第8話 狂戦士
そこは、薄暗い部屋であった。
飾り気のない冷たい石造りの部屋の中はひんやりと肌寒く、その場に居続けるだけで気が滅入りそうだ。
だが、それは人間であったならば、の話だ。
その部屋に人の気配はない。かわりにあるのは、様々な形をした異形どもの姿だ。
ある魔物は四本脚を折りたたみ、白い石畳の上に寝そべっている。またある魔物は人間のように甲冑を身につけ、長槍を手に直立している。その頭部は犬とも狼ともつかぬ獣のそれであった。
ちょっとしたパーティーを開けそうな広い部屋の奥では、何体かの魔物が椅子に座り目の前の壁と睨み合っていた。その壁のあたりには、何やら文字や数式、あるいはグラフらしき色とりどりの光が浮かび上がっている。
その情報は刻一刻と変動し、新たなものに書き換えられていく。どうやら彼らは、その情報を一日中監視し続けているようだ。おそらくは魔物の中でも相当知力に優れた種なのであろう。
ここは、魔王軍の前線部隊の拠点の一つであった。こうして人間界からの情報を収集し、その情報を本部へと送り、場合によっては拠点指揮官の判断で人間界を襲う。
前線基地を統べる指揮官は、情報収集班から少し離れた場所で、石造りの大きな椅子にふんぞり返っていた。
熊のような頭部と胴体に、やはり熊のような太い手足が生えた魔物。その背中には、大鷲のごとき一対の巨大な翼が生えている。
彼は、いささか暇を持て余していた。
この拠点に配置されたのはつい最近――と言っても、もうかれこれ二年近くになるが――のこと。
だが、この地方は今のところ魔王軍にとってはさほど重要な区域ではなく、その任務も基本的に偵察、情報収集に留まっている。
根っからの武人肌である彼にとって、それは何とも退屈なことであった。敵は殺し、食らうもの。血みどろの闘争こそが、彼が望む唯一のものであった。
実際、彼は魔王軍においてこれまでに数多(あまた)の武勲を立ててきた。魔王に仇なす強者も、いったいどれほど屠ってきたか知れない。二級冒険者はもちろんのこと、人間たちにとっての切り札ともいうべき一級冒険者を討ち取ったことさえある。
魔王軍内部においても、彼の名は「狂戦士」の二つ名と共に轟いていた。
その後しばらくは本国防衛の任に就いていたが、再び前線に出ることができると聞いた時には、彼の心は歓喜に打ち震えた。
勇者とやらが現れたという北部や、人間どもが連合して必死に抵抗している中西部。あるいは魔王軍に与しない龍族の一派や森の民が支配する地域。彼が求める敵は、この世界にごまんと存在するはずであった。
それが、いざ前線に配属されたかと思えばこんな辺境での偵察任務だ。ちょくちょく人間を狩ってはいるものの、その程度で渇きが満たされるものでもない。
そのような事情のため、彼はいつも機嫌が悪かった。今日も憂さ晴らしに配下の魔物を何体か絞め殺した後、こうしてずっと椅子に座り続けている。
と、壁の方から声が上がった。甲高い奇声と、低い獣のうなり声だ。
「な、何だこれは!?」
「ここは雑魚しかいないのではなかったのか!?」
「どうした、騒がしい」
彼の問いに、魔物たちが口々に答える。
「ボルドンさま! 高魔力反応です!」
「それもかなりの術者です! なぜこれほどの術士がこんなところに!?」
「高魔力反応だとぉ?」
ボルドンと呼ばれたその魔物は、問い返しながらも嬉しそうに顔を歪めた。きっと笑っているのだろう。
部下たちが見つめる文字列を、ボルドンも覗き込む。
「それほどのものなのか?」
「はい。ですが不思議です、それほどの魔法を用いなければならないような魔物はあの付近には配置していないはずですが」
「あるいは、人間同士で衝突でもしたのでしょうか」
「そんなことはどうでもいい!」
そう吠えると、ボルドンは目を|爛々(らんらん)と輝かせながら言った。
「肝心なのは、そこに高位の術士がいるということだ!」
「はっ」
「俺は行くぞ! 久々の獲物だ! 俺の手でぶっ殺す!」
血と闘争への期待に、ボルドンは歓喜の声を上げる。
「本部への報告はいかがいたしましょう」
「そんなものは後だ! 連中に横取りされてたまるか! これは俺の獲物だ! 誰にも渡さん!」
もはやボルドンの頭の中にあるのは、自らの退屈を紛らわせてくれる活きのいい獲物と死闘を楽しむことだけであるようだ。こうなってしまっては、何を言っても聞く耳をもたないだろう。
部下たちは素直に指示に従うことに決めた。下手に本部に報告して、ボルドンの逆鱗に触れてしまってはかなわない。
まあ、本部への報告が多少遅れたところで大した問題にはならないだろう。そう部下たちは楽観視している。
強力な魔力反応が検出されたとはいえ、魔王軍の前線指揮官であるボルドンが自ら出陣するのだ。彼は知能こそその辺の魔物に毛が生えた程度であるが、その戦闘能力は前線指揮官を任されるに十分なものであった。
そんな部下の視線など気にする素振りも見せず、ボルドンは一振りの戦斧を手にした。これまでに数多の血を吸ってきた、ボルドンお気に入りの大斧だ。
おもむろに斧を振り上げると、ボルドンは足下にいた魔物にそれを振り下ろす。
断末魔を上げる間もなく絶命した魔物にはもう目もくれず、ボルドンは久し振りに巡り合えた強敵をどのように刻んでやろうかと残忍な想像に思いを巡らせるのだった。
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