ビフォア・ファントム㉒白く塗られた壁

 掃除が終わってしばらくした後、娼婦たちと夕食をとり、そしてまた娼婦が仕事を終えた部屋をエレナと一緒に掃除する。黙々と仕事をこなすが、いつアリアに声をかけるかクロウは気が気ではなかった。そして……。

「クロウ、ちょっといいかしら」と、ついにアリアがクロウに声をかけてきた。

「あ……うん」と、諦めの混じった声でクロウが返事をする。


 クロウはアリアに連れられ建物の奥に入っていく。客室のドアがなくなり、古びたドアや足の壊れて立てかけられている、物置に近いスペースになってきた。向かう先はどうやら客室ではないようだった。

「……どこに連れて行くの?」

「あ~。え~と、カールスさんのところよ」

 客を取らされるわけではないのか、と安心したのも束の間、クロウはメグの言葉を思い出した。

「……どうして?」

「うん、あのねカールスさんが貴女に話があるみたいなの」

 そして、二人は廊下の突き当りの扉についた。他の客室と違い、両開きの深い茶色の頑丈そうな木製の扉だった。

 アリアがその扉をノックして言う。「アリアです。連れてきました」

 扉の奥から「入れ」と声がした。

 扉を開けると、室内ではカールスが机で葉巻をふかしながら火酒を飲んでいる最中だった。

「……来たか」と、目を性欲でギラつかせてカールスが言う。

 クロウより後ろに下がると、「じゃあ、わたしはこれで……。」とアリアが扉に手をかけた。

 だが、去ろうとしたアリアにカールスが、「お前も残れ」と告げる。

 アリアは驚いてカールスを見るが、すぐにハイと扉を閉めた。

 カールスが立ち上がり、革張りの安楽椅子で蒸れた尻を掻きながらクロウに歩み寄る。カールスの手が届くほどの距離になった時、クロウが口を開いた。

「私に触らないで」

 カールスの目が座る。クロウの眼光も鋭くなった。

 しかし、カールスは何故かクロウを避けて通り過ぎアリアの前に行き、突然平手で彼女の頬をぶった。肉を叩く鋭い音と同時に、アリアが「きゃあ!」と悲鳴を上げて床に尻もちをついた。

「……口答えをしてみろ。その度にこの女を殴ってやる」

「……何言ってるの? どうかしてるんじゃない? 彼女は関係ないでしょ」

「教育がなっていない罰だ当然だっ」

「馬鹿げてる」

 カールスはそうか、と言ってアリアの髪を掴んで無理やりに立たせた。アリアが再び悲鳴を上げて、許してくださいとカールスに哀願する。しかしその哀願も虚しく、カールスは再びアリアに平手を見舞った。アリアの甲高い悲鳴が室内に響いた。

「どうする? コイツの顔が収穫し忘れたトマトみたいになるのを黙って見てるか?」

「赤の他人よ」

「そうか」

 カールスは平手を握り拳に改めてクロウに見せつけた。めいいっぱい握られた拳は酒の力もあって真っ赤に光沢していた。そしてカールスが弓を引くように大きく振りかぶると、

「分かったわっ」

 クロウがカールスを制した。そして憎らしく大きなため息をついてから、上着の襟元の紐を緩ませ服を脱ぎ始めた。

「はじめから素直にそうしてればいいんだ」

 クロウは黙々と服を脱ぎ、カールスの前でついに全裸になった。

 カールスはクロウに近づき、何の前振りもなく胸を鷲掴みにする。痛みというより、嫌悪でクロウの顔が少し歪んだ。

「経験したのは人間だけか?」

「故郷で、フェルプールの男とも……。」

「そうか」カールスは胸を存分に揉むと、次は後ろに周りクロウの尻を揉みしだいた。「体の造りは変わらないんだな……。」

「当たり前でしょ」

「ふん……じゃあ、そこの机に手をついてケツを向けろ」

 クロウはアリアを気にしながら言う。「人払いをしてよ」

「黙って言うとおりにしろ」

 クロウは苦々しい表情で机に手をつき、後ろを向いた状態で「とっとと済ませろよ」と、聞えないくらいに小さな声で呟いた。


 カールスは手にしていた小瓶から潤滑油を取り出し、掌にそれを注いでからクロウの股間に塗りたくった。突然感じた油の冷たさで、クロウが小さく声を出す。そしてカールスはクロウの陰部を指で広げてから、一気にクロウを肉棒で貫いた。予想以上のカールスのいちもつの大きさで、クロウの口から臓腑から押し出されたような息が飛び出る。

 カールスは性器の感触を確認するようにゆっくりと縦にストロークを繰り返し、そして具合を確認し終わると鼻息をテンポよく鳴らしながら腰どころか体全体をクロウに叩きつけるようにして挿入を繰り返し始めた。そんないたわりなど一切ない、強引な一定のリズムのピストンで突かれる度に、反比例してクロウの呼吸は乱れた。

 幾度もピストンを繰り返した後、次第にカールスの呼吸が荒くなり、最後は力みと悦楽、さらに解放感の混じった海象せいうちのような雄たけびを上げてからカールスはクロウの中に精液をぶちまけた。精液が放出された瞬間、クロウは耐え難い嫌悪で擦り減らんばかりに歯を食いしばり、マホガニー製の机に爪を立てていた。


 事が終わると、息を切らせたカールスが机に突っ伏しているクロウの耳元で囁いた。「思ったより具合が良かったな。だが、こう受け身だと客が退屈するぞ。演技でもいいから喘ぎ声くらいだしておけ」

 汗だくの顔を近づけられたクロウの頬に、カールスの汗がしたたった。

 カールスは腰を伸ばし、「井戸で水を浴びてくる。後始末をしておけ」とアリアに告げて部屋を出て行った。


 受け身だっただけなので、特に体力を使ったわけではなかった。しかし、体が疲労感にも似た虚無感で満たされ、クロウはすぐに動く事が出来なかった。

「……クロウ、大丈夫?」と、アリアがクロウの服を畳みながら言う。「何ていうか、カールスさんは好色家だけど、娼婦に無茶な行為はしないから安心して」

 なにが安心してだ……。クロウはそう声に出そうとしたが、その力すらなかった。

「貴女も後で体を洗ってくると良いわ。井戸の場所はわたしが案内するから」

 クロウはよろめきながらも何とか体を起こす事が出来た。数歩あるくと、股間からカールスの年齢に似合わない濃いい精液が堰を切ったようにドプンと流れだし、改めてクロウは「クソッタレっ」と悪態をついた。

 アリアは持っていた布巾を水差しの水で濡らし、大変よね、といった表情でそれを渡した。

「……分かるわ、貴女の気持ち。言ったでしょ? わたしも昔はそうだったって。でも慣れないと、ここじゃあ生きていけないわ」

 精液を拭い終わったクロウに、アリアがはいと服を渡す。

「きっとこれからも受け入れづらいことが多くあると思うわ。もし、何かあったら遠慮なく言ってちょうだい? 女同士ですもの、協力し合わないとね」と、微笑んでアリアは言った。口元に薄らとほうれい線の浮き出る、暖かみと母性を感じさせる親しみやすい笑顔だった。

 クロウは服を持ったまま、真顔でアリアを見る。

 そんなクロウの様子に、眉をややしかめて伺うようにアリアは訊く。「……なに?」

「……それ演技でやってるの? それとも天然?」

「……え?」

「そのツラの皮の厚い笑顔、私に向けるのやめてもらえる?」

 アリアを唖然とさせて、黙々とクロウは服を着始めた。


 臆病さと卑屈さを幾度も上塗りして、そうし始めたのがいつだったかも忘れるくらいの、塗料でまっ白に塗りたくられた壁のような白々しいその笑顔に、危うく唾を吐きかけるところだった。

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