月の白妙(二)
戻ってきたときと同じように、藤世は慌ただしく島を発った。矢車は、藤世にあることを耳打ちして、藤世は、にっこりと笑った。わたしもそうかもしれないと思っていたの、と。
数日前に通ったのと同じ道を引き返し、寒風吹きすさぶ平原を駆け抜け、裸の枝の連なる森を抜け、針葉樹の丘、雪の凍る峠を越えて、藤世は焦げ茶色の峻烈な谷に立ち戻る。
夢で、四詩の立っていた塚は、いつくしの嶺の最初の谷だ。彼女は、境界ぎりぎりまで、藤世を迎えに行こうとしていたのだ。
それに気づき、藤世は微笑む。神殿まで、あとすこしだ。
「四詩!!」
断崖の上、白亜の神殿の建物にたどり着くと、藤世は叫んだ。門扉が開ききるのも待ちきれず、馬を降りてからだを扉の隙間にねじ込ませる。
夢で、あるいは暮らし始めて何度も通った狭い階段を駆け上り、重い綴織を跳ね上げて、藤世は自分の部屋に入った。
織り掛けの絨毯が、そのまま竪機に残されている。そのそばに、四詩が座っている。
藤世が一歩進むと、四詩は震え、機の陰に隠れようとする。
「そんなにおおきいからだじゃ、隠れられないわよ!」
雪獅子は後ろ足と尾を出したままごそごそと動いた。
「四詩! ……四詩、こっちに来て。わたし、怒ってないわ」
途端、四詩は身動きをやめると、竪機の陰からそろそろと顔を出した。
耳と髭は伏せられ、目を合わせようとしない。
藤世はふふ、と笑みをこぼした。
「その帯、気に入った? 織ってよかったわ、いま見ると下手だけど」
四詩の首には、藤世の織った帯が巻かれていた。彼女はためらいがちに顔を上げると、ゆっくりと立ち上がり、慎重に藤世に近づいた。そっと顔を藤世の頬に寄せる。藤世は四詩の首に抱きついた。
「……母さまに逢えたわ」
やわらかな白銀の毛並みに顔を伏せ、藤世は肩を震わせた。
四詩は低く喉を鳴らす。
汲めども尽きぬ豊かな泉のように、藤世の目からは涙があふれ、四詩の被毛がそれを吸い取った。
「……四詩、……母さまは行ってしまった。遠い遠い海の底で眠っているの。わたしは二度と、母さまに逢えない」
しゃがみ込んだ藤世の頬を、四詩がこんきづよく丁寧に舐めた。それでも、涙はあふれ続ける。
「これから、なんどもたいせつなひとを見送るのね……わたしたちは……」
それでも、そばには互いがいるのだ、ということを、四詩は懸命に伝えようとしてくれている。そう感じながら、藤世はぽつりと言った。
「黒絹の布を白くする方法がわかったわ」
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