近すぎる彼らの、十七歳の遠い関係 掌編  著:久遠 侑

ファミ通文庫

由梨子編 二人が共有しているもの

1

 朝礼台の周りが、うちの学年の荷物置き場だった。練習のあと、あたしは男の子たちが着替えているなかからひとり脱け出し、Tシャツを入れたビニール袋を持って、グラウンドの隅にある外トイレに歩いていく。

 薄暗い個室のなかでウエアを脱いで、身体の汗を拭き、制汗スプレーを吹きかけ、Tシャツに着替えた。汗をかく時期は、着替えたあとの、さらさらのシャツの感触が、火照っていた身体に心地いい。ひとつ息を吐いてから、脱いだウエアをまるめて、ビニール袋に仕舞う。

 五月に入ってずいぶん陽が長くなってきた。六時近くなっても、まだ赤い夕陽がある。着替えを終えて外に出ると、桃色がかった金色に、グラウンドや、小学校の校舎が染まっていた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 水曜日の午後五時から七時と、土曜日の午後二時から五時が、あたしが所属していたサッカーのチームの練習時間だった。同じ学年にはあたしの他に十三人の男の子がいて、そのうちの一人、坂本健一のお父さんがボランティアでコーチをやっていた。


「健一、ちょっとこっちこい。あと、由梨子も」


 この日、ゲーム形式の練習をしているときに、おじさんがプレーを止めて健一を手招きした。おじさんの仕事は大学の先生で、土曜日の今日も仕事をしてきたあとらしく、スラックスとワイシャツという格好だった。


「お前な、フィードするとき、何も周り見てねぇだろ」


 そう言われて、健一は小さな声で、「うん」と答えた。注意されたことが不服なのか、それにはわずかに不満そうな調子が滲んでいた。

 健一は身体が大きいわけでも、足が速いわけでもないけれど、幼稚園のころからサッカーをやっていたらしくて、ボールの扱いがうまかった。トラップミスも少なく、キックも精確だったから、チームでは中盤でパスを散らす役割を担っていた。しかし、相手が強いプレスをかけてきたり、スペースのない場所でボールを受けたりすると、焦ったようにボールをやたらと蹴り飛ばす癖があった。


「とりあえず、常に由梨子のいる場所は見とけ。で、焦ったら由梨子の前に蹴れ。由梨子はそれ拾え。お前足早いから」


 何それ適当、とあたしは思った。要するに、健一の雑なプレーのフォローのためにあたしが走り回ることになるらしかった。

「ちゃんと追いつくとこに蹴ってよ」と、走らされるあたしが言うと、健一はムスッ

とした表情で、「わかってるよ」と応えた。

 指示のあと、すぐにその形の練習が始められた。健一が、自分たちの陣地の深い位置でパスを受け、ディフェンス役の二人がプレッシャーをかける。あたしは前線で、動き出す準備をする。

 ボールを持った健一が顔を上げて、ちらりとこちらを見た。目が合った瞬間に、走り出す。その直後、健一がボールを蹴る低い音がグラウンドに響いた。やんわりとしたボールが、相手ディフェンスラインの裏のスペースに落ちていく。あたしはそれを、マークについていた男の子と一緒に追いかける。

 自分のスピードには自信があった。六年生の始めに測った五十メートル走のタイムは七秒台で、チームでは一番早いタイムだったし、これまでもずっと足の速さを買われてフォワードやサイドの攻撃的なポジションをやってきた。

 並走していた相手をすぐに振り切り、転々とバウンドしながら転がっていくボールを拾った。そこまでできれば、あとはもうキーパーと一対一だった。キーパーとゴールの位置を見て、インサイドで、ゴールに流し込む。ダッシュのあとでスピードに乗っていたから、打ったシュートには勢いがあって、ネットに鋭く突き刺さった。

 さっきはおじさんの指示をすごく適当なものだと思ったけれど、健一のキックは柔らかくて、ふんわりとしたボールがぽとりと相手の裏のスペースに留まるように落ちるから、シンプルだけど効果的な攻撃の形だと、一度やってみて思い直した。パスを細かく繋いで崩すよりもてっとりばやいし、何よりもスピードで相手を振り切ってゴールを決めるのは気持ちがよかった。


 ☆ ☆ ☆


「由梨子来た」


 荷物置き場の近くまで歩いて行くと、あたしを見つけた誰かが言った。

「おまたせー」とあたしは言い、さっきまで着ていたウエアの入ったビニール袋をバッグに仕舞って、肩にかけた。みんなはもう帰り支度が整っているみたいだった。あたしの支度ができると、すぐに自転車置き場に歩き出した。うちの学年はそれなりに仲がよく、帰りはまとまって帰るのが習慣になっていた。

 自転車に乗り、学校を出た。他の子たちとは、道の途中で段々別れていき、最後には健一と二人だけになる。自転車に乗っているのもあるし、健一が無口なのもあって、二人になったあとは、あんまり話はしない。ぽつぽつと、学校や友達のことを話すくらいだ。

 空の縁にはまだ赤色の夕陽が引っかかっていたけれど、地上はもう薄暗くなっていた。青味を帯びたような薄暗さのなかでは目に映るものの輪郭がぼやけ、距離感が曖昧になる。横にいる健一も、全体にぼんやりと影を纏っているように見えた。

 あたしたちが住む住宅街に入ったころ、あたしは「ねえ健一、ちょっとコンビニ寄っていこうよ」と、健一を寄り道に誘った。これまでも、帰り道の途中、お腹が空いているときなんかに、たまに寄り道をしていくことがあった。健一も頷いたので、すぐ近くにあるコンビニに寄った。

 広い駐車場の隅に自転車を止めて、明るい店内に入る。あたしはそこでお菓子とジュースを買い、健一はフライドポテトを買った。

 その後、店の前に置かれていたベンチに座った。コンビニのガラスから漏れる光が、黒いアスファルトの上に引き伸ばされたように伸びていた。

 グレープジュースの入ったペットボトルふたを開け、一口飲んだ。甘い味が、冷たさとともに口のなかに広がる。身体も冷えてきていたのか、ジュースを飲んだら肌寒さを感じて、あたしはバッグに入れておいた薄手のパーカーを出して羽織った。横では、紙袋をガサガサと鳴らしながら、健一がフライドポテトを食べていた。

「おいしいの、それ」と、あたしが何となく聞くと、「食べてみる?」と健一が紙袋をこっちに向けてくれたから、一切れだけもらった。

 食べると、もふもふとした食感のフライドポテトのしょっぱさが練習のあとの疲れた体に沁みた。

「おいしい」と言うと、健一は「でしょ」と言った。


「けど、中途半端に食べると余計お腹すくねこれ」

「うん。まあそうだけど、どうせすぐ晩ごはんだし」


 そんな会話をしながら、あたしたちはしばらく、そのベンチに座っていた。

 二年生のときにこのチームに入ってから、近所だったこともあって健一とは自然に仲が良くなった。チームのなかでも、一番、一緒にいた時間は長いと思う。

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