第9走 お姉ちゃんと人を喰らう願い
そこは『スパイの秘密基地』とでも表現した方がしっくりくる場所だった。
千隼は
「すごい設備ですね」
「設備だけはな」
千隼が言葉の意味を計りかねていると、
二人は大扉の奧に続く廊下を進む。
そこはもう、ありふれたビルのそれで、左右には一定間隔でドアが並び『会議室』や『無線室』などのプレートが並んでいた。
「おつかれ」
そうノックして入る
取調室の様相は、千隼が予想していたものとはかなり異なっていた。
ドラマや映画で観たことのあるような、狭い部屋に机と椅子が二つ置かれたものではない。例えるなら、監視カメラをチェックする警備室と言った方が近いだろう。壁の一面に複数のモニターが並び、画面に向かい合うようにして二人の刑事が椅子を並べている。
刑事二人は
そして千隼はモニターに映るソレを観た。
映画であれば、そこに映るのは敵国のスパイかエイリアンであっただろう。
しかしモニターには、パイプ椅子に座るごく普通の主婦が映されている。
あの――《舌の鬼憑き》の主婦だ。
「どうして――、生きて」
疑問が千隼の口をつく。
あの晩、《SCT》の隊員に首を落とされる瞬間を、千隼は確かに見たのだ。
だがモニターの向こうには確かに《舌の鬼憑き》がいる。衣服すら千隼を襲った時と同じ。異なるのは、
「《鬼憑き》だからな」
千隼の心を読んだように、
「コイツらは首を落としたくらいじゃ死なない。爪の垢だけになろうと、そこから肉体を再生させちまう。毒も効かねえし病気にもならねえ。――まあ不老不死ってやつだ」
「不老不死、ですか」
「ああ。《鬼憑き》になった時の姿のまま生き続けるのさ。でなけりゃ今ごろ椛ちゃんも、多少は色気を身につけてただろうにな」
だろ? と同意を求める
にわかには信じられない話だ。
しかし思い当たる節もある。
あの晩、千隼が投げつけた瓶で《舌の鬼憑き》が頬を切った時もすぐに治癒していた。飛鳥が蹴り
「誰が言い出したか知らねえが《鬼憑き》って呼び名は本質を突いてるよ、まったく」
「室長――そろそろ」
刑事の片割れが振り返り、
刑事はマイクのスイッチを押して、モニターの向こうへ語りかける。
「では、
『…………』
高塚と呼ばれた《舌の鬼憑き》はうなだれたまま、何も言葉を発しない。が、刑事は構わず手元のファイルをめくり、質問する。
「十二月の殺害も、これまでと同じく二件。十二月十日と二十五日に一名ずつ。間違いありませんか?」
『…………はい』
「目の前のモニターを見て下さい。そこに映った写真の中で、殺した女性はいますか?」
『……右上の娘と、その下の人を食べました』
「左下の女性は?」
『もっと最近です。――多分、先月だと思います』
どうやら刑事達は被害者の確認をしているらしい。隣の
つまりは、虚偽の証言を防ぐ為なのだろうと千隼は理解する。しかし、それなら名前を訊くだけでも良いと思うが。
千隼がそう問うと、
「《鬼憑き》は喰った相手の名前を知らない事が多いからね」
「どうしてですか?」
「知らん土地で、赤の他人を喰った方が、捜査の手が届きにくいと判ってんのさ」
なるほど、と千隼は納得する。
通り魔的な犯行の場合、警察は事件現場の周囲を捜査するしかない。しかし《舌の鬼憑き》のように被害者を丸呑みにしてしまえば死体が残らないのだから、そもそも事件が発覚しない。親族が捜索願いを出した時には僅かな証拠も消えている。ようやく行方不明者が《鬼憑き》の被害者と判っても現場が特定しづらく、人間関係からも辿れない。
これは良い手だ。飛鳥へ供給する人間用意する時にも使えるだろう。
いや待て、と千隼は首を捻る。
それならそれで疑問は残る。
《SCT》はどうやって《鬼憑き》と、その被害者を割り出しているのだろうか。
何しろ飛鳥は、家の近くで顔見知りを喰っているのだ。
会話を続けて、
と、言っても取調室にはモニターしかない。自然と内容はその向こう側のことになる。
「……あの、頭に付けているのは何ですか?」
千隼は高塚という《鬼憑き》が付けている金属製のヘッドギアを指差す。
「手錠の代わり。アイツらに手錠だの鉄格子は意味ねえからな」
「でしょうね」
「《鬼憑き》は死なねえが、流石に脳を破壊されれば治癒するまでは動けない。額の両端にでっぱりがあるだろ? あれは小型の杭打ち機でな。《鬼憑き》がツノを出そうとしたら杭がズドンと脳にぶっ刺さる。俺たちは《
それなら拳銃でも良いのではないかと考えて、千隼はすぐに思い直す。《舌の鬼憑き》や飛鳥の動きを思い出したのだ。あれに銃弾を当てるのは至難の業だろう。しかも腕や足に当たった程度ではすぐに治癒してしまう。《SCT》が刀を使うのも、同様の理由かもしれない。刀傷の方が銃創よりも治癒に時間がかかるだろうし、動きが鈍った所で首を落とす方が楽そうだ。少なくとも、流れ弾が一般人に当たる事は防げる。
と、そこで千隼はある事に思い至る。
「もしかして、鬼無里の額にあるのも?」
「ああ、椛ちゃん専用の《鉄輪》だね。だから《鬼憑き》だからって心配する事ないよ。いざと言う時は――こう、だから」
そんな会話を千隼と
それからも刑事は何度かモニターを操作し、高塚という《鬼憑き》へ確認させる。そうしてようやく自供に信用が置けると判断したのか、「以上です」とファイルを閉じる。
そして、
「後は――そうですね。死ぬ前に何か希望はありますか?」
と告げた。
刑事の言葉に、千隼は首を傾げる。
死ぬ前――? とは、どういう事だろうか。
混乱する千隼の前で、《鬼憑き》は初めて顔を上げた。
『……死にたく、ないです』
「それは無理です」
刑事はにべもない。
しかし、その声には
『……じゃあ、《鬼憑き》を、治して、ください』
「不可能です、それは」
『死刑になるのは構わないんですっ』
高塚という《鬼憑き》は、助けを求めるように声を張り上げる。
千隼には状況が飲み込めない。死刑になるのは構わない、とはどういう事だろうか。
『だからっ! だからこの《舌》を抜いて下さい! 《鬼憑き》を治して――』
《舌の鬼憑き》がカメラに
「高塚さん、不可能なんです。現代医学では《鬼憑き》を治せません。貴女の舌に宿ったソレが何なのかすら、全く説明できないんですよ」
『じゃあ、今すぐ殺してよッ!!』
「いいえ、私達は貴女を殺せません。《鬼憑き》を殺す手段は、現代に存在しません」
何故だろうか。
殺せない、と口にしているのに千隼には死刑宣告に聞こえた。
高塚という《鬼憑き》の女性は、千隼よりもハッキリと死刑宣告を受け止めたようだった。モニターの中で、ガクリと膝を折って床へ崩れ落ちる。
その顔は恐怖に歪んでいた。
「
「《鬼憑き》は二週間ごとに人を喰わないと、逆に喰われて死ぬんだ」
「何に喰われるんですか?」
「自分の中の鬼に、だ」
『あと何日よ――、あの何日怯えて生きればいいのよ……』
「《鬼憑き》が皆、元々は身体の一部を失った女性なのは知ってるか?」
「はい。《鬼憑き》になると身体が再生するから《欠落部位再生症候群》と――」
「いや、微妙に違う。それだと順序が逆だ」
「は?」
「失った身体を再生させちまったから《鬼憑き》になったんだ」
《鬼》が語りかけてきた、と。
世間一般には公表されていないが、《鬼憑き》となった女性達には、肉体の一部を欠損ないし障害を抱えている事以外にも、もうひとつ共通項があるのだという。
それは『生命の危機に瀕した経験がある』こと。
生死の境を
《鬼》は言う。
『貴女に願いがあれば手助けしてあげましょう。その代わりワタシのことも助けてください』と。
生死の境を彷徨っている人間はその提案に飛びつき『生きたい、死にたくない』と願う。すると《鬼》は女性の欠損した部位に擬態して寄生し、その生命を救うのだ。
命を拾い、五体満足となった女性へ《鬼》は交換条件を告げる。
その条件とは『他の《鬼憑き》を喰って欲しい』というもの。
それを断ると《鬼》は『では貴女を食べ殺して、他の方へ頼みます』と言い出す。
喰うか、喰われるか。
追い詰められた女性は他の《鬼憑き》を探す。だがそれは容易なことではない。《鬼憑き》の外見は普通の人間と変わらないからだ。
しかし、幸か不幸か。《鬼》にも普通の女性と《鬼憑き》の区別をつけられないのだという。
《鬼》は丸呑みにした女性を消化してからでないと、その女性が《鬼憑き》であるか判断がつかないのだそうだ。
つまり誰でもいいから女性を喰えば、ソレを消化するまでの間だけ《鬼》は満足する。
追い詰められた宿主は、仕方なく人を襲い、晴れて殺人鬼の仲間入りを果たす。
「その寄生した《鬼》の事を俺たちは便宜上、『鬼の
千隼の脳裏に《舌》と《左脚》が思い起こされる。
「アイツらの正体がなんなのかってのは――正直わかんねえ。もしかしたら、大昔に身体をバラバラにされた鬼か何かが、元の身体に戻ろうとして人間に寄生してんのかもな。同じ部位の《
そう苦笑しながら、
頂点についたキャップを開け、そのまま口をつけて中身を飲み干す。初めて見たが、俗にスキットルと呼ばれるウィスキーボトルだろう。職務中に酒を持ち歩いて良いのだろうか。
それとも『酒でも飲まないとやってられない』のか。
ふう、とため息を吐いてから
「ま、その《
『……殺したくなんてなかった。ただ、食べられたくなかっただけなの』
モニターの向こうで、《鬼憑き》の女性はうなだれたまま呟き続けている。
不憫に思ったのか、沈黙を守っていた刑事がマイクのスイッチを入れ「はい、わかっています」と声をかけた。
「あなたが罪に問われる事はありません。それは《特例疾患対策法》に明記されています。ご家族にも被害者として伝えられますから、高塚さんが《鬼憑き》と知られることはない」
千隼はその言葉で何故、《822事件》から一年ほど過ぎてから唐突に《鬼憑き》や《SCT》という名前が叫ばれる事が無くなったのかを悟る。《特例疾患対策法》により報道管制なりがなされたのだろう。《鬼憑き》自身が被害者として処理、報道されれば《鬼憑き》を逮捕した《SCT》に触れられることもない。
千隼は自分でも気づかないうちに呟く。
「気づかない間に《
「ん? それは違うな」
千隼も、
『そんなことどうでもいいから、早く殺してよッ!!』
スピーカーを通じて《鬼憑き》の怒声が第二取調室に反響した。
モニターへ視線を戻せば、既に女性の瞳は金色に輝き、頭髪も伸び始めていた。《鬼憑き》へと変貌する兆候。しかし、モニターを睨む刑事は焦ることなく
「《
パンッ、と銃撃を思わせる破裂音が二回続く。
途端、斑模様の《舌》を撃ち出そうとしていた《鬼憑き》は、後方へ仰け反るようにして倒れ、そのまま動かなくなった。
「――な、見ただろ?」
沈黙を破って、
「《鬼憑き》は《
千隼は、自分が普段の仏頂面を保てているか自信がなかった。
世間での認識や、この取調室での説明では『《鬼憑き》は《
「《鬼憑き》を被害者として公開する目的も《鬼憑き》が人を殺す前に、自発的にこの病院へ来させる為だ。『患者様の情報は漏らしません』ってな。――実際、誰も喰わずに入院して《
そのまま無理矢理、千隼の顔を自分の目線まで下げさせた。
「ここまでの説明で、どうしてそんな勘違いをしたんだ?」
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