第88話 帰り道

 結局、僕たちは宏美の家でおせちもご馳走になった。

夕方近くになって宏美のお母さんにリビングに呼ばれたら、宏美のお父さんと秀幸兄ちゃんもいた。すでに秀幸兄ちゃんもおじさんも良い感じで酔っぱらっていた。


 シゲルはここの家族と初めて会ったのだが一気に打ち解けていた。シゲルは社交的な人間だったんだと改めて知った。


 秀幸兄ちゃんはシゲルが僕らと同級生だと聞くと驚きながら

「お前らの先輩かと思ったわ」

と笑いながらからかっていたが、シゲルの顔はちょっと引きつっていた。


 後で

「俺ってそんなにオッサン顔してんのか?」

と真顔で聞いてきたので

「いや、そうやないやろ。何か雰囲気がオッサン臭いのとちゃうか?」

と答えるとシゲルは慌てて自分の服の匂いを嗅いだ。


「アホ。それは単なるオッサン臭や。加齢臭は流石にまだ早いやろ」

と僕は笑いながら突っ込んだが、シゲルは結構人の目を気にするタイプなのかもしれない。



 辺りが暗くなった頃、僕たちは宏美の家を後にした。宏美は勝手口まで見送ってくれた。

シゲルは今からバイトだと生田神社に向かっていった。僕は冴子と二人になった。


 そのまま冴子と別れて自分のマンションに入ろうとしたら

「あんた、私を家まで送らんかぁ」

と冴子が突っかかってきた。


「ああ?」

面倒くさい奴だと思いながら、目一杯うんざりした顔で返事をしたが

「こんな可愛い冴子ちゃんがこんな夜中に一人で歩いとったら危ないやろ? そうは思わへんの?」

と全く僕の感情を無視した台詞が返って来た。


 この季節は日が暮れるのが早いが、まだ六時過ぎだ。夜中ではない。それに自分で可愛いというのも気に食わなかった。

 

 勿論、僕は正論を吐いた。

「思わん!」


「冷たい男やな」

その一言で僕は無駄な抵抗をするのをやめた。結局僕は冴子には逆らえない様だ。


「分かったわ、送ったるわ」

ため息交じりに返事をすると、とぼとぼと冴子と一緒に歩き始めた。

ここから五分もかからない距離ぐらい一人で歩いて欲しいもんだと思いながら。


「……あんたホンマにピアニスト目指すんや」

歩きながら冴子は僕に聞いてきた。


「目指すというか……弾きたいというか……表現したいって言うのが今のところ一番しっくりくる言葉やねんけどな」

そう応えてはみたが、僕は上手く表現する言葉が見つからずにもどかしさを感じていた。


「ふ~ん。なんも考えてないと思ったけど、あんたも考えてるんやねえ」

冴子にしては珍しい対応だった。いつもなら『そんなん無理に決まっとるやろが』と返してきそうなものなのだが。


 しかしこの一言でこいつは『僕が今まで何も考えていないどうしようもない奴』と本気で思っていたことがよく分かった。


「お前はどうすんねん。コンクール出るんやろ?」

今度は僕が冴子に聞いた。


「うん。一応音大目指しているから」


「そんなにピアノ好きやったんや?」


「まあね、もう少しピアノは極めてみたいって思っとぉ。でもホンマはまだ迷っている最中」

冴子はそう言って地面を軽く蹴った。道端に落ちている小石を蹴るように。


「そうなんや」

 僕はその冴子の蹴った見えない小石を目で追うように、北野町に続く通りを眺めた。

流石に元旦だ。いつものように車が走っていない。人通りも少ない。

本当に静かな山本通りだった。


「うん。だからこの一年で本当に私はピアノに進みたいのかを確認してみたいねん。あとどこまで弾けるかも見てみたいし」


「そうかぁ……」


「本当はあんたとコンクールでで勝負したかったんやけど、今日のあんたの演奏聞いて分からんようになったわ」

横目でチラッと僕の顔を見て冴子はまたまっすぐに前を見た。


「え?」


「あんな演奏聞かされたら気持ちも萎えるわ」


「なんで?」


「こないだまでこの辺におると思っとった亮平が、全然違う世界におったって分かったからなぁ」

冴子は手を自分の膝の高さから目の高さに上げて何かをつかむような仕草をした。そして視線を落としてまた地面を見つめた。


――『この辺』が低すぎるやろ――


と憤りながらも

「そんな事ないやろ」

と僕は余計なツッコミは入れずに応えた。


「宏美も言うとったやん。『こんな音出せるんや』って。腹立つけどあんな音、うちはよう出さんわ。上手いとか下手とかそんな次元の音やないもん」

冴子は視線を落としたままそう呟いた。

こんな弱気な発言が冴子の口から出てくるとは思ってもいなかったので、僕は驚くよりもどう対応して良いか戸惑っていた。


「そうやってあんたはいつも先に行くんや……」

ぽつりと冴子が呟いた。


「え?」

よく聞き取れなかったので聞き返すと

「なんでもない。ちょっとあんたが羨ましかっただけや」

と冴子は少し拗ねた様なトーンで応えた。


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