第9走 お姉ちゃんと人を喰らう願い

 そこは『スパイの秘密基地』とでも表現した方がしっくりくる場所だった。


 千隼はおくやまに連れられ《研究病院》の奥にある業務用エレベーターに乗せられた。小型のトラックが丸ごと収まりそうなソレで地下五階まで降りると、打ちっぱなしのコンクリートで四面全てが囲まれた廊下が現れる。二十メートルはあろう殺風景な廊下の先には、これまた銀行の金庫を思わせる、鋼鉄製の巨大な扉があり、そばにはちんまりと暗証番号入力の為のテンキーが鎮座していた。おくやまは「見ちゃだめだぜ?」と千隼に笑ってから暗証番号を入力。すると壁の一部が開き、生体認証デバイスが姿を現す。そこで指紋、掌紋、声紋、静脈及び網膜認証までこなした所で、ようやく金庫のような大扉が開いた。


「すごい設備ですね」

「設備だけはな」


 千隼が言葉の意味を計りかねていると、おくやまは「ガワだけで中身がないんだ。人手不足でね」と苦笑する。「空き部屋を貸し出せたら、少しは活動資金になるんだけどね」


 二人は大扉の奧に続く廊下を進む。

 そこはもう、ありふれたビルのそれで、左右には一定間隔でドアが並び『会議室』や『無線室』などのプレートが並んでいた。

 おくやまはその内の『取調室2』とプレートの掛かったドアを開く。


「おつかれ」


 そうノックして入るおくやまの後に続き、千隼も「失礼します」と頭を下げて中へ入る。


 取調室の様相は、千隼が予想していたものとはかなり異なっていた。

 ドラマや映画で観たことのあるような、狭い部屋に机と椅子が二つ置かれたものではない。例えるなら、監視カメラをチェックする警備室と言った方が近いだろう。壁の一面に複数のモニターが並び、画面に向かい合うようにして二人の刑事が椅子を並べている。

 刑事二人はおくやまと千隼をいちべつしてから、モニターへ視線を戻す。「こっちこっち」とおくやまに手招きされ、千隼は刑事達の背後に移動した。


 そして千隼はモニターに映るソレを観た。


 映画であれば、そこに映るのは敵国のスパイかエイリアンであっただろう。

 しかしモニターには、パイプ椅子に座るごく普通の主婦が映されている。

 あの――《舌の鬼憑き》の主婦だ。


「どうして――、生きて」


 疑問が千隼の口をつく。

 あの晩、《SCT》の隊員に首を落とされる瞬間を、千隼は確かに見たのだ。

 だがモニターの向こうには確かに《舌の鬼憑き》がいる。衣服すら千隼を襲った時と同じ。異なるのは、ひたいに金属製のヘッドギアのようなものを装着していることだけだ。しかしそのヘッドギアに、首を落とされた人間を生き返らせる機能があるとは思えない。


「《鬼憑き》だからな」


 千隼の心を読んだように、おくやまは小声で答える。


「コイツらは首を落としたくらいじゃ死なない。爪の垢だけになろうと、そこから肉体を再生させちまう。毒も効かねえし病気にもならねえ。――まあ不老不死ってやつだ」

「不老不死、ですか」

「ああ。《鬼憑き》になった時の姿のまま生き続けるのさ。でなけりゃ今ごろ椛ちゃんも、多少は色気を身につけてただろうにな」


 だろ? と同意を求めるおくやまに対し、千隼は眉をひそめるに留めた。

 にわかには信じられない話だ。

 しかし思い当たる節もある。

 あの晩、千隼が投げつけた瓶で《舌の鬼憑き》が頬を切った時もすぐに治癒していた。飛鳥が蹴りえぐった《舌》も同様だったはず。


「誰が言い出したか知らねえが《鬼憑き》って呼び名は本質を突いてるよ、まったく」

「室長――そろそろ」


 刑事の片割れが振り返り、おくやまへ頷く。「おう、すまんな」とおくやまは拝むように手を顔の前で切った。どうやら中断していた取り調べが再開されるらしい。

 刑事はマイクのスイッチを押して、モニターの向こうへ語りかける。


「では、たかつかさん。昨年の十二月から、もう一度確認します」

『…………』


 高塚と呼ばれた《舌の鬼憑き》はうなだれたまま、何も言葉を発しない。が、刑事は構わず手元のファイルをめくり、質問する。


「十二月の殺害も、これまでと同じく二件。十二月十日と二十五日に一名ずつ。間違いありませんか?」

『…………はい』

「目の前のモニターを見て下さい。そこに映った写真の中で、殺した女性はいますか?」

『……右上の娘と、その下の人を食べました』

「左下の女性は?」

『もっと最近です。――多分、先月だと思います』


 どうやら刑事達は被害者の確認をしているらしい。隣のおくやまが口元を隠しながら「向こうの部屋のモニターに被害者と、関係ない女性の写真を映してるんだ」と千隼へ耳打ちする。

 つまりは、虚偽の証言を防ぐ為なのだろうと千隼は理解する。しかし、それなら名前を訊くだけでも良いと思うが。

 千隼がそう問うと、


「《鬼憑き》は喰った相手の名前を知らない事が多いからね」

「どうしてですか?」

「知らん土地で、赤の他人を喰った方が、捜査の手が届きにくいと判ってんのさ」


 なるほど、と千隼は納得する。

 通り魔的な犯行の場合、警察は事件現場の周囲を捜査するしかない。しかし《舌の鬼憑き》のように被害者を丸呑みにしてしまえば死体が残らないのだから、そもそも事件が発覚しない。親族が捜索願いを出した時には僅かな証拠も消えている。ようやく行方不明者が《鬼憑き》の被害者と判っても現場が特定しづらく、人間関係からも辿れない。

 これは良い手だ。飛鳥へ供給する人間用意する時にも使えるだろう。


 いや待て、と千隼は首を捻る。

 それならそれで疑問は残る。

《SCT》はどうやって《鬼憑き》と、その被害者を割り出しているのだろうか。


 おくやまから聞き出したい所だが、やぶ蛇になっても困る。

 何しろ飛鳥は、家の近くで顔見知りを喰っているのだ。

 会話を続けて、おくやまが口を滑らすのを待つしかない。そう結論し、千隼は話のを探そうと周囲へ視線を巡らせる。

 と、言っても取調室にはモニターしかない。自然と内容はその向こう側のことになる。


「……あの、頭に付けているのは何ですか?」


 千隼は高塚という《鬼憑き》が付けている金属製のヘッドギアを指差す。

 おくやまは「ああ」と呟き、


「手錠の代わり。アイツらに手錠だの鉄格子は意味ねえからな」

「でしょうね」

「《鬼憑き》は死なねえが、流石に脳を破壊されれば治癒するまでは動けない。額の両端にでっぱりがあるだろ? あれは小型の杭打ち機でな。《鬼憑き》がツノを出そうとしたら杭がズドンと脳にぶっ刺さる。俺たちは《かんなわ》なんて呼んでるが」


 それなら拳銃でも良いのではないかと考えて、千隼はすぐに思い直す。《舌の鬼憑き》や飛鳥の動きを思い出したのだ。あれに銃弾を当てるのは至難の業だろう。しかも腕や足に当たった程度ではすぐに治癒してしまう。《SCT》が刀を使うのも、同様の理由かもしれない。刀傷の方が銃創よりも治癒に時間がかかるだろうし、動きが鈍った所で首を落とす方が楽そうだ。少なくとも、流れ弾が一般人に当たる事は防げる。

 と、そこで千隼はある事に思い至る。


「もしかして、鬼無里の額にあるのも?」

「ああ、椛ちゃん専用の《鉄輪》だね。だから《鬼憑き》だからって心配する事ないよ。いざと言う時は――こう、だから」


 おくやまは両手の人差し指で自身の額を突く真似をする。ひょうきんな仕草だが、妹が同じ目に遭うかもしれない千隼は笑えない。

 そんな会話を千隼とおくやまが交わす間も、取り調べは進行していく。被害者の確認は既に七月を過ぎ、八月九日の被害者――つまり千隼が目撃した女性の確認を終える所だった。

 それからも刑事は何度かモニターを操作し、高塚という《鬼憑き》へ確認させる。そうしてようやく自供に信用が置けると判断したのか、「以上です」とファイルを閉じる。


 そして、

「後は――そうですね。死ぬ前に何か希望はありますか?」

 と告げた。


 刑事の言葉に、千隼は首を傾げる。

 死ぬ前――? とは、どういう事だろうか。おくやまの言葉が真実なら《鬼憑き》は不老不死のはずだ。実は《鬼憑き》を殺す方法があるのだろうか。だとしても裁判の前に問う内容ではない。それとも死刑が確定しているという意味で告げたのか。

 混乱する千隼の前で、《鬼憑き》は初めて顔を上げた。


『……死にたく、ないです』

「それは無理です」


 刑事はにべもない。

 しかし、その声にはれんびんが混じっているように、千隼には思えた。


『……じゃあ、《鬼憑き》を、治して、ください』

「不可能です、それは」

『死刑になるのは構わないんですっ』


 高塚という《鬼憑き》は、助けを求めるように声を張り上げる。

 千隼には状況が飲み込めない。死刑になるのは構わない、とはどういう事だろうか。


『だからっ! だからこの《舌》を抜いて下さい! 《鬼憑き》を治して――』


《舌の鬼憑き》がカメラにすがりつき訴えるのを見て、マイクを持っていた刑事は瞑想するように目を閉じる。一度だけ深呼吸をし、それからマイクのスイッチを入れた。


「高塚さん、不可能なんです。現代医学では《鬼憑き》を治せません。貴女の舌に宿ったソレが何なのかすら、全く説明できないんですよ」

『じゃあ、今すぐ殺してよッ!!』

「いいえ、私達は貴女を殺せません。《鬼憑き》を殺す手段は、現代に存在しません」


 何故だろうか。

 殺せない、と口にしているのに千隼には死刑宣告に聞こえた。


 高塚という《鬼憑き》の女性は、千隼よりもハッキリと死刑宣告を受け止めたようだった。モニターの中で、ガクリと膝を折って床へ崩れ落ちる。

 その顔は恐怖に歪んでいた。


おくやまさん、彼女はいったい何に怯えているんですか?」


 こらえきれず、千隼はおくやまへ問いかける。

 おくやまは何でもないように答えた。


「《鬼憑き》は二週間ごとに人を喰わないと、逆に喰われて死ぬんだ」

「何に喰われるんですか?」

「自分の中の鬼に、だ」

『あと何日よ――、あの何日怯えて生きればいいのよ……』


 おくやまの言葉の意味を問う前に、モニターの向こうから《鬼憑き》が呟く声が響く。刑事はそれに答えず、頭痛をこらえるように頭を押さえていた。


「《鬼憑き》が皆、元々は身体の一部を失った女性なのは知ってるか?」


 おくやまは暫くマイクのスイッチが入る事は無いと判断したのか、声の大きさを普段のものに戻していた。千隼も声の大きさを合わせて答える。


「はい。《鬼憑き》になると身体が再生するから《欠落部位再生症候群》と――」

「いや、微妙に違う。それだと順序が逆だ」

「は?」

「失った身体を再生させちまったから《鬼憑き》になったんだ」


 おくやまが言うには《鬼憑き》たちは皆、同じ証言をするのだと言う。

《鬼》が語りかけてきた、と。


 世間一般には公表されていないが、《鬼憑き》となった女性達には、肉体の一部を欠損ないし障害を抱えている事以外にも、もうひとつ共通項があるのだという。

 それは『生命の危機に瀕した経験がある』こと。

 生死の境をさまった際に、《鬼》の声を聞いているのだ。


《鬼》は言う。

『貴女に願いがあれば手助けしてあげましょう。その代わりワタシのことも助けてください』と。

 生死の境を彷徨っている人間はその提案に飛びつき『生きたい、死にたくない』と願う。すると《鬼》は女性の欠損した部位に擬態して寄生し、その生命を救うのだ。

 命を拾い、五体満足となった女性へ《鬼》は交換条件を告げる。

 その条件とは『他の《鬼憑き》を喰って欲しい』というもの。

 それを断ると《鬼》は『では貴女を食べ殺して、他の方へ頼みます』と言い出す。


 喰うか、喰われるか。

 追い詰められた女性は他の《鬼憑き》を探す。だがそれは容易なことではない。《鬼憑き》の外見は普通の人間と変わらないからだ。

 しかし、幸か不幸か。《鬼》にも普通の女性と《鬼憑き》の区別をつけられないのだという。

《鬼》は丸呑みにした女性を消化してからでないと、その女性が《鬼憑き》であるか判断がつかないのだそうだ。


 つまり誰でもいいから女性を喰えば、ソレを消化するまでの間だけ《鬼》は満足する。

 追い詰められた宿主は、仕方なく人を襲い、晴れて殺人鬼の仲間入りを果たす。


「その寄生した《鬼》の事を俺たちは便宜上、『鬼の』――《》と呼んでる。水無瀬さんも見ただろう? 黒と黄色のまだらようをした身体の一部を。あれが正体だ」


 千隼の脳裏に《舌》と《左脚》が思い起こされる。


「アイツらの正体がなんなのかってのは――正直わかんねえ。もしかしたら、大昔に身体をバラバラにされた鬼か何かが、元の身体に戻ろうとして人間に寄生してんのかもな。同じ部位の《》が同時に二体現れることもねえし。お互いを食い合うってのも『一つの身体に戻りたい』ってことかもしれん。――まあ、俺は陰陽師じゃねえからわからんが」


 そう苦笑しながら、おくやまは懐から薄い長方形の金属ケースを取り出した。

 頂点についたキャップを開け、そのまま口をつけて中身を飲み干す。初めて見たが、俗にスキットルと呼ばれるウィスキーボトルだろう。職務中に酒を持ち歩いて良いのだろうか。

 それとも『酒でも飲まないとやってられない』のか。

 ふう、とため息を吐いてからおくやまは続ける。


「ま、その《》もすぐに宿主を喰うわけじゃない。証言から平均して二週間にいっぺん、人を喰いたいと言い出す。そん時に《鬼憑き》は人を喰うわけだ」

『……殺したくなんてなかった。ただ、食べられたくなかっただけなの』


 モニターの向こうで、《鬼憑き》の女性はうなだれたまま呟き続けている。

 不憫に思ったのか、沈黙を守っていた刑事がマイクのスイッチを入れ「はい、わかっています」と声をかけた。


「あなたが罪に問われる事はありません。それは《特例疾患対策法》に明記されています。ご家族にも被害者として伝えられますから、高塚さんが《鬼憑き》と知られることはない」


 千隼はその言葉で何故、《822事件》から一年ほど過ぎてから唐突に《鬼憑き》や《SCT》という名前が叫ばれる事が無くなったのかを悟る。《特例疾患対策法》により報道管制なりがなされたのだろう。《鬼憑き》自身が被害者として処理、報道されれば《鬼憑き》を逮捕した《SCT》に触れられることもない。

 千隼は自分でも気づかないうちに呟く。


「気づかない間に《》に操られて殺したのなら、罪に問うわけにもいかない――か」

「ん? それは違うな」


 おくやまげんそうな視線を千隼に向ける。

 千隼も、おくやまを見返し「何がですか?」と言いかけ、


『そんなことどうでもいいから、早く殺してよッ!!』


 スピーカーを通じて《鬼憑き》の怒声が第二取調室に反響した。

 モニターへ視線を戻せば、既に女性の瞳は金色に輝き、頭髪も伸び始めていた。《鬼憑き》へと変貌する兆候。しかし、モニターを睨む刑事は焦ることなく


「《かんなわ》の起動を確認」と冷静に告げる。


 パンッ、と銃撃を思わせる破裂音が二回続く。

 途端、斑模様の《舌》を撃ち出そうとしていた《鬼憑き》は、後方へ仰け反るようにして倒れ、そのまま動かなくなった。


「――な、見ただろ?」


 沈黙を破って、おくやまが口を開く。


「《鬼憑き》は《》を自分の意思で操る。そりゃ寄生してる《》が擬態を解く時の変貌っぷりは《鬼》に身体を乗っ取られてるように見えるだろうが、別に心まで乗っ取られたりはしない。でなきゃ、被害者の確認が出来ねえじゃねえか」


 おくやまの瞳が細まり、千隼を見据える。

 千隼は、自分が普段の仏頂面を保てているか自信がなかった。


 おくやまの言う通りだ。

 世間での認識や、この取調室での説明では『《鬼憑き》は《》に操られている』などという認識が生まれるはずはない。何故、自分がそんな勘違いをしたかと言えば、飛鳥のことがあるからで、飛鳥が人を喰ったのは《》に操られていたからだと思い込みたかったからだ。そう千隼は自己分析する。

 おくやまの視線は、そんな千隼の心を見透かすようだった。


「《鬼憑き》を被害者として公開する目的も《鬼憑き》が人を殺す前に、自発的にこの病院へ来させる為だ。『患者様の情報は漏らしません』ってな。――実際、誰も喰わずに入院して《》に食い殺された女がこの五年で何十人もいるし、一人喰った段階で心が折れて入院する奴はその倍だ。泣きじゃくってはいたが、あの高塚って主婦は図太い神経してるぜ。今日まで三十人近く喰ってんだから。ところでよ――」


 おくやまは右腕を高く伸ばし、自身より背の高い千隼の肩を抱き寄せる。

 そのまま無理矢理、千隼の顔を自分の目線まで下げさせた。

 おくやまは笑顔を浮かべる。



「ここまでの説明で、どうしてそんな勘違いをしたんだ?」




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る