〈組曲〉ジーグ

 僕は、先生だった死体を地下室から移動し、図書室に放置した。

 自分の手を彼の汚い血で汚したくなかったから、転移の魔法で一発だ。

 そして僕はいつもそうしていたように、息を殺してそこから離れた。そうすると僕の体は見えなくなるようで、城内の誰にも見つかることは無かった。

 一人の司書が見つけたらしく、図書室に人が集まってきて騒然とした。

 そこに小さな女王さまが居なかったのは、いいことだと思った。

 すぐにイグナートの葬送は行われた。

 王宮の北側に隣する小高い丘の地下に、葬列が続く。ぼんやりとそれを眺めていると、その列に一人だけ小さな人間がいた。

 大人の為に作られた大きな王冠を小さな頭に乗せ、リボンでいっぱいの黒いミニドレスを着た少女だ。僕は一瞬でその子が女王ロザリンデだということがわかった。

 葬送が終わると宮殿内が騒然としだした。僕は慌ただしく動く兵士と女中の間を縫ってそっと城内を散策し、情報を探ろうと思った。すると、僕のすぐ横を走り抜けた小さな影があった。

 彼女だ。

 その後をそっとつける。少女の走る幅など決まっていると思っていたが、なかなかに速かった。大股で歩けばついていけた。

「ロザリンデさま! どちらにいかれるのですか!?」

 走る彼女をさえぎった女中がいた。灰色の髪と瞳……。

 僕は小さな女王と同じタイミングで足を止めてしまった。

 まさか、こんなところで出会うだなんて思いもしなかった。

「ファ……」

「ファイナ! 一緒に後宮にもどるのじゃ! じいやのいない王宮なぞ……!」

「だからといって、わがままを言ってはいけません!」

 大声をあげて泣きわめく子供を諭すファイナ。

 僕は黙ってそれを見ていることしかできなかった。

 少女はわんわんと泣きながらファイナに抱きついた。

「おかあさん! おかあさん! あああああ!」

「……おかあさんは、ここにいるから……」

 ファイナは、女王を実の子供のようになだめていた。僕はそれを見て、やりきれない気持ちになったよ。だって……彼女の本当の子供は……。彼女は、きっと実の娘が生きていることを知らないんだろう。だから、このやんごとない少女を……。

 僕がイグナートを殺した理由は、二つあった。

 一つは、アラムとファイナのかたきうちだ。

 もう一つは、合法的にリュリを孤児院から連れ出す肩書を手に入れるためだった。

 僕はその地位を得るために、ファイナの腕を離れたロザリンデを追いかけた。

 ファイナを横切るとき、僕は彼女がつぶやくのを聞き逃さなかった。

「……リューリカ……」

 その虚ろな声は僕の心を突き刺した。

 僕は女王を追いかけながら、小さな仮面を作り、それで自分の目元を覆った。

 僕がファイナに会えば、この顔を見てリュリのことを思い出させるだろう。

 そして僕も、感情が露わになった顔を見せてしまうだろう。

 それは、本当に最後の時までにとっておこうと思った。

 妹をこの手にするまで。

 だからその日まで、英雄の名を借りることにした。

 その日から、僕は仮面の魔術師ジークフリートになったんだ。


 子供を懐柔するのは簡単だったよ。

 そもそも錯乱していたし、喜んでいたという、悪戯もしてあげた。

 ただ、あんまり嬉しそうな顔をするから、僕の良心が少しだけうずいた。

 摂政になって最初にしたことは、女王の口調を矯正することだった。

 古臭い話し方はイグナートのそれを思い起こさせたし、何より少女にはふさわしくないと思ったんだ。

 そんな女王の傍にはいつも乳母がいた。ファイナだ。

 女王の周りには年相応の子供はいなかった。

 僕はこれをチャンスだと思った。女王からの勅命があればこちらとしても動きやすかった。

 ある日、僕は彼女にそっと尋ねた。

「陛下は、お友達が欲しくありませんか?」

「おともだち? わらわにはファイナとお主がおる」

 きょとんとしてみせるロザリンデに、説明してやる。

「それは大人のお友達ですね。同じくらいの歳のお友達がいると、楽しいですよ」

「楽しいの?」

「ええ、それはもう」

 僕は張り付けの笑顔を女王に見せた。彼女は年相応に瞳を輝かせた。

「わらわ、お友達が欲しい! 連れてきて!」

「かしこまりました」

 これで、どう動いてもいいというお墨付きをもらえた。

 僕はさっそく、妹を迎えに孤児院へ行った。場所はわかりきっていたから、転移の魔法で向かった。

 孤児院のドアを叩くと、中から中肉中背の中年の女性が出てきた。

 女王の使いだと言い、彼女に妹の所在を問うたが、きっぱりと否定された。

「そんな子供知りませんねえ……。居たらすぐにでもお渡ししたのですが」

「そんなはずはありません、僕は確かに……」

「あ、いつものお兄ちゃんの声だ!」

 孤児院の戸棚の奥からリュリの声がした。すると、中年の女性は慌てて取り繕い始めた。

「少女の声がしたようですが? 彼女では?」

「いやねえ、お兄さん、空耳じゃないかしら」

「ママ―! お兄ちゃんがきてるのー?」

「……ちょっと中に入らせてもらっても、マダム?」

 やっぱりリュリの声がしたので、女性には少しの間止まっててもらうことにした。そして、声のする方へと歩みを進めると、他の子供たちが戸棚の前に立ち塞がった。

「帰れ! 悪魔め!」

 僕は少しずつ苛立ってきた。僕は生まれるときに確かに母親を死なせた。しかし、その子どもを〈悪魔の子〉と呼ぶのはイーシア地方に限られているはずだった。

「どうして僕が悪魔だと言うんだい?」

 僕が尋ねると、子供たちは口をそろえて言った。

「今朝、神さまのお告げがあったんだ! 悪魔がリュリをさらいに来るって!」

「ほう……。君たちは神さまを信じているのかい?」

「もちろんだ! 神さまは僕達をいつも助けてくれる!」

 子供には重たいであろうくわやすきを構えている子供たちの手は、恐怖で震えていたよ。気が立っている僕を牽制する力にはなり得なかったけどね。むしろ、僕の苛立ちに火を付けた。

「じゃあ、試してみようか……君たちの神さまが助けに来てくれるかどうか……」

 僕が腕で丸く円を描くと、彼らを囲むように炎の壁が出来た。勇気のある子どもなら、転がって出てこられるくらいのつもりだった。しかし僕の想定よりも子供たちはずっとか弱かった。

「ぱちぱち、って、何の音?」

 リュリが戸棚から転げ出てきた。すると、彼女は恐怖に目を見開いてその場に立ち尽くしてしまった。僕は炎の円を遠回りし、彼女の元に近づいた。

「リュリ、火が危ないから、すぐにここを出よう?」

「みんなは? みんなはどうなっちゃうの?」

 炎が彼女の顔を明るく照らし、白金の髪を緋色に燃え上がらせていた。それはまるで本物の炎のようだった。

 僕は正直、リュリ以外の人間なんて何も考えてなかった。

 悪魔の子という呼び名を知られた以上、これからのヴィスタに摂政としていられるかどうかも分からない。だとしたら、孤児院ごと抹消するのが最善だろうと僕は考えた。でもリュリには心配させたくなかったから、僕は嘘をついた。嘘は、嘘で塗り固めないと剥がれてしまうものだとは知らずに。

「悪い人が君を狙っているというのは、嘘だったんだ。そいつは、孤児院のみんなを狙っていたんだよ。お友達には気の毒だけど、ここから逃げるのが先だよ」

「いや、いやだああ! だめ、みんな死んじゃうよ!」

「さあ……一緒に……」

 リュリは差しのべられた僕の手を振り切って、孤児院の奥の部屋へと走って行ってしまった。それを追いかけると、彼女は水瓶を求めてあちこち走りまわった。僕は彼女を追いかけるのに夢中で気付かなかったけれど、僕のつけた火の回りは意外に速かった。木造の大きな孤児院をも容易く火だるまにしてしまっていた。

「中に誰かいるのか? 返事してくれ!」

 燃えた木が爆ぜる音の合間に、少年たちの声が聴こえた。国境警備の少年兵だと僕はすぐにわかった。彼らはすぐに消火作業に当たるだろう。そして、彼らの一部は果敢にも燃え盛る孤児院に突入して生存者を助けるだろう。その時に僕が見つかるのは非常にまずい事態だ。僕は、リュリをとっくに見失っていた。僕の知らないうちに、随分正義感と慈愛に満ちた娘に成長していた彼女は、今も火事を消すために水を求めているのだろう。

 自身の命よりも彼女を優先したかったのに、僕は再び彼女を失ってしまった。

 こんなことをするために、屈辱の元で〈魔法のギフト〉を磨いたわけではなかったのに……。

 僕は失意のどん底で、城に戻った。小さな女王には、残念な結果は報告しなかった。


 孤児院の火事は、ボーマン伯爵の管理下にある国境警備の少年兵たちの消火活動もむなしく、生存者が誰もいない悲惨な事件――〈孤児院事件〉と呼ばれ歴史にその名を残した。子供たちの言っていた「神さまのおつげ」とは一体何だったのか、僕にも知り得ないままだった。

 そして、犯人についてまことしやかにささやかれたのは、消火活動に当たった少年兵たちの誰かが放火犯ではないかということだった。まだ子供だし、面白半分でやりかねないと城内ではその噂で持ちきりだった。

 僕は、そんなことよりもリュリを再び失ってしまったという悲しみで自分を責める日々を過ごしていた。かといって、一度しか使えない時の竪琴を使って永遠に過去の世界に行ったきりになるのは嫌だった。

 事件からほどなくして、ボーマン家の当主リチャードがお忍びで僕のところにやってきた。

 僕を指名したというから驚いて、彼を僕の部屋に招いた。

 彼は、自身の領地で起こった凄惨な事件のせいか、心なしか以前に見たときよりかは少しやつれて見えた。

「事件のこと、お気の毒でしたね……」

「いやあ、参りますね、ああいうことが自分の代で起こってしまうと……」

 彼は僕の出した紅茶を少しすすると、少し瞳を丸めて、美味い、とひとことこぼした。

「心中、お察しします」

「これはご丁寧に……」

 苦笑いが彼の引き締まった顔に浮かぶ。何度か彼と話したことはあったが、まろやかな響きの声は貴族の高圧的な語り口とはほど遠い好感の持てるものだった。すると彼は青い瞳を真っ直ぐにこちらに向け、改まって言った。

「摂政ジークフリート殿、本日は、個人的な取引に参りました」

「一体、何の取引でしょうか、ボーマン卿? 毛皮なら十分……」

 僕がそう言いかけると、彼はおもむろに書類を取り出し僕に手渡した。それは孤児院事件の報告書だった。僕は全てを知っていたからページをぱらぱらと只めくるだけにしていた。だが、ある数字を目にしてその手は止まった。死傷者の項目だった。居間に子供の焼死体が七体、大人の焼死体が一体、台所にももう一体。それだけだった。

「孤児院には十名が在籍していたと聞きました。行方不明者が一人いるようです」

 一人は骨までも焼けてしまったのかも。リチャードはそう言うと、紅茶をまた一つ呑み込んだ。僕の心拍数が上がる。もしかしてその行方不明なのがリュリだとしたら……。

「そうそう、それと、燃え盛る孤児院から出てきたのはどうもボーマンの兵士ではなかったようなのです。異国の衣装に黒い髪……ちょうどあなたのような……」

 彼はそう言うと、舐めるように僕の方を見やった。僕の資料を持つ手に汗が滲んできた。聞いたことのない彼の揺ぎ無い口ぶりに、一切のはぐらかしは無駄だと悟った。

「……どこでご覧に?」

「いえ、私は目が良いのですよ……それが〈ギフト〉でしてね」

 そっと口の端を上げる彼を、僕は始末しなければならないと思い始めていた。

 しかし、相手は伯爵家の者。どうやっても地に足が付くだろう。彼は朗らかに続ける。

「いやあ、少年兵に濡れ衣が掛かっているのは、いささか不本意でして……」

「……何がお望みです、リチャード殿?」

 彼はりりしい眉をおどけさせると、さらりと言ってのけた。

「何、大したことじゃありません。ちょっとうちのちびたちをヴィスタの城下町で働かせてやってほしいだけです」

「何の代償もなしに? こちらにはどんな得も見られませんが?」

 僕が張り詰めた空気の中思いあぐねていると、彼がにわかに話題を変えた。

「ジークフリート殿、私は神話を信じる性質なのですが……」

 彼は寂しそうに苦笑し僕の部屋を見渡した。

 特に必要なもの以外置いていない部屋だったので、見てもつまらないだろうと僕は思った。

「あなたならきっとご存じでしょうね、〈時の竪琴〉のことを……」

 僕が口をはさむ隙を作らず、彼は淡々と続けた。その視線は僕の竪琴に注がれていた。

「あれがそうだとするなら。私を過去に送っていただきたい……」

「二度と現代に戻ってこられなくとも……?」

「ええ……。どうでしょう、悪くない取引だと思いませんか?」

 彼は、僕でさえためらった一方通行の時間旅行をするつもりでここに来たみたいだった。

 その決心と〈竪琴〉が本物であるという確信は一体どこから来るのか。

 僕にはまるで見当がつかなかったが、意志の強さだけは理解できた。

 何よりも、僕自身に痛手があまり伴わないように思えた。

 本当にたった一度の使用で絃が切れてしまうとも限らないと思い、僕はリチャードを過去に送ることを快諾した。

 断腸の思いだったが、リュリが生きているかもしれないという可能性にかけたのだ。

 僕は彼の為に竪琴を爪弾いた。

 彼が時空の歪みを通り過ぎると、絃は一本を残し全て切れてしまった。

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