第43話 朝食
目が離せない。
見つめあう二人……いや一人と何か……。
僕は吸い寄せられるようにその得体のしれないものを見つめたまま、目を外らす事もできずに見続けていた。
そしてピアノを弾きながら必死になって硬直しかけた頭の中を整理していた。
――これって妖怪か? 座敷童か? その割にはなんか洋風チックだぞ!――
何故小人なんだ? どうせなら白雪姫の方が嬉しいぞ。そんな事も考えながらも頭は徐々にはっきりと冷静に落ち着きを取り戻しつつあった。
それにしてもこの頃真面目に弾いていなかったとは言え、長年の習性とは恐ろしい。指だけはちゃんと動いている……と変なところで自分を冷静に分析していた。
目が離せなくなった僕を見ていたその妖怪のようなモノはゆっくりと瞬きをした。
見慣れてきたら愛くるしい表情に思えてきた。案外怖くはない。妖怪はちょと言いすぎか?
もう今はにらめっこ状態だ。
頭の中のパニック状態は治まってきたが、指を止めてまで考えを整理する気にはなれなかった。
何故か今弾くのを止めたらこの妖怪が哀しみそうで止められなかった。頭のある部分だけの冷静さで現状を維持しているような感じだった。
妖怪は目を閉じて楽しそうにピアノの音を聞き出した。身体ごと僕のピアノに身を任せているようだ。
僕はそれを見て何故か少しホッとした。
僕は頭の中が少しは落ち着きを取り戻したとは言え、ほぼパニック状態のままカノンを弾き終わった……かろうじて弾ききったと言ったというべきか?
弾き終わると同時にオフクロが
「朝一にピアノを弾くって珍しいわね」
と声を掛けてきた。
思わず僕はその声につられて振りむいてしまったが、慌ててピアノの屋根を見直した。
しかしそこにはもう何もなかった。居なかった。
――やっぱり錯覚か?……いや、そんなことはない――
「ごはん出来たから食べなさい」
オフクロはいつものように僕に声を掛けた。
「あ、う、うん」
僕は生返事をしながら立ち上がってリビングのテーブルの椅子に座った。
――何だったんだろうか? あれは――
もう一度振り返ってピアノを見たがそこにはやはり何も無かった。
いま体験した事をオフクロに言っても気味悪がるだけなのは分かっていた。なのであえて言うのは止めた。
あれはオフクロが買ってきた人形なんかではない事だけは、はっきりしている。お嬢と出会った効果がジワジワと出てきているような気がしてならない。想像もしたくない。
不幸中の幸いか、今回のは見た目が可愛い感じで良かった。あれが見るのもおぞましい顔をしていたら僕はその場で発狂していたかもしれない。
そんな事を考えながら僕は珈琲カップに口をつけた。そう、珈琲を飲みながら気持ちを切り替えようと思っていた。
――いつまでも考えても仕方ない。見えてしまったものは見えてしまったものとして受け入れるしかない。お嬢に会ってから色々なものが見えるようになってきたのはもう何度も経験している――
こんな時なのにいつもより珈琲の味わいが深くなったような気がした。僕も大人になったのかな……なんておバカな事を考えた。
兎に角、僕はトーストにバターを塗りながらいつものように新聞を読み始めた。するとオフクロが話しかけてきた。
「昨日、お父さんと会ったの?」
「うん。安藤さんの店にやってきた」
「そう……で、話はできたの? 聞きたいことは聞けたの?」
オフクロは自分では何も教えてくれなかったくせに、オヤジがどう言ったのかは興味があるようだ。
「うん……した……ピアニストになりたかったらなれば良いって言うとった」
「そう。あの人らしい返事やわ」
オフクロは無表情で呟いた。多分オフクロには予想通りの答えだったんだろうか?
「ほんで、父さんの前でピアノを弾かされてん。あの店にピアノがあるなんて知らんかったわ」
「ああ、あれね。あのピアノはあんたのお父さんが子供のころから弾いていたピアノやで」
とオフクロは教えてくれた。
「あ、あぁそうなんや……」
あのピアノを弾いた時に見えた情景は、やっぱりオヤジが見た情景だったんだと確信した。
「お父さんはなんか言うとった?」
オフクロは僕の目の前に座って聞いてきた。
「別に……余計な力が入ってなくて良いって。嫌いな音ではないって言っとったそ……そう言えば安藤さんが『オヤジのピアノの音に似ているかも』とか言うとったわ」
「へぇ。安ちゃんがそんな事を言うたんやぁ。まあ、安ちゃんの耳は確かやから、そうやったんやろうねぇ……そっかぁ、安ちゃんにもそう聞こえたんやぁ……」
とオフクロは少し驚いたような表情を浮かべたが最後は独り言ように言った。
僕はピアノを弾いた時に頭に浮かんだ情景のことをオフクロに言えなかった。浮かんだというかそれはほとんど目の前に映し出された映画のように鮮明に見えた。それはオヤジが見た過去の情景……。
オフクロはお嬢に会っていない。話には聞いていると思うが詳しい話はオヤジもしていないはずだ。
そんなオフクロにあの不思議な体験を話しても、理解できないだろうと思った。それにまず第一にオフクロに余計な心配をされたくなかった。正確には心配されたくないというより、オフクロに心配されるような自分になるのが嫌だった。
そういうお年頃な僕だった。
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