第23話 ……まあ、考えとく
「外も暑かったからってシャワーを浴びさせられて、風呂場からビクビクしながら出たら、妙にカッチリした着替えが用意されててな……」
深いため息と共に稲葉は語る。
「よくわからないままネクタイ締めてジャケットを羽織ったら、とある部屋に連れて行かれてさ、そしたらしずくちゃんの父親が待ってた」
両手で顔を覆いながら言う稲葉に、俺もぞっとした。
突然しずくちゃんに家に連れて行かれてシャワーを浴びさせられたと思ったら父親と対面とか、なにそれこわい。
「結構恰幅のいい、押しが強い人でな……奥さんとの馴れ初めとか、いかに自分の子供達がすばらしいかを語られたんだけど、要約すると、俺はしずくちゃんと結婚するか、さもなくばすばると結婚しなきゃいけないらしい」
げっそりとした様子で稲葉が話す。
「待て、意味がわからない」
「俺もわからない……」
大きなため息をつきながら稲葉が言うが、ここで話を終わらせられても全く何があったのかわからない。
「頼むからここで説明を諦めないでくれ」
「つまりな、建前としては、しずくちゃんがここまで入れ込んでいるのにしずくちゃんと付き合わないのは、しずくちゃん以上に俺が魅力的だと認識しているすばるがいるからだろ?」
椅子に座りなおし、稲葉は気を取り直しつつ話し出した。
しずくちゃんの父親曰く、自分の娘はたぐい稀にみるいい女である。
しかし、話を聞く限りでは、実際稲葉の彼女である朝倉すばるという女性もとても人間ができた、素晴らしい女性である事は、認めざるを得ない。
そのすばるとしずくちゃんを比べて、すばるを選ぶと言うのなら、悔しいが祝福する。
ただし、こんなにもいい女に囲まれていながら、最終的にしずくちゃんもそのすばるともくっつかずに、他のしょうもない女とくっついたら絶対に許さない。
というような事を言われたらしい。
「別にしずくちゃんとくっつけばいいだけの話じゃねえか」
「しずくちゃんを選んだら気が変わらないうちにとか言ってすぐに籍を入れられそうな勢いなんだけど!?」
俺が呆れながら稲葉に言えば、稲葉がものすごい勢いで言い返してきた。
「……なら稲葉はどうしたいんだよ?」
ため息をつきながら俺は稲葉に尋ねる。
もういっその事、学生結婚でもなんでもすればいいと思う。
すばるへの口ぶりから、稲葉も両親もその事には反対しないだろうし。
「もう少し猶予が欲しい。結婚なんて俺もしずくちゃんもまだ早い思うし、このまま流されるとこれから先ずっとあの親子に1から10まで決められそうな気がする……」
怯えた様子で言う稲葉に、なんとなく言わんとする事は伝わったが、それこそお互いに話し合うべき点ではないだろうか。
「そこはむしろ、先に意思をはっきりさせておいた方がまだ待ってもらえるんじゃないのか?」
「いや、あれはお互いの意思が決まったならもう待つ必要がないとか言い出す……というか、既にそんな事を言っていた」
泥水のように淀んだ目で稲葉は言葉を続ける。
顔全体から全く生気を感じない。
「しずくちゃんのお父さんとは一昨日から昨日にかけて初めてまともに会話したんだけど、あの人は姉ちゃんと同じにおいがする。人の意見を聞いても最終的には自分の意見を何が何でも通すタイプだ……」
諦めたように稲葉は言う。
「あー……、なんとなくどんな感じの人かは想像ついた」
想像はついたが、それこそ俺にはどうしようもないし、むしろ美咲さんに近いタイプなら、逆に稲葉としても付き合いやすいのではないかと思う。
「だから頼む将晴! 俺が大学卒業するまでで良いからこのまま彼女のフリを続けて欲しい!」
直後、稲葉はとんでもない申し出をしてきた。
つまり、最短でも後二年以上この彼女ごっこを続けろというのである。
「頼む!」
稲葉が椅子から立ち上がると向かいに座っていた俺の前までやってきて土下座をする。
そりゃ稲葉にはすばる用のマンションをタダで貸してもらって、おかげで俺はかなり快適な生活を送れてはいる。
しかし、今までのトラブルの数々を踏まえた今後のリスクを考えると、生活の拠点を当初の安アパートに戻した方がまだ平穏な生活が送れるだろう。
「断る! 稲葉もしずくちゃんを受け入れて、せっかく俺にも彼女ができたのに何が悲しくてこれ以上そんな事を続けなきゃならないんだ!」
土下座する稲葉を無理矢理起き上がらせ、胸倉を掴みながら俺は言った。
魂の叫びである。
「気持ちはわかるが、俺の今後の人生もかかってるんだ!」
「俺の人生も既にお前のおかげで大分エライことになってるんだけど!?」
負けじと稲葉も俺の両肩をがっちり掴んで勝手な主張をしてくるので、俺もその腕を掴んで引き剥がそうとする。
……こいつ、無駄に腕力強すぎじゃなかろうか。
「多分! かすみもその方が面白そうって喜ぶって!」
「仮にそうだとしても知るか馬鹿野郎!」
体格差を考えても腕力では勝てそうも無いので、椅子を避けて後ろに下がれば、今度は腰の辺りに稲葉が抱きついてくる。
重い。恐ろしく歩きづらい。
「あいつもアイドルだし、見た目は同性でもあんまり仲良すぎて変な噂とかたっても困るだろ? 事務所の所長もアレだし、隠れ蓑にもいいと思うんだ!」
稲葉はなおも食い下がってくる。 自分の姉をアレとか言うなよ。
さすがに理由付けとしても苦しい。
最近は同性愛も認知されてきてはいるが、同性同士、特に女同士の場合は基本つるむものだし、なんでもかんでもそんな事を言っていたらきりが無い。
だけど、と俺はこの三ヶ月の事を思い出す。
中島かすみ、優司、一真さんとたて続けに実は男であるとバレたのだ。
全て俺の脇が甘かった事が原因だし、不注意と言えばそれまでだが、何が起こるかもわからないし、今後も全くそのミスを犯さないという自信は俺には無い。
「……まあ、考えとくよ」
俺が稲葉の頭をポンポンと撫でながら言えば、稲葉は大層喜んでいたが、俺はそれどころじゃない事実に気が付いてしまい、気が気じゃなかった。
もし、俺が男だという事が公にされたとして、一番大変なのは誰か。
という事を考えると、それは既に公私共に仲が良いのだと公言してしまっている中島かすみだ。
その時、俺には彼氏が居て、恋愛対象は男であるという事にしておけば、少なくとも中島かすみに色恋関係でスキャンダルが及ぶ事は無いように思える。
中島かすみは家族とも険悪らしく、その手の話題は一切振ってこないが、ということは、今の芸能活動がダメになった時、あいつの逃げ場はあるのだろうか。
そうなると、万が一にも俺の勝手な理由で中島かすみにとばっちりが行く事だけは避けたい。
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