第86話:メーティカ=メーティカⅤ〜静かな喫茶店〜
カランカラン
静かな店内にドアベルの音が響く。
「おや、お久しぶりですね。ご注文はいつもので?」
「…………」
お客さんは発声することなく、手を軽く振ることで肯定を示す。
私は彼の声を聞いたことは一度もない。
彼の肯定を確認し、私はいつも彼が、この喫茶店では彼しか注文することの無いメニューを用意する。
トラスティータが原産の木の実を蒸かして、潰して絞る、その液を煮詰めて濾す、それを三回繰り返して完成。
この飲み物は非常に渋く 、私は一度作り方を学んだっきり口にいれていない。
「はい、ペルツエです」
彼は無言で頷き、カップに口をつける。
よくそんなものを飲めるなぁと自分で作っておきながら思う。
全く渋そうな顔もせず、それでいて少しずつ、ゆっくりと時間をかけて飲み干す。
彼はカップを差し出し、私はそれを受け取りすぐに洗う、ペルツエはカップに跡が残りやすい。
私がペルツエを出してからカップを洗い終わるまでの間、お互い無言、彼は表情を変えない、それでも空気が重くなるということはなく、穏やかな雰囲気が流れる。
そして、彼は席をたち、こちらに背を向け、一度ドアの前で振り返り微笑み、カランカランとドアベルを鳴らして帰っていく。
彼が来てから、帰るまでの間、彼が出す音はドアベルの音だけ、それ以外の音はしない。
ドアの蝶番が回る音も、彼の足が床を踏む音も、椅子が床と刷れる音も、彼が座った椅子が軋む音も、彼がペルツエをすする音も、喉をならす音も、カップを置く音もしない。
ただただ、シーリングファンの音が響き、私が踏む床板が軋み、木の実を蒸かす蒸気の音が、潰す音が、濾紙を液体が通る音、液体が溜まる音、カップにペルツエを注ぐ音、カップを置く音、ペルツエが揺れる音、私の呼吸、私がカップを受けとる音、洗う音、カップを棚に戻す音、メイナムが寝返りをうつ音、とまぁ、彼が音をたてない分、他の音が鮮明に聞こえる気がする。
それは、彼が店に来てから、帰るまでの、私のとても好きな時間だ。
次に彼が来るときのために一杯分のペルツエの材料を用意する。
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