第380話朝練 その4

 そもそもこの『弦楽のためのアダージョ』を器楽部で演奏するきっかけを作ったのは僕だった。

それはGW明けの部活で起きた。

その日部活が始まる前に僕はいつものようにピアノを弾いていた。


 その頃、僕のピアノは部員が全員集まるまでのBGMの様な扱いになっている気がしないでもなかったが、人前で弾くというのは文句なく楽しい行為なので気にせずに弾いていた。


 本来は弦楽四重奏曲の『弦楽のためのアダージョ』だが、ピアノでも弾けない事はない。

それよりもこれから部活が始まるというのにこの寂しい曲で良いのか? という議論もあるかと思うが、そんな事は僕の知った事ではない。

僕は弾きたい曲を弾くのだ……という事で僕はこの曲を気持ちを込めて弾いていた。


 その時に哲也がいつものように何も考えずに

「この曲って新人のボウイングの練習に良くね?」

と言い出した。


「この曲って『弦楽のためのアダージョ』の事?」

と瑞穂が哲也に聞き返すと

「そうや」

と当たり前のように哲也は応えた。


「変ロ短調やでぇ? フラット五つもあるんやでぇ? 経験二ヶ月程度の一年に弾かせられると思ってんの?」

まだスケールの練習もおぼつかない新人にこの曲は無理だろう? 僕もこの瑞穂の意見には激しく同意した。


「半音上げればいけるんとちゃうか?」

と哲也は中途半端に正論を言う。


――チェロ弾きの哲也の癖に瑞穂にたてつくとはいい度胸だ――


と思いながら僕は二人のやり取りを黙って見ていた。


「う~ん。確かに……いや、そういう問題ではなくてそもそも無理やろ……流石に二ヶ月ではシフトもまだ満足にできんやろうに、あの鬼のようなヴィブラートが弾けるわけないやん」

さすがは瑞穂だ。冷静なひとことだ。


「というか、哲也! お前が弾きたいだけなんとちゃうんかいな?」

と拓哉がツッコんだ。流石に拓哉は哲也の事をよく分かっていらっしゃる。


「い、いや……そんな事は無いぞぉ……」

明らかに哲也の挙動は不審である。

これほど分かりやすい挙動不審もないだろう。


 その時、冴子が

「う~ん。アダージョかぁ……面白いかも……」

と呟いた。


 視線が冴子に集中した。


「お前本気か?」

と僕は思わず聞いた。今こいつが一番理解不能だわ。



「うん。この曲自体はホンマにいい曲やん」

と冴子は言ったが、その意見には誰も異論はない。

ただ『これを練習曲として新人に弾かせるのは相当難しいのではないのか?』

という事が今問題になっているだが……。


 それからだった。

冴子と瑞穂がダニーに相談すると、二・三年生と一年生の弦楽器経験者で演奏してみることになった。


「とてもいい意見です。是非やってみましょう。ただ私に考えがあります。取り敢えず弦楽器担当者で演奏してみましょう」

と一気に話が進んだようだった。


 自然と新人の弦楽器担当部員は誰も強制していないのに、この演奏チームの編成に入るのが目標となった。

 

 しかし今僕の目の前にいるこの二人は管楽器担当で、『自主的に弦楽器も弾いている』に過ぎない。彼女たちがこのレベルに入るには相当根を詰めてヴァイオリンを練習しなければならない。


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