師の教え

              ※※※


「女であることは構わん。せめて、リザードマン竜人であってくれたら……。」

 師匠は湯呑ゆのみのお茶をすすり、しばらく間を置いてから言った。

「何者が反対しようとも、お主に道場を継がせたものを……。」


 リザードマンは他の種族と比べても特に表情に変化がない。しかし、師匠に刻まれた陰影は見るものに彼の辿たどってきた人生を雄弁に語る凄みがあった。湯呑ゆのみを持つ手さえも、まるで柄を握っているかの如く剣気がほとばしっているのだ。私がここを出る頃には既に私と道場で肩を並べる者はおらず、師匠でさえも老齢からくる体力の衰えから立会が満足にいく状態ではなかった。しかし彼と一緒にいる時は、隙を見せてしまえばその刹那、首がはねられるのではという冷ややかな妄想をせざるを得なかった。


「私がこのままここに留まっても、良い顔をしない者が増えるだけでしょう……。」

 隙を見せるのがはばかられるので、私はお茶に手を付けなかった。


「これから、どうするつもりだ?」

「諸国を周るつもりです。私のような雑種には、居場所となるような所はありませんから……。」

 師匠はふむ、と納得すると目を細めた。思案しているようだ。長いこと彼らと一緒にいたので、その頃には彼らの表情を理解するのは苦にならなくなっていた。


「我が流派は、最も古い実戦派だと言われている。だが、実戦とは何か……。」再度、師匠は湯呑に手をつけた。

「……先の大戦で、剣術はもはや過去の遺物となろうとしている。いや、それ以前の戦においても、達人が乱戦の中で命を格下相手に落とすということもあった。この国では無双とうたわれる我が流派でも、他国の武術と相対する時には、培った術理が相性ゆえに通用せぬということもある……。」師匠は幽玄なおもむきのある琥珀色の瞳でまっすぐに私を見た。「お主が身につけた武、それはあくまで基礎に過ぎん。これからの道のりで、それをさらに研鑽けんさんさせ、時には捨てることも必要となってくるかも知れん。その頃にはお前が身につけているものは我が流派とはまったく別物になっているだろう。しかし、それでも伝えることのできる普遍的なものがある」

 私は表情の光を変えた。彼らとの長い付き合いで、私もほんの少しの表情の変化で感情を読み取らせるようになっていた。


「それは……礼を尽くし、相手を敬うことだ」

 私は呼吸のみで頷いた。


「礼を尽くすというのは、丁寧に振舞うということではない。それは、己の立ち位置を定めるということ。そして相手を敬うということは、相手を知ろうとすること。それが武においては肝要なのだ。……相手を知り、己を知ることで無用な戦いを避けることができる。そして戦いが避けられぬ時は、相手の体と心を慮り……」しばらく師匠は沈黙した。何の表情もない沈黙だった。「相手の最も不得手とする所作を取り、優位につけ、さらには打ち倒すことができる」


 私は目の光のみで微笑んだ。「中々にえげつないことですね」

「武とはそういうものだ」琥珀色の瞳がぬらりと光った。「何も知らぬ相手に騙し討ちのように術を使用し、自分の命などは一切差し出さずに相手の命を奪う。まさに盗人ぬすっと所作しょさ。武芸者の中には精神の鍛錬など抜かす奴らもおるが、それが武の本質よ」


 師匠が微笑んでいるのが分かった。それは、赤子が近くで寝ていたら静かに息を引き取りそうな程に場の空気を薄くする笑いだった。


                ※※※


 壁の上の方ではサマンサが壁と直角にして立っていた。

 どうやら妖術の類ではなく、私が一発もらってぶっ倒れているらしい。

「クロウ……!」ロランがうずくまったままで私を見ている。気を失ったのは一瞬か。


 相変わらずの冷たい瞳でシスターが言う。「神に仕える身である私が、倒れた人間に手を加える事はありません。そのまま倒れていなさい」

「……神に使える身なら、そもそも人を足蹴にしない」

 私は体を返して空を仰いだ。灰色の空には高い所で鷹が舞っていた。よもや禿鷹が、私の肉をもうあさりに来たわけじゃあるまいな。次に地面を見てから、湿っている土を左手で掴んでパラパラとそれをほぐした。意味のない思考と意味のない行為をしながら整理する。どうやら本命は後回し蹴りじゃあなかったようだ。本命は、空振りした後ろ回し蹴りを逆回転させた左の蹴りか。距離と当った位置から、恐らくは上からの振り下ろすような蹴りといったところだろう。まんまと喰らってしまった、やれやれ中々の間抜けっぷりだ。生まれつきか鍛錬の賜物たまものか、かなり関節が柔らかいようだ。死角からの攻撃はかなり深刻なダメージだが、同時に無理な体勢からの蹴りなので決定打とは言えない。


「私のシナリオはこうだった」私は大きく呼吸をして、倒れたままサマンサを見て話す。「超強い戦士である私はお前さんの攻撃を器用に避け続け、隙をついてから剣を寸止めをする。お前さんはすぐに彼我ひがの差を察し頭を下げ、偉大なる戦士である私を丁重に老賢者のところへ案内する。何だったら紅茶を振舞ってのティーパーティーと洒落しゃれこんでもいい。ジャム入りの紅茶なら尚の事いいね、好物だ。私は自分の剣の術理を解説し、お前さんは私に羨望の目を向け非礼を詫びながら私の武を褒め称えるんだ。“ワタクシなどアナタの足元にも及びませんわ”などと互いに世辞を言い合いながらね」

「……もしかして時間稼ぎをなさっています?」

「ああ、そして少しばかり回復させてもらったよ」と、言いながら私はゆっくりと起き上がった。

「呆れた。もし私が倒れている間に攻撃していたら、貴女の命はなかったというのに」

「私もそう思う。だがお前さんはそうしなかった。それが全てさ」


 私は構えを変えた。大きくではなく小さく、体を絞り込むように腕を体の前で交差させ刀を握る。怪訝けげんな顔をしたが、シスターは相変わらずの構えだった。

「手心を加えたのは失敗でしたわね」

 当たり所が悪ければ脳震盪のうしんとうでは済まなかったというのに手心ときたかい。ある意味この清々しい自己完結っぷりには好意を抱かずにはいられなくなる。

「加減ならこちらも同じさ……シスター、ここから先は地獄だぞ?」


 私は踏み込んだ。腕ではなく、左右の握りの振りのみを利用して、最小限の斬撃を矢継やつぎ早に繰り返し進撃する。


「!?」

 サマンサの顔色が変わった。

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