第19話 朝日ケ丘・イズ・グレート

 ああ、今度こそ終わりだ。

 二大精霊の激突による爆発によって空中に放りだされ、雲の上まで上がった俺は、空より落下しながら、ついにこれでおしまいかと、諦観にとらわれていたのだった。

 ローゼにこの世界に召喚されてからはや二ヶ月。赤潮対策から宇宙の危機までさんざんいろんなことをさせられて、命の危機を感じたのは一度や二度ではないけれど、——ヒュプノの眠りの魔術からも目覚め、マッチョ軍団に囚われた時の貞操の機器も逃れ、化物鯨の腹の中からも吐き出され、ブラックホールからさえも帰還した俺だが……

 これは駄目だろ。

 ちょっと前には俺は遥か下に見えた地面がぐんぐんと迫ってくるのを見ながら、これは助からないなと確信するのだった。

 そう思えば、心の防衛反応なのか、すっと気が遠くなって気絶してしまいそうな様子になるのだった。そうだね、このまま気を失って俺は地面に叩きつけられ、死んだら元の世界に戻れたりしないのかな?

 でも生きたままこっちに来たんだし、死んだら行くのはやっぱりあの世なのかな? それとも、ローゼの騒動の巻き添えで死んでしまう俺をはかなんだ神様が、俺をチート勇者かなんかにして別の異世界に転生なんかさせてくれないのかな。

 ——俺は、薄れゆく意識の中で、死にゆく人が見る走馬灯のごとく様々な思いや記憶が心の中を通り過ぎて行くのを見るのだった。

 ああ、生まれ変わったらまたルートビアー飲みたいな。ドクターペッパーでもしょうがないかな。と言うか部屋にまだ残ってるルートビアーもったいないな? せめてローゼが飲んでくれたら良いかな。ああ、どうでも良いけど。と言うか俺、なんでこんなどうでも良いこと考えているんだろ。

 ああ、駄目だ。

 もう目の前が真っ白になって、何にも見えない。何にも考えられなくなって来る。もう終わりだ。俺はそう確信すると、体から緊張がとけ、自分が地面に叩きつけられるより先に、深い闇の中に落ちかけるのを感じるのだった。

 ——しかし……

「おい、魔女の使い魔! 諦めたら駄目だぞ。諦めたらそれまでだ!」

「ん?」

 呼ぶ声に意識を取り戻して、振り返れば、同じように爆発に吹き飛ばされたのか、俺の横を落下中なのはエチエンヌ少年だった。

「最後まで希望を捨てるんじゃない」

「………………って言われてもな」

「あきらめちゃだめだ」

「………………」

 無責任にポジティブなことを言う少年だった。

 そりゃ俺も、諦めたいわけでも、ましてや死にたいわけでもないが、

「祈るんだ」

 祈るって何を?

「今からでも良い。あんな魔女に使えていた事を悔い改めて、ロータス様を崇めるのだ」

「それで?」

 だからって何ができる?

「聖なるものを尊ぶ清らかな心があれば、この僕のように、ちょっとやそっとの衝撃ではびくともしない体が……」

「………………」

 うるせえ! だまれこの天然ショタ。お前みたいな特異体質を俺は持ってないんだよと、俺は心の中で嘆息をしながら反対側を振り向くと、

「使い魔殿〜! 何やってるんですかあ? 空からただ落っこちて面白いんですか?」

「む! 結構面白い」

 今度はローゼとサクアが楽しそうに笑いながら、俺の横に落下していたのだった。

 俺は、このままあっさりと気を失わさせてもくれない、騒がしい二人に呆れて嘆息しながら、

「楽しいわけあるか! そんなことより……」

 早く助けろと言いそうになって俺は思わず口を閉じるのだった。

「どうしました使い魔殿? そんなことより、何ですか?」

「む? 何だ?」

「いや……」

 俺は、助けてと言えなくて口をモニョる。ここで助けてもらうと、また何でもするって約束させられそうな予感がしたのだった。

「なんですか使い魔殿? 楽しんでやってるわけじゃないんですか? じゃあなんでただ落ちてるんですか? 死にたいんですか?」

 なわけがあるか!

 でも、何と言うか世の中には、死よりも嫌なものがあるようだ。俺はどうしてもその助けてお言う言葉が言えずに、そのまままた臨死体験の走馬灯の中に入って行くのだった。

 なんだ、狸スーツ着たまま、こんな童話、民話の中の登場人物として死んで行くのも間抜けだよなと思いつつ。

 これで俺も最後なのかと思いつつ。

 そうだ最後と言えば、ああ、こう言う民話を、小さいころ、お婆さんが話してくれた後に締めの言葉言ったよな。

 なんだっけあれ? そうだ。


「とっぴんぱらりのぷう!」


 と俺はふとその思い出した言葉を無意識に口から漏らすのだったが……


   *


 あれ?

「どうしました使い魔殿?」

 俺は、狸スーツを着て空から落ちていたはずなのだが、気づくと水龍の住む崖のそばに立ち、呆然とした様子で空を見つめていた。

 空には、水龍とサラマンダーが衝突して発生した水蒸気が作った雲がもくもくと湧いていて、今にも雨が降りそうな様子だった。

「……俺って、空から落ちている途中じゃなかったけ?」

「何を言ってるんですか使い魔殿。自分で魔法から抜け出しておいて、何を言うんですか」

「むう……?(何を言ってるのだ)」

「自分から抜け出した?」

「そうですよ。使い魔殿が狸になったのも、水龍さんとサラマンダーさんがぶつかった勢いで爆発が起きたのも全部ローゼ様の夢幻魔法かちかち山 の中での出来事です。普通はこの魔法に囚われたら、そこが現実になって抜け出すことができないんですが……見直しましたよ使い魔殿! 未開の異世界から着たろくでなしと思ってましたがあんあ詠唱を使えるとは!」

「詠唱?」

 ん? そうか——あの言葉。

 ——とっぴんぱらりのぷう!

 お婆さんがお話終わるときに必ず言ってくれたあの言葉。物語の世界から現実の戻るあの言葉が、おれを夢幻の中からこちらに引き戻してくれたのだった。

「ともかく、これで一件落着ですよ! 水龍さんもサラマンダーさんも、ローゼ様の夢幻世界の中で消え去ってくれましたからね。これでこの世界には両方ともいなくなりました。火の精霊と戦ってくれたおかげで、この谷の川がまた水龍にまで育つには相当な時間がかかると思いますよ」

「相当な時間? どれくらい?」

「まあ、竜ですからね、千年や二千年ではとてもとても。もしかしたら万や十万かかるやもしれません」

「そんなに……」

 俺は、その時の果てしなさに、そんなに育つのに時間がかかる聖獣である龍を無くしてしまったことの喪失感、少なからぬ罪の意識を感じるのだが、

「ん? 心配しなくても大丈夫ですよ……見てください」

 俺は、サクアに言われて龍の住んでいた谷を見下ろす。

「あれは……!」

 俺はその清らかな流れに、その水しぶきが跳ねる度に、その波の先に現れる小さな龍の子供達の姿を見るのであった。俺がその姿に、何だかえもしれぬ感動を覚えていると、

「こうやって、自然はずっと歴史を刻んで来たのです。魔術だ霊力だと人間の小賢しい知恵でどうこうなるようなものないのですよ。我々は、この深遠な世界を大事に思い、大地を耕し、工をなし、その自然の恵みを多く取り出しそうやって発展して来たのですが、結局はそのうちで生かされているに過ぎないのです」

 いつのまにか、俺の横に立っていたロータスが、今は本物の聖女らしきひどく厳かで強い言葉で俺に言う。

「だから我々は、過を犯すことなきよう、自然への尊敬と畏れを忘れてはいけません。我らがまた悪しき心で自然に挑めば、それは我らにその過を、そのままに返すでしょう。自然とはそんなものなのです……あなたの元の世界ではどうだったのかわかりませんが?」

「いや……」

 俺は、なんだか、悲しいような嬉しいような、悔やむような希望に満ちたような、自分でもよく分からない複雑な感情を持って言う。

「……俺の世界でも同じだよ」

「ならば、この龍の子たちが良きものとして健やかに育つ世を共に願いましょう」

「ああ……そうだな」

 俺は、また、どの世界でも変わらぬ自然も崇高さに万感の思いを得て深く頷く。その様子を見て、嬉しそうに、慰めるように首肯するロータス。

 うん、なんだか、これで全て丸く収まって、珍しく良い話で今回の事件終わりそうだな、って思った時……


「ふあああはっはっ! ブラボー! ブラボー! 良い働きだったぞ君達! これでもう何万年も水龍も暴れることなく街は安泰っていうことだ」


 下品な声に振り返ると、そこには、なんだか、お約束のラスボスみたいなのがいたのだった。

 武装した兵士と、魔道士の一個師団の後ろ、豪華な輿こしにのって現れたあの男。その顔、俺は一度も直接に見たことはないが、

「トランク候補! なんですかその兵士達は! ここに聖女様がいると知っての狼藉ですか!」

 エチエンヌ少年の言うように、その男はトランク。この街の市長候補であった。

「ふあああはっはっ! わかっとるよ! わかってるよ! そこの石頭の石女うまずめがローゼ一味と一緒で誠に好都合。これで目障りな連中を一気に消し去ることができると言うものだ!」

「何を! こんな狼藉が対抗候補のクランプトンに知られたら、お前たちが不利になるとは思わないのか?」

「はて? 不利になる? それは、ローゼ一味はともかく、聖女ロータスが率いいる選挙委員会にまで害をなそうとしていることが、クランプトン候補にネガティブキャンペーンに使われると言うことか?」

「そうだ、お前はそれがわかっていて、ローゼ様に攻撃を加えようと言うのか?」

「ははっははは!」

「何を、笑う!」

 一向に悪びれるところのないトランク候補の様子に、怒気をはらんだ鋭い叫び声を返すエチエンヌ少年。

 しかし、

「えっ……」

 彼は、その直後、その顔を呆然としながら、驚愕し、絶句することになる。

 なぜなら、

「おほほほほ! その、ネガティヴキャンペーンをすると言う、クランプトン候補とは私のことかしら?」

 トランク候補の横に、あらわれ意地の悪そうな笑い声をあげるのは、クランプトン候補なのだった。

「お、お前らグルだったのか!」

「まあ? グルだなんて人疑義悪い。私たちはちゃんと公正に、いやらしく、激烈に戦ってますよ。選挙戦を」

「でも、これだけは一致しているのでな……もう龍の害の心配もないとあらば……」

「「ローゼなど新しい秩序には大きな害でしかない! やれ! 朝日ケ丘・イズ・グレート!」」


 ローゼなど街にとって災厄でしかない(そこは俺も強く否定できない)と言うことについては意見の一致を見た選挙戦を戦う両候補は、引き連れた戦士と魔道士の一団を俺らにけしかけて、選挙に小うるさいこと言ってくる聖女ロータスごとこのまま葬り去ろうとしているのだった。


 ——うぉおおおおおおおお! ASA! ASA! ASA! ASA!


 どっかで聞いたことのあるような雄叫びをあげて俺たちに迫ってくるのは、優に一個師団はいそうな剣士と魔道士の軍団であった。それも二台派閥が協力したとあって、相当の手練れを集めたようで、大きな魔法陣があちらこちらに展開され、そこから次々に怪しげな光線が俺たちに浴びせかけられるのだった。

「うわっ、なんだか敵さんも強いですね……」

「む!(そうだな)」

 ところが、こんな時に限って、なんだかいつもより元気のないローゼだった。

「む! 魔泥剣士召喚ゴーレム・グラディエーター!」

 ゴーレムの剣士を召喚して、敵の剣士の突撃を一応は防いでいるが、いつものローゼだったらもっと、一気にエリア殲滅魔法で相手を撃滅するんじゃないのか?

 俺はそんな疑問を持ちながら、なんだかふらついているローゼの姿を見るのだが、

「む! は……」

 は?

「腹がへった……」

 グーと大きなお腹の音を立てながら、そのまま地面に倒れこむローゼだった。

 おいおい!

「あらら、ローゼ様、そういや今日は寝坊して朝飯抜きでしたからね。お腹がすいちゃ何もできませんよね。ははは……しょうがないですね」

 自体の深刻さを理解しないサクアは能天気に笑っているが、——じゃあ聖女様の方は?

「……これはロータス様が、友達と間違えて上司にタメ語で送ってしまったショートメールです」

「うっ!」

「……これはロータス様が、聖王様の演説の途中に寝てしまった時に隠し撮りされた写真です……」

「うっ!」

 相変わらず、過去の恥ずかしい思い出を突きつけて人間力削って霊力に変える、そのやり方には変わりないようだが……

「なんだか、ネタが弱くなってないか……」

「……気づきましたね……」

 俺のつぶやきにエチエンヌ少年は敏感に反応する。

 やっぱり、この間のラブレターネタとかに比べると、今日のは、ちょっと恥ずかしいが、まあ誰でもちょっとはあるよねネタくらいのインパクトで、これで削れる人間力くらいでは……


 ——うぉおおおおおおおお! ASA! ASA! ASA! ASA!


「おいおい、相手に押されてるよ、どうしよう……」

「ううん、でもロータス様は今までの数々の戦いで黒歴史を使い尽くしてしまい、もう大したのが残っていないのです。とっておきのはこの間ローゼ相手に不発に終わりましたし……」

「なんだよ、聖女っていってもそのくらいの器かよ。光の裏側のもっとでっかい闇とか抱えてるんじゃないのかよ」

「と言われても、いくらドジっ娘の天然さんといっても、ロータス様の大ネタにも限りが……」

「でもどうするんだよ」

 俺は腹が減ってふらふらになりながら、なんとか杖を頼りに立ち上がったローゼと、その横でちょっと恥ずかしそうにうつむき少し頬を赤らめながらも、なんだか少し物足りなさそうな雰囲気のロータスを見る。

 こりゃ、ローゼの方はすぐには回復難しそうだな。じゃあ、ロータスの方だが、

「なんかもっと凄いのはないのかよ」

 と、俺はエチエンヌ少年に言う。

 もう敵の軍団は目の前にまで迫っていた。弱まったローゼの魔力と、なんだかぱっとしないロータスの霊力ではこれ以上抑えて置けなさそうだった。

 ローゼの回復が難しければ、ロータスの方になんとかもっと恥ずかしい過去を思い出してもらうしかないのだが、

「そんなこと言われても、僕も知るロータス様の過去の失敗もこれで全てで——でも」

「でも?」

 俺はエチエンヌ少年が何か思いついたが、言いたくなさそうな様子になっているのに気づいた。

「……いいから言ってみな!」

 いや、今は俺たちの命がかかってるんだ迷ってる場合じゃないだろ。

「過去の恥辱のストックが切れたなら、新しく作ればいいかな……って」

 はん?

「つまり、この聖女様が今恥ずかしがるようなことをすれば良いってか?」

「ええ、そうなのですが……そんなことはとても僕には——うっ!」

 何を考えたのかドバッと鼻血をだす少年であった。

 ああ、なるほど、そんな青少年の妄想を体現するようなことをすれば良いんだな。

 それを——この少年ができないのならば——残された唯一の男子である俺がするしかないってか?

 ああ、そうか? 

 そうだぞ!

 俺は、仕方なく、みんなを守るためにするんだぞ。

「……やるぞ」

 俺が真剣な顔で言うと、全てを悟ったエチエンヌ少年はサムズアップして言う。

「僕の分までお願いします」

 その真剣な瞳に、俺もサムズアップを返すと、

「……んっ?」

 敵に向けてスカスカの霊力ビームを出している聖女様の横につかつかと歩み寄ると、何事かと振り返る彼女に向かって、

「あの、聖女様……実は、初めて会った時から……」

 いきなり抱きついて、

「好きでした!」


 ——ブチュー!


 俺は熱烈なキスをするのであった。


「きぃやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


   *


 そして、恥ずかしさに絶叫する聖女様の霊力の奔流は、敵の戦士と魔道士を瞬く間に街の外まで吹き飛ばしたのだった。

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