第50話

  二

 建物の中に入ると、けたたましい騒音が耳を打つ。

 がちゃがちゃ、ばたばたという連続音が、ひっきりなしに部屋を満たしていた。

 広大な床に、見渡す限り床机テーブルが並び、その前に百人を越す天狗が座って、なにかの機械を操作している。

 機械には無数の打鍵キーが並び、天狗は忙しげに、打鍵を叩いている。かちゃかちゃと打鍵を打つと、機械からは紙が吐き出される。

 文字打出鍵盤タイプライターなのだ。

 時太郎とお花を引き立てた天狗は、その床机の一つに二人を連れて行った。目にも止まらぬ速さで打鍵を打ちまくっている天狗に声を掛ける。

「おい! ちょっと……たのむ!」

 かちゃかちゃかちゃ、と打鍵をひとしきり打って、その天狗は顔を上げた。鼻にはちょこんと眼鏡を掛けている。その眼鏡を直し、上目遣いになった。

「はい、何か?」

 両手を組み合わせた。

 紐を握る天狗は口を開いた。

「こやつら、もしかしたら他国の間者かもしれぬ。急ぎ取り調べをしたいので、申請をしたいのだ」

「間者! それはまた、容易なりませぬ話でございますな!」

 眼鏡の天狗は大仰に驚いて見せた。

「それでは申請書類として、被疑者の通行手形と査証を拝借いたしたい」

「それが二人とも、持っておらぬと申すのだ」

「なっ、なんと!」

 ふたたび眼鏡の天狗は驚きの表情を見せた

「持っておらぬ、と仰せで。それで、この苦楽魔の結界にやってきたとは、なんと大胆不敵、傲岸不遜、面張牛皮めんちょうぎゅうひ! まさに、一大事にございますな。よろしゅうございます、それでは、そこの薄桃色ピンクの書類に必要事項を記入して、写しを三通作成してください。それが終わったら、三番の窓口に出頭して、こことここに認可印を押していただきます。あと、七番と十二番の窓口で必要事項を記入して……」

「おいおい!」

 紐を握った天狗は呆れた。

「そんな面倒な手続き、必要なのか? 先週までは、もっと簡単だったぞ!」

「申し訳ございませんが、つい先週、窓口業務の改善がなされまして、必要な書類の数が増えました」

 時太郎は我慢の限界だった。

「おいっ! おれたちの話を聞けよっ!」

 時太郎の声は部屋の中で響き渡った。

 ぴた、とそれまで引っきりなしに立てられていた打鍵を打つ音がやんだ。天狗たちは驚きの表情を浮かべ、時太郎を注目している。

「おれは、河童淵からきた時太郎! 水虎さまの〝お告げ〟でこの苦楽魔にやってくることになったんだ! それなのに、いきなり縄を掛けるなんて、ひどいじゃないか!」

 しーんとした静寂が支配している。

 ようやく、一人の天狗が立ち上がった。

「そこの小僧、河童淵の水虎、とか言わなかったか?」

「水虎?」という言葉が天狗たちの間で囁かれた。

「はて、どこかで聞いた覚えがあるような……」

 紐を握った天狗が首を捻る。目を見開く。

「ああっ! お前たち、ひょっとして、あの河童淵から来たのか?」

 お花は、ぷうっ、と河豚のように脹れた。

「だから、最初から言ってるじゃない! あたしたちは、河童淵の河童だって! 河童と天狗は、盟友のよしみを通じているんじゃないの?」

「す、すまん! 査証免除特約フリーパスを結んでおる河童淵の者と判れば……」

 そそくさと二人を縛っていた紐を解いて、帯にしまいこんだ。時太郎とお花は締め付けられていた腕を擦った。

 が、天狗は、しげしげと時太郎を見つめた。

「そっちの娘はどうやら河童らしいな。背中に小さいが甲羅を持つ。しかし、そちらの小僧だが……」

 上から下まで、じろじろと不躾に観察した。

「さて、頭の皿もないし、手には水掻きがない。河童だという証拠はあるのか?」

「おれの父さんは三郎太! れっきとした河童だぞ。だから、おれは河童だ!」

「三郎太? 河童の三郎太……。むう! その名前も聞いた覚えがあるな?」

 首を捻る。

 時太郎は三郎太が旅の前、天狗を訪ねたと言っていたことを思い出した。

「父さんは、おれの生まれる前に、苦楽魔に来たと言っていた」

「んー……」と唸って天狗はくるりと背を向けた。

 振り返り、時太郎とお花に声を掛ける。

「従いてまいれ。調べてみよう!」

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