第33走 お姉ちゃんとにやけ顏
時刻は数時間前。
「もう一人――『人を喰わない《
高尾山の裾野に当たる山中にて、
既にほとんどの《SCT》隊員は飛鳥を追う為にその場を後にしていた。
残っているのは義足を失って腐葉土に腰を下ろす千隼。
その千隼に上着を貸してYシャツ姿になった
伊賀瀬のコンバットジャケットを羽織る
そして、肉塊となった幸の回収指揮を任された
その内の一人、椛は千隼の言葉を聞いて「はァ!?」と語気も荒く千隼へ詰め寄る。
「千隼クン、何を言ってル――まさか」
「まあ待てよ、椛」
そう椛を
「コイツは――水無瀬千隼はこの俺に話してるんだ」
「だガ奧山、」
引こうとしない椛を奧山は無視して「伊賀瀬、立たせてやれ」と指示。
伊賀瀬の肩を借りて立ち上がった千隼へ、奧山は問いかける。
「それで? どうして『人を喰わない《
「飛鳥を『人を喰わない《
「ほお。つまり、妹を売ろうってことか?」
「……それを奧山さんが言うのですか?」
意味が分からないな、とでも言いたげに奧山は片方の眉だけを吊り上げる。
だが同時に、奧山の頬は笑いを堪えるように震えていた。
――やっぱりか、と千隼は奥歯を噛みしめる。
そして、千隼は仏頂面のまま口火を切った。
「だって、そう仕向けたのは奧山さんじゃないですか」
奧山が笑いを堪えるのを止めて、口角をあげた。
それは、獲物を前に舌なめずりする蛇のようだった。
「あちゃあ、バレちゃったか」
「奧山、おマえ――」
色めき立ったのは椛だ。奧山のくたびれたスーツを捻り上げている。だが奧山はおどけたように「怖いなあ」と苦笑するだけ。どうやらこの事は椛にも知らせていなかったらしい。それは千隼の想像が正しいという証拠でもある。
思い起こせば、奧山の行動には不可解な点が多くあった。
まずは《舌の
あれは、はっきり言って異常だ。千隼は被害者であったとはいえ、一般人へ犯罪者の取り調べを見せることなどあり得ない話。確かに《SCT》は閉鎖的で例外的な部署なのだとは思う。それは本部が警視庁庁舎ではなく《研究病院》に置かれている事からも、『携帯の位置情報』を利用した違法な捜査方法からも察しがつく。
だが――だからこそ、決して一般人には見せられないはずなのだ。
では何故、千隼に《舌の
無論、一つは千隼の反応を見る為だろう。飛鳥が《左脚の
だが、そうだとすると新たな疑問も生まれる。
あの時、奧山が「どうしてそんな勘違いをした?」と問いかけてきた理由だ。
妹が《左脚の
なのに奧山は、あっさり千隼を解放した。そうなれば面倒は避けられない。焦った千隼自身が護衛期間をやり過ごすのではなく、もっと積極的な手段を選ぶからだ。
ならば、話は簡単だ。
奧山は千隼に、積極的な手段に出て欲しかったのだ。
例えば、飛鳥を『人を喰わない《
既に《SCT》には鬼無里椛という『人を喰わない《
だが、彼女は強力な味方であると同時に、脅威だ。椛を怖れるからこそ、彼女の額には《
つまり《SCT》がもっと多くの『人を喰わない《
しかし実際には、《SCT》に『人を喰わない《
考えられる理由は二つ。
《
もしくは《
と、
「まあ、確かにね」
ようやく椛から解放された奧山が口を開いた。
「水無瀬千隼さんの言う通り、俺は『人を喰わない《
肩をすくめて奧山は認めた。
そこで奧山は妙に芝居がかった動きで宙を見上げながら、顎の無精髭をさする。
それは誰に対しての芝居か。
「なもんで、協力したいのは山々なんだが……」
言って、ちらり、と奧山は視線だけを椛へ向けた。
「
ぎりり、と。
椛が、忌々しげに歯を食いしばる。
つまりそれが、奧山が千隼へ《舌の
奧山は椛から《
千隼へ《舌の
奧山や《SCT》の誰かが訊いても、
ならば、他の者とならどうだろうか。
共同生活を経て、愛着の湧いた相手の為であれば教えるのではないか。
理屈でダメなら情に訴える。
それが奧山の考えだったのだろう。
……本当に?
千隼は自身の結論に疑問を呈する。
正直なところ、椛がそこまで千隼と飛鳥へ愛着を持っているとは思えなかった。
もしかしたら奧山もダメもとでやってみただけなのかもしれない。何しろ、本命は
そして、
「
千隼の予想通り、椛は首を横に振った。
顔の半分を覆い隠す絹糸の前髪。その奧の金色の双眸には強い拒絶の意志がある。
しかし、
「大丈夫だ、見当はついてる」
千隼とて、何も全てを椛に頼るつもりもない。
その言葉に奧山は「ほう」と感嘆の声を漏らし、椛は「ナ、」と露骨に動揺する。
そして椛の動揺は、途端に怒声へと変わった。
「まさか妹に喰われるつもりかッ!?」
「ちがうッ!!」
被せるような千隼の怒鳴り声。
椛は冷水を頭からぶっかけられたように固まる。
それは半分、千隼の話術だった。会話の主導権を握るためのもの。
しかし、もう半分は純粋な怒りからだ。
「飛鳥はそんなこと望んでいない」
なんとか自身の怒りを制御して、千隼は自分自身の考えを口にする。
「飛鳥は私とは違う。確かにちょっと怒りっぽいし、口より先に足が出るような娘だが、あの子は根っからの善人だ。無闇に他人を犠牲にして生きることを良しとしないし、万が一そうしてしまったのなら一生悔やみ続けるようなヤツなんだ。――私とは違ってな」
千隼は、肩を借りている伊賀瀬を引っぱって、一歩、椛へと近づく。
そして、たじろいだように
「飛鳥に私を食べさせるなんて事は、飛鳥を生き地獄に叩き落とすのと同じ。――私がそんなことをするような姉に見えるのか?」
「…………いヤ……見えナイ、な」
やっとやっと答えた椛に、千隼は「ありがとう」と仏頂面のまま礼を告げる。
顔を椛から離して、千隼は奧山へと視線を向ける。
「それに、もう幸さんに騙されるつもりもありません」
「というと?」
奧山は、今までの千隼の剣幕など見ていないかのように、平然と続きを促した。
内心、食えない男だな、と思いつつ千隼は説明する。
「幸が言ったように肉親を喰らうことで《
「……だろうな。うちのデータベースには、肉親を食べた《
「つまり、正しい方法は別にあります。――確証はありませんが」
「で? それは何かな?」
奧山が口角を上げて『早く言え』という笑みを作る。
そこで千隼は再び椛へと視線を戻した。
「鬼無里、」
「な、なンだ――」
身構えた椛の肩をガシリと掴み、千隼は問う。
「《
「――――」
沈黙が答えだった。
どうやら千隼の予想は正しかったらしい。
とはいえ自信はあった。散々考え抜いた結果だったし、何より奧山に限らず椛も多くのヒントを溢していたからだ。
その大きなヒントは、国立競技場で椛が
逆に言えば、それが《
宿主と《
だが《
――と、言う事は。
試行錯誤を繰り返す最中に、《
宿主の願いが永遠に叶わなくなってしまうような、そんな失敗を。
それは契約を破ったという事になるだろう。願いを叶えると言ったのに、むしろ永遠に願いが叶わなくなってしまうのだから。
宿主である人間が契約を果せなければ《
ならば、《
その答えが、《
「そんなところだろうな」
千隼の説明を聞いた奧山は、納得したように呟く。
似たような推論には、奧山自身も辿りついていたのだろう。でなければ飛鳥に目をつけるはずがない。要は確証がなかっただけ。
そして、沈黙を守り続ける椛こそが、千隼の考えの正しさを保障する。
「それで、水無瀬飛鳥の『願い』を《
「ええ。《SCT》と――鬼無里の協力が必要ですが」
「なるほど」奧山は意地の悪い笑みを浮かべ「俺は構わんが?」と椛を見やった。
しかし、
「断ル」
椛は首を横に振った。
それ以上、何も話すことはないとばかりに口を閉ざす。
表情から探ろうにも絹糸の前髪が顔を隠してしまっている。
だが千隼には、それが単なる意地には思えなかった。
それは椛が妙に『責任感のある女』だからだ。
共に暮らしたのは二週間という短い間だったが、それだけでも判ることはある。口うるさく千隼と飛鳥に『護衛される立場』を説いたのも、気を抜く幸をたしなめたのも、単独行動をした飛鳥を本気で叱ったのも、責任感から来るもののはずだ。
だから《SCT》に『《
しかし千隼には、それを
「頼む、鬼無里――」
そこまで口にして、千隼は
これから続ける言葉が、あまりにも卑怯であると知っているからだ。
これは椛の過去の傷を
他人の罪悪感を利用する、人として最低の行為。
だけど私は、他人がどうなろうとも、水無瀬飛鳥を助けたい。
許しは請わない。言い訳もしない。自分が正しいとも思わない。罪の意識があるとも認めない。悪いと思うなら最初からしなければ良いのだ。
だが、すると決めた。
ならば私は、結果として自分がどう思われようとも、どうなろうとも、実行する。
それが水無瀬千隼の信条であった。
だから千隼は口にする。
「もう、家族を失うのは嫌なんだ」
千隼の言葉を聞いて、椛はハッキリと顔を
内心を隠そうとムリヤリ表情を押さえつけたせいで余計に判りやすい。あと少し、背中を押されてしまえばあっけなく
そして最後のひと押しをしたのは、意地の悪い笑みを隠さなくなった奧山だった。
「こいつは放っておいてもやるぞ。俺たちは協力するしな」
そう奧山はせせら笑う。
奧山としては最悪、椛が協力しなくても良いのだろう。これで《
つまり、どうあっても千隼は、飛鳥の《
「――――――ふぅぅ」
何かを諦めたような、深いため息。
椛は、千隼を見上げて口を開いた。
「条件があル」
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