第1595話:ポルプ・デリッチ~溝~

「溝……」

 そう言って連れている子供が指さした先にあったのは、壁。

 確かに溝が縦に一本あるが、わざわざ指摘するようなことではない。

 何かが気になっているのだろうかそういえばこの子は、産まれてすぐにこちらに来た子だ。

 見た目通りの年齢で、まだあまりものを知らない。

 だから壁に溝があるのが珍しいのかもしれない。

 思う存分見るがいいと、ほほえましく思っているとその視線はこちらに向いた。

「どうしてこの壁には溝がある?」

「んん……!」

 子供らしい疑問だ。

 子供は世の中の全ての物事には理由があると思っていて、大人はそれをすべて知っていると思っている。

 子供とはそういうものだ。

 そうして、時たまこうして目についた疑問を身近な大人に投げかけて答えを求め、返ってこない真実に絶望し、大人は万能でないことを知るのだ。

 そう、俺にもわかりはしないさ、こんな知らない建物の壁に溝が彫ってある理由なんて。

「わからない」と答えるのは簡単ではない、発音が苦手とかそういう意味じゃあないんだ。

 この子に大人は万能ではないことを知られるのはまだ早い、そう思うがゆえに俺はこの質問にはもっともらしい答えを提示してやる必要がある。

 少し考えてみて、こういうのは大抵おしゃれとか、そういう理由なんじゃないかという考えが出てきたが、問題はあんまりこの溝がおしゃれだとは思えないことなんだよな。

 もしこれで俺が「溝があるとおしゃれだろ?」とでも言おうものならこの子は「壁に溝があるのはおしゃれ!」と認識して大人になっても深層意識の中で「壁に溝があるのはおしゃれ」と反芻し、万が一建築家になろうものなら壁に溝を入れまくる建築家になってしまうことは間違いない。

 どうにか、慎重に答えを出さねばなるまい……

「あー、あれだよ。雨樋って知ってるか? 雨が降った時に雨水を一か所に集めて流すためのものなんだが、こういう壁の溝もそういう効果がある、はずだ」

 ヨシ、少し最後に自信なさげになってしまったが、それらしい理屈をひねり出せた。

 上出来なんじゃないだろうか。

「ふぅん、そうなんだ!」

 軽く納得をして、先へ進んでいく。

 まぁ、子供なんてものはこんな感じだよな……

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