第21話
十
直後、赤ん坊は背中をぐーっと反らし、全身に力を込めて泣き出した。
ぎゃあーっ!
驚くほど大きな泣き声であった。三郎太は、ぎょっとなった。
「ど、どうした? おれが、何かしたか?」
時姫がつぶやいた。
「〝声〟が満ちております……。敵意に満ちた〝声〟……。源二、これは敵です!」
目を見開き、顔色は青ざめていた。
源二は、さっと身を翻し、戸を僅かに開いて外を覗き込んだ。
ひしひしと軍勢が山寺を取り囲んでいる。
尾けられていた! なぜだ?
充分過ぎるほど、注意してあったはずなのに……。
源二の目が部屋の中に漂う、微かな銀線を捉えていた。目に見えるか、見えないか、ほとんど判別できないくらいの細い糸である。
あっ、と源二は立ち上がり、上着を脱ぎ捨てた。ころりと小さな虫が床に転がる。
摘み上げると、豆粒ほどの蜘蛛である。蜘蛛は干乾びて、死んでいた。
しまった!
奇門遁甲の技に、虫を使う技がある。蜘蛛の糸を吐く器官に傷をつけ、死ぬまで糸を吐き出させる術があった。甚助は源二の上着に、その術を施した蜘蛛を付着させたのだ。
「三郎太、結界はどうしたのじゃ? ここは河童の結界に守られておるのではなかったか?」
ごくり、と三郎太は唾を呑みこんだ。
「それが……河童は忘れ易い生き物なのだ。最初の、里人との争いで結界の約定が決められ、それ以来ずっと揉め事は何も起きなかった。それ故、河童の大多数が結界の存在も意義も忘れ果ててしまっている……。おれがお前たちのことを頼んだときも、仲間たちは結界のことを完全に忘れていた……」
がっくりと首を垂れる。
ええい、役立たずが……!
立ち上がり、今まで手にすることもなかった刀を掴む。京を脱出するとき身につけた鎖帷子を取り上げる。
くるくると身は動き、戦支度を整える。
「時姫様! 三郎太! 覚悟はよいか? この囲み、どのようにしても脱け出ようぞ!」
三郎太は強くうなずく。時姫の手をとり、立ち上がらせる。産後の時姫は、さすがに辛そうである。
源二は死を覚悟していた。
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