あの子の本懐

 世界の終わりを前に、私を残してあの子は死んでしまった。

 今日の体育の授業、本当にキツかったね、なんて話をしていた帰り道、車道を少しだけそれた車が私の隣を歩いていたあの子の体を軽やかに跳ね上げた。

 その時、あの子は笑っていた。

 喜びに打ち震えるような笑顔でも、苦しみから解放される安堵の笑みでもなく、まるで悪戯が成功した時の幼い子供のような笑みだった。



 不幸中の幸いにも、車に撥ねられて即死だったと葬儀の席であの子の母親から聞いた。世界の崩壊が告げられ各地でも、荒々しい事件や事故が続いており、今回の事故もその騒動の一連とみなされた。事故現場に残された痕や記録から、運転手の精神不安定から来る運転操作ミスによる過失が大きく認められたようだった。



 葬儀が終わってから3日程経った日の夜、私のもとにあの子からメッセージが届いた。

 あの子の死は事故なんかじゃなくて手の込んだ自殺なのだと、今私の中にある「遺書」と題された文章が告げていた。

 『マヤへ』と私に向けて、世界の終わりが告げられてからメッセージ送信の予約と取り消しを繰り返しては、死ぬタイミングを虎視眈々と狙っていたということ、私に何も告げずに死んでしまったことに対する謝罪の言葉が、彼女らしいどこか気の抜けた文体で、まるでそれがなんでもないかのように綴られていた。


 

 



 ひと画面には収まりきらないあの子の「遺書」を少しずつスクロールしながら読んでいく。私に語りかけるあの子の言葉遣いが、「遺書」なんておどろおどろしい単語とは不釣り合いなほどにあまりにもいつも通りで、目の前にあの子が現れたとしても、私はそれほど驚かず何もなかったように「何これ? 何かの冗談?」と笑いかけるだろう。



『世界の終わりが告げられた日にね、わたし最後の日を誰と過ごすんだろうって考えたの。

 マヤはいつもわたしの容姿も性格も何もかもを受け入れてちゃんと褒めてくれるけれど、このまま世界が終わるまでわたし、マヤに何もかも甘やかされて世界と一緒に消えていくのかなって少しだけ想像したんだ。最後の最後までマヤに面倒見られて、死んでゆくのかなって。

 そんな自分を想像したら、色んな人に甘やかされてじわじわと世界の終わりを待ちながら年を取っていくなんてなんだかすごく悔しくて死んじゃった。

 上手く言えないけど、多分生きていたくないんじゃなくて、勝手に何かに終わりを決めて欲しくなかったのかも。

 だからこれは、わたしの尊厳死なんだよ。

 マヤはわたしが死んじゃったことに大して何か責任を感じるかもしれないけれど、わたしはマヤに気負わず生きて欲しいの。

 それから、わたし、マヤにはちゃんと絵を描き続けてほしいの。世界の終わりの憂いなんて吹き飛ばすくらいの。わたしがいくら言ったところで死ぬくらいしないと、マヤはきっと謙遜ばかりで描かないだろうなー、と思って』


 なんて身勝手な言葉がつらつらと並べ立てられていた。

 あの子は――アキはいつだって勝手だ。

 勝手に私が部活で描いた絵を褒めて、勝手に話しかけてきて、勝手に懐に飛び込んできて、勝手に悔しがって、勝手に死んで、勝手に夢を押し付けて。

 優柔不断な私の人生までも、自身の死をもって決め付けようとする。

 もしかしたら、それこそがあの子の本当の思いなのかもしれない、なんて思ったらあまりの身勝手さにじわじわと腹が立ってきた。


「遺書」が綴られた手元の端末の画面表示をオフにすると、目を閉じながらゆっくり深呼吸をして、アキの言葉ひとつひとつを飲み込んでゆく。

 きっと、このまま私はアキを許さない。

 そう思ったら、自然となんだかすっと色々なものが腑に落ちて、目の前の景色がほんの少しだけクリアになるような気がした。


 そうだ、お望み通り、アキがもし生きていたら、どんな女の子になったのだろうという絵をたくさん描こう。

 いつしか世界が終わるまでアキの絵で埋め尽くすんだ。

 きっと人懐こいアキはとびきり可愛くて、誰からも愛されて、ひとかけらのビターチョコレートみたいな不幸に苛まれながらも笑いながら生きていくんだ。

 アキがそうやって生きていたくなかったみたいに、そこにいるだけでまるで花が咲いたみたいにちやほやされて生きていくの。

 私の描いた絵を見た人にかわいいね、きれいだね、なんてぴかぴか光ることばだけで飾られて、消化されていくんだよ。

 お望み通り、私の絵で、アキの絵で世界の憂いどころか終末さえも吹き飛ばしてあげる。



 私なんかと違っていつだってアキは自分のやりたいこと、心の動きに素直だったね。

 私、そんなアキが大好きだよ。

 私はそんなアキの言う通り、絵をちゃんと描くよ。

 今さら目の前に飛び出して来て謝ったって止めないから。




 ねえ、なんで何も言わずにひとりで死んじゃったの。

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