第20話 憧れの人

「そう言えば副会長も選挙で選ばれるよな」

 唐突に和樹が僕に聞いてきた。でも僕は副会長の事までは知らなかった。

代わりに吉見先輩が答えてくれた。

「そうや。会長と副会長は同時選挙や」


「副会長って誰やったっけ? 和樹、知っとぉ?」

言われて初めて気が付いた。

この個性の強い生徒会長は我が校の生徒なら誰でも知っているが、副会長となるとそうでもない。

影が薄いという訳ではないが、そこまで興味関心が届かない。


「知らん。誰やったけ?」

和樹も首を振った。


「あ、それはやばいなぁ……お前ら……シャレならんぞぉ」

吉見さんは薄笑いを浮かべながら僕たちに言った。


「え?そうなんですか?」

不安そうに和樹が聞き返した。


「うん。それは流石にやばいぞぉ……自分の高校の副会長の名前も言えんとは……愛校心が疑われるな」

と今度は眉間にしわを寄せて僕らに言った。


「確かに愛校心はそんなにないですけど……やばいって副会長って誰なんですかぁ?」

と愛校心のかけらもない和樹はずけずけと聞いた。


「ホンマに知らんからなぁ。結構根に持つタイプだから気を付けるようにね。君たち……」

と吉見さんは憐みの表情を浮かべながら僕と和樹の顔を見た。


「え~」

と2人で答えた瞬間、

「誰が怖い副会長ですって? 誰が根に持つタイプですって?」

と後ろから女性の声が聞こえた。


 振り返るとそこには若い女性が立っていた。

見た瞬間、僕と和樹は開いた口が塞がらないほどの美人を見た。

なぜ、妙齢の美女がここに?? と高校生の台詞には不釣り合いな言葉が思わず浮かぶほどの美人だった。


「ごめん。遅くなって」

そう言うとその女性は吉見先輩の横に座った。

吉見さんは

「いや、こいつらのおかげで時間つぶしができたから、かまへんよ」

と笑いながら言った。


 唖然としてみている僕と和樹。開いた口はまだ塞がる様子はない。


「お前ら知らんか?五条堀(ごじょうぼり)やん。俺の同級生の……お前らの小学校からの先輩やん」


「ええ!!?」

開いた口が更に開いて目も剥いて驚いた。


 言われるまでもなく五条堀さんなら知っている。中学校時代は学校で一番の美人と評判の高かった女性で全男子校生の憧れの的だった人だ。高値の華だと分かっていたし、それ以上の興味も期待もなかったが、目の前に先輩の彼女として現れられたら虚脱感は甚だしいものだった。何か大事なものを奪われた気がした。


 それは和樹も同じだったみたいで、僕と同じく虚しいオーラを漂わせていた。

セーラー服姿以外見た事がないので判らなかったが、見れば見るほど確かに五条堀かおる先輩だった。

女は化けるとは聞いていたが、本当だった。

素っぴんでも充分美人だったが、軽く化粧をするだけでこんなに変わるものなんだ。


 この二人を見て彼らを未成年と分かる人間がこの世の中に何人いるだろうか?

どう見ても社会人カップルにしか見えない落ち着きと貫録を漂わせていた。


衝撃が治まるのにしばらく時間が必要だった。


「副会長って五条堀さんだったんですか?」

何とか声を絞り出して僕は聞いた。

和樹はまだあんぐりと口を開いたままだった。


「そうよ」

と五條堀さんは笑みを浮かべて応えてくれた。


「こいつら見たことない? 今度うちの高校に入ってきた後輩やで。小学校から一緒だった奴らや」

と白髪頭の高校生には見えないオッサン顔の吉見さんが、五條堀さんに声を掛けた。


「ああ、ああ。そう言えば見た事あるわ。でも学校以外で会うのは初めてやね」

何度が頷きながら五条堀先輩は、また僕らに天使の笑みを見せてくれた。

なんど見ても美しい……。


「はい」

またもや和樹とハモってしまった。


「仲がいいのね」

と五條堀さんも吉見先輩と同じ事を言った。


 年上の女性(ひと)ってなんだか眩しい。同級生とは違う雰囲気がある。


「そういえば、亮平はまだピアノ習ってんのか?」

と吉見さんは唐突に聞いてきた。


――ああ、そうだった。吉見さんはピアノを習っていたことを知っていたな――


 何度かピアノ教室の帰りに吉見さんと遭遇していたので、その時にそんな話をしたことを思い出した。


「いえ。もう辞めましたよ」

と僕が応えると


「そうなんや。そうなんや」

と驚いたような表情を見せた。


「まあ、高校生になったし、もうええかなとか思って」


「ふ~ん。結構お前、コンクールとかで優勝とかしてなかったけ?」

と吉見さんは聞いて来た。

案外、そういう情報は学校内で噂として流れるもんだが、吉見さんはよく覚えている。少し驚いた。


「はぁ。何度かは……よくご存じで……」

と僕は恐縮しながら応えた。


「もったいないな」

と吉見さんは残念そうに言った。


「そうですかねぇ……」

僕にはそういう感情が無かったので、何が勿体ないのかあまり理解していなかった。


僕と吉見さんの会話を聞いて

「そういえばお前、宏美や冴子と一緒に習いに行ってたよな」

と和樹が口を挟んできた。


――また余計なひとことを……こいつだけは――


後できっちりと締めあげておこうと思っていたが


「なんや? なかなか羨ましい環境やったんや」

と和樹のひとことは、違うところに吉見さんの興味を引いてしまったようだ。


「そんなもんとちゃいます」

と慌てて僕が否定すると


「それはそうとお前ら彼女おらんのか?」

唐突に吉見先輩が聞いてきた。


「そんなものはいません!」

と即答したのは和樹だった。そんなもん即答しなくて良いだろう。


 小学校からの付き合いだが和樹に彼女ができたという話は一度も聞いた事が無かった。

なのに何故か和樹は胸を張って言っていた。


「お前、それって威張ていう事か?」

と僕は突っ込んだが

「お前は良いよなぁ。宏美ちゃんと上手く行ってよぉ」

と逆に和樹に突っ込まれた。


「お? なんだ亮平? ちゃんと押さえてるやん。 生意気な奴っちゃなぁ」

と吉見さんは笑いながら言った。


「それを言うなら剣ちゃんも生意気やん。小学校時代から彼女居たやん」

五條堀さんはそう言って吉見さんにツッコミを入れた。


「まあな。でも俺はええの」


なんかこの二人は仲が良さそうで良いなぁ……と思ったら和樹も同じ事を思っていたようで目が合ってしまった。


「五條堀さんはなんで吉見先輩と付き合おうと思ったんですか?」

唐突に和樹が強烈な直球勝負に出た。

相変わらず空気を全く読まない奴だが、それは僕も聞きたかったので許す。


「それをここで聞くかぁ?」

と吉見先輩もこの直球に呆れているようだったが怒ってはいなかった。


 少し驚いたような表情を見せ、引き気味だった五條堀さんは戸惑いながらも

「そうねえ……もしかしたら私……騙されたのかもしれない」

っと笑って応えた。


「なんだぁ? 俺は嘘なんかついてへんぞぉ」

と吉見先輩は間髪入れずに反論した。


「そうかなぁ。結構騙されているような気がするな」

と少し拗ねたような顔で吉見先輩に言った。


「俺は昔から一途なタイプと言われている」

と明らかに嘘だと思われる台詞を吉見先輩は口にした。


「それはないわ」

と五條堀さんは笑った。

吉見さんの戯言は歯牙にもかけていないという笑顔だった。


 もうこの二人には僕らの姿は見えないようだ。

僕は和樹に小声で

「くだらん質問すんな。目の前に見えないウォールが立ち塞がってもうたやんか」

と言った。


「そうやな。俺も失敗したわ。でも五條堀さんは拗ねても可愛いなぁ」

と言ったがその意見には激しく同意した。五條堀さんは可愛い。何をやっても絵になる。これに異存は全くない。


 和樹と僕は目の前でいちゃつくおバカな高校生を眺めていた。


 暫く経って我に返った二人はこっちを見た。

吉見先輩は

「あ、悪い。存在忘れていたわ」

と笑いながら言った。そんな事は言われなくても分かっている。


 吉見さんのその言葉を合図に

「そろそろ僕らは失礼します」

と僕は言った。


「そうか。お陰で助かったよ」

と吉見さんは止めもせず笑って言った。


「いえ。また呼んでください。和樹と一緒に来ます」


 僕たちは立ち上がってお金を払おうとしたが

「あ、ええよ。付き合って貰ったんやから奢るわ」

と吉見さんが言った。


 どうしようか迷ったが先輩のいう事は聞いておこうと思い、ここは素直に奢って貰った。

和樹と僕はリンズガーデンの階段をのそのそと降りて北野坂に出た。

そしてその坂を少し上ってから山本通りを今度は西に向かって歩き出した。


 僕らは何故か無言だった。


暫くして

「なあ。安藤さんの店に行かへん?」

と和樹が言った。


 僕もこのまま帰りたくなかったので勿論その意見に同意した。


 僕たち二人は安藤さんの店に着くまで無言だった。

トアロードの交差点で南に降りてすぐに安藤さんの店はある。

店の明かりが見えた時は、何故か砂漠の中にオアシスを見つけた冒険者か疲れ切った勇者のような気持になった。


 


 ドアを押して中に入った。カウベルがいつものように鳴った。


「お? えらく遅い出勤やな。それにこの時間は未成年者だけの入店はお断りしているんやけどな」

と安藤さんは僕らの顔を見るなりそう言った。


「ここのマスターが保護者です」

そういうと僕達はお構いなしにカウンターに座った。


 安藤さんは頭をかきながら苦笑いしていた。


 僕らはここでもジンジャエールを注文した。

「そうそう、健全な青少年はお酒二十歳になってからね」

と、お預けを食らった愛犬に話しかける飼い主のような表情で、安藤さんは僕らに言った。


「どっかで遊んどったんか?」

と安藤さんは聞いてきた。


「さっきまで高校の先輩と一緒に飲んでました。僕らはジンジャエールですけど……」

 僕と和樹は代わる代わるさっきまでいた吉見先輩と五條堀さんの話をした。

そして何故か二人同時に虚しい気持ちに包まれて、ここまでトボトボと帰ってきた事を伝えた。

別に自分の彼女を取られたわけでもないのに、この虚しさはどういう事だと安藤さんに訴えた。


「だから本当は飲みたい気分なんですけどね」

と僕が言うと安藤さんは

「10年……いやあと4年早いわ」

と言った。


 それでも安藤さんはニヤッと笑って

「でも青春やなぁ……本当に君たちは正しい青春を過ごしとるなあ」

と楽しそうに言った。


「ちゃんとした大人というメインディッシュになるために、青春の血と汗と涙の炒めモノに先輩へのほろ苦い失恋というスパイスを加えているなぁ……あと何年かして挫折というスパイスが加わったら更に美味しい大人になれるわ」

と楽しそうに言った。


安藤さんの青春の思い出という琴線にどうやら触れたようだ。


「言っている意味が分かりません……」

と和樹が苦笑いしながら言った。



「高校一年生かぁ……懐かしいなぁ」

と安藤さんは文字通り遠くを見るような目で天井を仰いだ。

 その視線に釣られて一緒に見てしまった僕らの目には、煤けた天井しか見えなかったが安藤さんには青春の日々が見えたに違いないと思った。


「でも、そんなほろ苦い気分は忘れとったわ」

安藤さんはそう言うと、グラスを二つと瓶ビールを取り出すと、栓を抜きその二つのグラスに半分程ビールを注いだ。


「飲めよ。少年たち。奢りや。こういう時に少年はビールの洗礼を受けるもんや」

と言った。


一瞬躊躇したが、僕と和樹は同時にグラスを持つと一口サイズのビールを一気に胃袋に流し込んだ。


――苦いな――


やはり僕たちにビールはまだ苦い。

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