ているだけしか出来ないでいる。

彼女は花を行商人から仕入れ、手入れをして、客に売るということをほとんど毎日繰り返している。

それに加えて、母と呼んでいた女性の世話や水汲み、洗濯など下女のすることまで自分でしている。

今まで人間の暮らしに関心を持たなかった私でも、家屋自体はある程度立派だが、女の生活状況はどうやらそこまで裕福ではないのかもしれないことくらいは分かった。


そんな大変な暮らしをしているはずの彼女は客足が途絶えると、軒下でじっと立っているしかできない私に笑いかけ、言葉をかけてくれる。

私が、人ならざる者だからきっと関心があるだけなんだろうとわかっている。

その証拠に名前すら尋ねられない。毎日名前を尋ねられないまま一日が終わると少しだけ胸がチクチクと痛む気がした。

けれど、彼女の笑った顔が目に入る度、鈴の音のように可憐で美しいその声が耳に入る度に、その痛み以上に心地よく、まるで胸のあたりだけ火が灯ったかのように熱を持つのだった。



彼女と関わることで、自分ではわからなかったことについて知ることが出来た。

自分は、他の人間には古ぼけた植木鉢に見えているらしい。


花を売っている職業柄だろうか。

彼女はとても嬉しそうにどんな人間がどのように植木鉢を褒めたのかを語ってくれた。

まるで、醜い化け物の私を褒められているかのように錯覚してしまいそうになる。


気が付くと、彼女を目で追っている自分に気が付いた。

笑顔を見るだけで、何故か自分までうれしくなる。

私の声に反応して彼女が微笑むと胸が熱くなった。


月が綺麗な夜だった。

いつもは夕方仕事が終わるとすぐ家に入って外に出てこない彼女が、私の手を引いて家の中に私を招き入れた。


普段私が目にしている店舗として利用している部分。その奥にはこじんまりとした台所があることは知っている。

どこへ行くのかと思うと、階段へと手を引かれた。

彼女が握った自分の手は、触れられた部分が太陽に当たったみたいに熱くなる。

階段を上ると二つ並んだ個室の扉があった。

彼女は奥の部屋のドアを開けると私の手を引いたまま部屋の奥へ入りドアを閉める。


何を話していいのかわからなかった。

干草が詰められた箱に彼女はシーツを敷くとそこに座る。

窓から差し込む月明りが照らす彼女は、今まで見たどんな女性よりも美しく感じる。

沈黙に耐え切れずに、先に口を開いたのは私だった。


「私は…もう長い間呪われているんだ…」


隠しごとをしているようでずっと良心が痛んでいたことを吐き出そうと思った。

それに、もしかしたら、この人間が私を好いていてくれて、呪いを解いてくれるかもしれない…そういう期待もあった。


忌々しい思い出を彼女に語った。

魔女に私がした仕打ちは話さなかった。

話す必要はないとも感じたし、嫌われてしまって、呪いを解くことに協力してもらえなくなることが怖かったから。


ああ…これが人を好きになるということなのだろうか。

他人の表情や、気持ちに振り回されて、胸が温かくなったり、痛んだりする。


今まで、私を好いていた人間もこのような思いをしていたんだとしたら、私はなんて残酷なことをしたのだろう。

自分が、誰かを好きになって初めて自分のしたことが呪われて当然のことだったとわかるなんて皮肉なものだ。


話し終わるころには、空が白んでいた。

彼女は私の話で悲しんだのか、同情したのか神妙な顔をして私を見つめながら、そっと手を握ってくれた。


もし、彼女が嫌がらないのなら花が咲いても、咲かなくてもこの女のそばにいよう。

本当の愛なんてなくてもいい。

愛されなくてもいい。

ただ、出来る限りそばにいたい。それだけだった。


彼女は優しい人だからきっと、私が何かを言えば協力してくれるだろう。


そうだ。花の種を私の頭に植えてもらおう。

そうすれば、ここにいる理由もできる。


私は、彼女の手を握り返しながら、勇気を振り絞ってこう言った。


「よければ君が私の頭に種だけでもまいてくれないか?」


私の提案を受けて、彼女は活き活きとしたように見えた。

自分の仕事を、憧れていた妖精を助けるために使えるからだろう。


私が、こんな醜い化け物の姿ではなく、呪われる前の姿だったら彼女は恋をしてくれたのだろうか…。

どうしてもそんな考えが頭に浮かぶ。


あの夜から、彼女は夜になると私を自室に毎晩招いた。

彼女は様々な話をしてくれた。


「あのね、私の名前と同じ花が遠い南の国にあるらしいの。

 とても綺麗な花らしくてね。昔義理のお父様が教えてくれたのだけど…」


義母が寝静まるとまるで少女のように彼女は様々な話を私にしてくれるようになった。

まるで小鳥がさえずるような調子で、表情をくるくる変える様子がとても愛おしかった。


「アンという名前の花があるのか?」


知ってはいたけれど、面と向かって教えられたわけでもない彼女の名前を口に出してみる。

怖くて呼べなかっただけだったが、彼女の表情を見て今まで名前を呼ばなかったことを後悔した。


目をまん丸くさせて、ぽかんと開いた口を手で押さえて耳まで顔を真っ赤にしている彼女はどんなニンフや女神よりも愛らしかった。


「植木鉢頭さん…私の名前…知っていてくれたのね…」


そういうと両目からアンは粒のような涙をこぼした。


「ふふふ…ごめんなさい。あまりにもうれしくてね、つい」


彼女は涙を指で拭うとアングレカムの花についてうれしそうに話してくれた。

そして、私の頭を見ながらうらめしそうな声でこう呟くのだった。


「私の好きなお花が植木鉢頭さんに植えられないなんて残念…。

 温かい土地でしか咲かないお花なのよね…同じ名前の私は寒いところなんてへっちゃらなのに」

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