第19話 大事な話
「ふーん、そうなのか。じゃあ俺、前しずくちゃんが話してたアニメの劇場版見たいな。一時期話題にはなっててすばるにも薦められたけど、結局見ないで終っちゃったし。ほら、ロックズドアー」
対して稲葉はのん気にしずくちゃんに語りかける。
ロックズドアーとは、中二病を患った大学生が様々な世界線を飛び越えてヒロインを死の運命から救おうとする、少し前に話題になったゲームが原作の作品だ。
俺は一時期かなりはまって、アニメから始まり原作ゲームまでプレイし、ヒロイン達のコスプレをしたりもしていた。
「もちろん見られるよ!」
須田さんもロックズドアーは好きだったようで、俺と須田さんで熱心に布教活動した結果、今ではしずくちゃんもすっかり気に入っている。
そして、稲葉にはしずくちゃんがはまっている作品の一つだとして、デートの日までにテレビ放送されたアニメに目を通しておくよう指示したのだ。
いざ観てみると、稲葉自身もはまってしまったようで、ここに来る途中もその話に花を咲かせていた。
「そっかー、じゃあそれ観たいんだけど、さっきからその映画見つけられないんだよな~」
「うーん、なんでだろう。ちょっと聞いてみるね」
稲葉が首を傾げれば、しずくちゃんは端末から担当者らしき人に繋いで話し始めた。
恐らく、端末にはアレな内容の映画しか表示されないようになっていたのではないだろうかと俺は推測する。
とりあえず、今回はなんとか回避できたようで良かった。
「検索機能の調子が悪かったみたいだけど、話は通したからこれで映画は観られるよ。それにしても、すばるさんに勧められたなら、なんで一緒に見に行かなかったの?」
通話を切った後、しずくちゃんは不思議そうに稲葉に尋ねた。
「この映画はアニメの続編だし、私は原作ゲームもやってたから楽しめたけど、稲葉はどっちも知らなかったから、まあいいかな~って」
稲葉が適当に答えてボロを出す前に、恋人同士だが、そこまで何でも趣味を共有している訳ではない、と、横から軽く俺はフォローを入れる。
「だな~。でもつい最近、しずくちゃんも面白いって言ってたし、すばるに言われてアニメ見てみたら、面白くってさ。もっと早く見てれば良かったよ」
稲葉も俺の言葉に頷きながら自然に答える。
とりあえず、ここまでくれば最悪の事態は回避できただろう、と俺は一息ついたが、ふとある事を思い出した。
「あ、でも一真さんは大丈夫ですか?」
この映画はテレビ放送されたアニメの続きなので、それを知らないと一真さんは内容についていけないのではないかと思ったのだ。
「大丈夫ですよ。度重なる上映会と語りで内容は把握しているので」
しかし、一真さんから返ってきた答えに俺は、ああ……、となんとなく察した。
多分、一真さんは須田さんとしずくちゃんから色々な作品の布教活動を受けている。
実際、俺はしずくちゃんの家に招かれた時に幾度かその場面に遭遇している。
一真さんはニコニコしながら話を聞いていたが、もし興味がなかったとしたらそうとうな苦行となる事だろう。
今回だけならまだ一時間半、映画を見るだけだが、普段からその手の作品の上映会やら萌え語りやらを延々聞かされたりしているのなら、かなり辛いのではないだろうか。
「……お疲れ様です」
思わず出て来たのはそんな言葉だった。
「いえ、仕事ですから」
一真さんはいつもと変わらない笑顔で答える。
案外、一真さんの仕事も楽ではないのかもしれない。
映画を見終わると、俺達は再び車に乗せられ、前回同様高そうなレストランの個室に通された。
先程の映画の事もあり、俺は一体次は何を仕掛けてくるのかと内心ビクビクしていたが、ここでは特に事件は起こらなかった。
後はもうショッピングだけのようだし、このまま何もなければ良いのだが。
そう思いながら連れて行かれた先は、とある若者向けのアパレルブランドが多く入ったショッピングモールだった。
「お兄ちゃん、見て見て、これ可愛くない?」
「うん、良いと思うよ」
しずくちゃんが、夏物のゆったりしたブラウスを稲葉に見せ、稲葉がそれに頷く。
「コレとかも可愛いと思う。あ、でも色違いでこっちも良いかな?」
しかし、よく見るとしずくちゃんは、手に持っているそれらの服を稲葉に見せながら、稲葉自身にあてがっているようにも見える。
「そ、そうかな……しずくちゃんにはこっちのワンピースとか、似合うと思うな」
途中で稲葉も気付いたのか、すぐ近くにあったワンピースをしずくちゃんに宛がうと、少し大げさに言った。
「本当? ちょっと試着してみようかな」
しずくちゃんは嬉しそうにワンピースを鏡で合わせる。
このような攻防が、先程から何度も繰り返されている。
俺はそれを邪魔にならない範囲で、たまに稲葉のフォローをしつつ、つかず離れずの距離から見守っていた。
しずくちゃんとしては、稲葉の趣味に合わせようとの配慮なのだろう。
しかし、明らかに体形が男の稲葉がリアルで何の策も無く女物の服を着るなんて自殺行為でしかない。
男らしい骨格が邪魔して、可愛らしい格好が破滅的に似合わないのだ。
誰がどんな服を着るのかは自由だが、好きでもない似合わない服を着せられるのは普通に嫌だろう。
それ以上に、万が一にでもその格好を知り合いに見られたら、稲葉の生活に色々と問題が出てくる事だろう。
そしてそんな格好をしずくちゃんの父親が派遣した人達に見られたとしたら……少なくとも良い事は起こらないだろう。
結局、俺達は小一時間程しずくちゃんと攻防を繰り返し、さすがに疲れたのでショッピングモールの一角にある喫茶店へと足を運んだ。
「なんだか、お兄ちゃんもすばるさんもさっきから元気ないけど大丈夫?」
「うん、ちょっと歩いて疲れちゃっただけだから……」
それぞれ飲み物を頼んだ後、心配そうに俺と稲葉を見てくるしずくちゃんに、俺は笑顔を取り繕う。
「この前もそうだったけど、お兄ちゃんも気にしないで自分の好きな服買っていいんだよ?」
やはり、しずくちゃん的には稲葉に気を使っているのだろうが、その気遣いが全くの見当はずれなのが悲しい所である。
「しずくちゃん、大事な話があるんだ……」
稲葉は深刻な顔をして隣に座るしずくちゃんに向き直った。
「な、なに?」
しずくちゃんも稲葉の雰囲気に圧されて緊張した様子を見せる。
同時に俺にも緊張が走った。
まさかこの状況にうんざりして、この場で女装や百合趣味云々は嘘だったと暴露するのではないかと思ったからだ。
昔から稲葉は追い込まれ過ぎると、たまに自暴自棄になって全てを投げ出して現実逃避したがる所がある。
最近はそれでよくすばるにプロポーズまがいの事を言ってきていたが、そのノリでポロッとその特殊な趣味に関する嘘を暴露するのは、この場において最悪だ。
既に散々それでしずくちゃんを振り回しているのに、今さら「やっぱり嘘でした」なんて言ったら、特に今日、そんな事話したら、確実にしずくちゃんの父親までその事が伝わる。
父親の心証は最悪だろう。
頼むからへんな事口走るなよ……と俺が固唾を飲んで見守る中、稲葉は口を開く。
「アレは人知れず楽しむからいいのであって、オープンにするのは違う」
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