第1話 「コーヒーを飲んでも寝落ちはします」

 雄大なサバンナの大地に沈む琥珀色こはくいろの太陽が、周囲の空を赤く染め上げ、少年に深い感慨を与える。

 右手には漆黒の刀。左腕には細長いタブレット……その画面には《You are in Sonalkia》と書いてある。

 後方には倒してきた無数のモンスターの死体。

 そして前方には、夕焼けをバックに黒いシルエットが近付いてくる。

 少年は笑みを浮かべると、シルエットに向かってゆっくりと足を踏み出す。

 数多もの戦いに勝利してきたその背中は、とても勇ましく猛々しいものだった……。


* * * * * * * * * * * * *

 

「お兄ちゃん! 起きて!」

 耳が痛くなるほどの声によって俺は覚醒した。

 よく知る顔がそこにあって、じっと俺を見つめていた。

「おはよう、千夏ちなつ

「ン、おはようお兄ちゃん。にしてもまあ、いつにも増してキモい寝顔だったねぇ。なにか良い夢でも見てたのかい?」

 1つ年下の妹である千夏は俺のベッドの横に座ってニヤニヤしながら尋ねてきた。

 今のこいつの顔も「キモい」という言葉が適当かと思うのですが……。

 

「なんもねえよ。つか、他人ひとの寝顔にいちいち口出すな」

 

 どうやら、またあの夢を見ていたようだった。

 内容はほとんど覚えていないが、なんとなく勇者になって闘っていたような……そんな中二病感あふれる夢だった気がする。

 

 最近どうもこの手の夢をよく見る。いや、ほぼ毎日見ている。

 誰かに相談したいのも山々だが、恥ずかしくて言えたもんじゃない。


「とりあえず朝ごはんできてるから早く降りてきてね」

 俺の悩みなど露知らず、千夏はとことこと部屋を出ていった。よく見ると彼女は俺と同じ茶髪をしっかりとツインお団子に結い、制服にも着替えて準備万端であった。

 こういう妹のしっかりした所には毎回関心させられている。


 遠距離通学の俺は毎朝1時間電車に乗って通学する。東北地方の田舎町に住んでいるため在来線は1時間に1本といった有様だ。

 つまり電車に乗り遅れる=遅刻となってしまう。都会に住む者からすればこんな生活は考えられないかもしれないが、俺は今まで1度も乗り遅れたことはない。意外と心配いらないものである。

 

「よお陽斗、千夏ちゃん」

 途中の駅から乗ってきた友人が俺の隣に座る。

「兄妹並んで電車で登校とは仲睦まじくていいねー」

「ち、違いますっ」

雅也まさや、その台詞もう飽きたわ」

 お調子者の雅也とはこうした通学の列車がきっかけで仲良くなった。


 だが、最近は一緒に電車に乗ることに不快感を持つようになった。なぜなら……。

「おい、陽斗! あの子結構可愛くないか!?」

「うん、どうでもいいけど、静かにしてくれない?」

「ちぇ、つれないなー」

「つか、お前も勉強しろよ、受験生だろ?」

 このように下らないことでイチイチ話しかけてくるのだ。

 以前までは付き合っていたが、3年になった今では邪魔に感じるようになっていた。

「つか、陽斗って好きな人とかいないの?」

 さすがに今度は反応しなかった。

 どんだけ『かまってちゃん』なんだよと内心苛つく。

 

 しかし、この問に答える者がいた。

「あ、いますよー」

「え、マジ? 誰々教えて!?」

 千夏が俺を挟んで雅也と話しだした。 

 意地になってた俺は反応することをしなかったが、ただ横目で千夏を睨んだ。

 千夏はニヤッと気持ち悪い笑みを返し、雅也の方を向いた。

「それはですね……」

「うんうん!」

 千夏は焦らすように直ぐには切り出さない。

 ——気にしちゃいられん。と自分に言い聞かせて俺は問題を解くことに集中する。

 妹とは恋バナ関連の会話をしたことなどないので聞くだけ無駄である。

 そう結論付けた。


姫神舞ひめかみまいさん!」

「「は!?」」

 隣に座る雅也だけじゃない、俺までもそう発言してしまった。

「お前それマジ!?」

 雅也が驚きに満ちた顔で聞いてくる。

「いや、えっと……」

 肯定はしなかったが否定もしなかった。その反応を見て雅也は確信したようだった。


「お兄ちゃんはクール振ってるように見えるけど、実はただチキンなだけなんです」

「おま、余計なことを」

 さすがにもう勉強に集中出来なかった。

 だが逆に雅也が冷静な顔で俺を見つめてきた。


「確かに姫神舞は美人だけどさ……やめたほうがいいと思うぞ……」

「なんでですか??」

 千夏が聞き返すと、雅也は更に険しい顔をして呟いた。

「彼女、周りからは『アンドロイド』って言われてるくらい無愛想でな、物凄い評判悪いんだよ。誰かと話してる姿も、笑った顔すら見た者はいないってほどにな。

 だから、まさかそんな人を好きだなんてな……おい、陽斗? 聞いてるのか」

 俺は雅也の言葉を途中から聞き流していた。

 それは、好きな人の悪い話を聞いたからというわけではない。


 俺の視線は雅也でも千夏でも、まして教科書でもないところを向いていた。

 

 その先には長い銀色の髪を結わずに下ろし、千夏と同じ制服を着た美少女がいる。

 ガーネットのようにきらびやかな瞳は、車窓からどこか遠くの山を眺めているようだった。


「姫神舞……」

 ぼーっとしていた俺の、その視線の先にいる人物を見て雅也が呟いた。

「あれが、姫神舞さんなんですね……初めて見ました! ホント凄い美人……」

 俺たち3人の視線を一身に受けてもなお彼女は車窓を眺め続ける。


「終始あんな感じなんだよ彼女は、まあ美人だし、スタイルもいいし、胸もでかいし、男を惹く要素は沢山持ってはいるけどさ」

「あーでもお兄ちゃんそんな感じの人好きそうですもんね。

 あ、そういうってのは『巨乳好き』ってことじゃないですよ!

 その無表情には何か理由があるんじゃないか! とか考えて、

 『僕と友達になってください!』って言い出しそうな……チキンだから言わないんですけど」

「そうかー変わってるなー。てか千夏ちゃんって結構面白いね。今度2人で話さない?」

「えー、遠慮しておきますー」


 俺を挟んで2人が会話をしていても、その声は耳から入っては抜けていた。

 

 一目見た時から姫神舞という女性に対して、言葉にできない感情を抱いていた。

 それが雅也の言う『好き』って感情なのか……似ているようで違う気もする。

 とにかく俺はその何だかわからない感情を抱きながら電車に乗っていた。



 雅也や姫神舞とはクラスも帰る列車の時間も違うため、それからの生活は受験生らしい静かなものだった。

 帰宅後、自室で勉強をしていると千夏がてくてくと部屋に入ってきた。


「あ、お兄ちゃん? えっと……今朝はごめんね」

「ん、何のこと?」

「えっと……姫神舞さんの事。あの後お兄ちゃんずっと無言だったから、怒らしちゃったのかな……って」

 

 どうやら千夏は今朝の出来事をずっと気にしていたみたいだ。

 しかし、それは全くを持って千夏の勘違いである。

 確かに、本当に好きな人を言うとは思ってなかったし、そもそも千夏に教えた覚えもなかったから動揺してしまったのは事実だが。

 けれど、あの時無言だったのは姫神さんに気がいってただけだし、それに服の裾をつかみすまなそうに小さくなってる妹を見たらこっちが申し訳なく思ってしまった。


「まあ、別に怒ってたわけじゃないから気にしないでくれ」

「そっかーならいっかー」

「おい」

 こいつ本気で謝りに来たわけじゃなかったのか。

 さっきまでとはうって変わってケロッとした表情の妹をジッと睨む。

「まあまあ、そんなに怒らないで。

 はいコーヒー淹れてきたから。勉強、頑張ってね」

 千夏は机の上にカップを置くとそそくさと部屋を出て行った。


 何だかんだで最後には気が利く妹だと感心する。


「お、コロンビアか……美味い」

 別にコーヒー通というほどでもないが、そんな事を言ってみる。

 というか、コロンビア豆しか家にないのだが。


 親父が通なため、どこか良いところの豆を買ってくる。

 千夏は親父によってコーヒーの淹れ方を教え込まれ、今ではカフェで出せるほどの味のものを淹れることができる。

 良い豆を上手い人が淹れたのだから、このコーヒーが美味しいのは当たり前であった。


 色々と最近はピリピリし過ぎだったのかもしれない。

 俺はこれまでの自分の生活をゆっくりと振り返った。

 受験期といえど心に余裕を持って過ごすのが理想だろう、コーヒーを啜り落ち着いた気持ちになりながら、そう思った。

「ありがとな、千夏」

「おやおや! いきなりどうしちゃったんですか!?」

「お、おま、いたのかよ!」

 千夏はまたもニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる。

 猛烈に恥ずかしくなった俺は、赤くなってるだろう顔を見られないように隠す。

 すると千夏は、てくてくと机の元までやってきて一言。

「マグカップ持ってくね。邪魔でしょ?」

 と言って飲み終わったカップを持っていった。


「何なんだよあいつはー!!」

 どこか優しい気持ちになりながらそう叫んだ。



* * * * * * * * * * * * *

 

 白い太陽が天高く上り、川面に反射して少年に煌びやかな光景を見せる。

 目の前を流れる清流は対岸まで400mほどあろうか、決して大きくはないが、それなりにデカい川だという印象を受ける。

 少年は眩しい川面に目を凝らす。

 段々と目が慣れてくると、そこに青黒く薄い衣を着た茶髪の少年が映る。

 川面に映る自分の左腕に白いタブレットが付いていることを確認すると、少年は軽く左腕を上げ、直接画面を覗き込む。

 

 そこには《You are in Sonalkia》と書かれていて……。

 この時少年、いや日向陽斗はそれまで3人称視点だった世界が急に1人称視点に切り替わるのを感じた。 それはまるで幽体離脱をしていた身体が主の元へ帰ったようなものだった。


 《You are in Sonalkia》……この文字どこかで見たことがある……。

 陽斗は必死に思い出そうとする。しかし中々浮かんでこない。


 体感時間で5分ほど、陽斗はひたすらこの文章をどこで見たのか思い出そうとしていた。

 だが、ふと我に返り辺りを見回してみる。


 陽斗が立っているのは河川敷。

 目の前には見たこともないほど綺麗な川が流れ、その流れる安らかな音のみが聞こえる。


 こんな場所に俺はどうやって来たのだろう……?


 俺は部屋で勉強していて、途中千夏がコーヒーを持ってきてくれて、それから……。


「いつものようにベッドで寝た……」

 

 なんだ……と陽斗は苦笑した。

 なんですぐ気づかなかったんだよ! とツッコミたくなるほど目から鱗が落ちる思いだった。

 よく考えておかしいじゃないか? 

 腕にタブレットを付けた覚えもなけりゃ、腰に刀を差してるはずもない。

 そもそもこんな人気のない河川にやってきてるとか、自殺志願者としか思えないだろ。

 その後も根拠となるものを上げ、確信した事実を口にする。


「そうか……ここは夢の中か」

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