花火

第13話 振り向けばそこに君が居る

 朝からいい天気だった。

朝食を取ってから、珍しく午前中から「夏休みの課題でもしよか」と机に向かったものの、向かったまま課題集の表紙をぼんやりと見ていた。


 頭の中では「早くテキストを開け!」という声が響いてはいるが、身体(からだ)はそれに反して机の隣りにある本棚から何か漫画でも読もうかと手を伸ばそうとする……そして課題を片付ける前に心が挫折しかけた瞬間、携帯が鳴った。


 言い訳が着信音と共にやって来た。


 ディスプレイを見ると電話の主は同級生の後藤和樹からだった。

「お、亮平?」

と和樹の声が携帯から響く。


「ああ、和樹か?」


「ぴんぽ~ん」

と更に声が響く。


「朝からテンション高いな」

和樹はいつも朝からテンションがウザいぐらいに高い。

こいつは絶対に血圧が高いと思う。


「そうかぁ?」


「ああ、ゲップが出そうなくらい高いわ」

『朝一に聞きたくない声選手権』があったら、間違いなく彼を推薦する。


「なんやそれ」

和樹は笑いながら呆れたような声を出した。


「で、どないしたん?」

と僕はテンションの高い和樹に聞いた。


「あ、そうやった。今日、どないする?」

と和樹は唐突に聞いてきた。


「どないするって?」

と僕は聞き返した。何をどうするのか? 全く話が見えていなかった。


「花火大会」

と和樹はひとこと言った。


「花火大会ぃ?」


――そんな約束したっけ?――

僕にはその記憶がなかった。



「うん。行かへん?」

と和樹は聞いてきた。

どうやら約束はしていなかったようだ。約束を忘れていた訳ではなかったようでほっとした。


「そっかぁ……花火大会は今日やったんや……」


――まず最初に花火大会があることを言え! それから俺の予定を聞け!――

と突っ込みをいれそうになったが、更に彼のテンションを上げてしまいそうな予感がしたので思い止まった。


「そうや」

和樹が携帯を握りしめて何故かふんぞり返っている姿が容易に想像できた。


「男二人で?」


「それはないやろ? このクソ暑い夏の夜にそれだけは勘弁願いたい。誰かおらへん?」


彼が思い付きだけで電話を僕にかけてきたことは、この一言で理解できた。


「最終的には他人任せか? 和樹?」

と言いつつも、僕も貴重な青春の一ページを、和樹と二人で過ごす哀しい花火大会で埋めたくは無かった。


……こういう朝の不毛な会話から、夕方にみんなで集まって港花火大会に行く事になった。

面子は僕、和樹、宏美、冴子の小学校からの仲間四人だ。


 毎年恒例の子の花火大会は、なんとなく誰かと毎回見に行っていたが、今年はこの面子になった。

そして折角なので全員で浴衣を着て行こうという事にもなった。

何が折角なのか分からないが、そういう事になった。もちろん言い出しっぺは朝から無駄にテンションの高い和樹だった。


 待ち合わせ場所は、この頃マイブームになりつつある安藤さんの店。何故そこが待ち合わせ場所になったのかというと、「(自分の)家から近いところが良い」という冴子の意見が優先されたという事だ。

もっとも、他の三人の家もそれなりにご近所であったので反対する理由も無かった。




 夕方、ちょっと早めに僕は宏美と一緒に安藤さんの店に向かった。


どうせ暇なので昼過ぎから行っても良かったんだが、その時間から一人で浴衣姿で北野町界隈を闊歩(かっぽ)する自信は無かった。なんとなく小っ恥ずかしい。やはり浴衣姿で一人で歩くのには相当な勇気がいる。なので小心者の僕は宏美と一緒に行くことにした。


しかし夏の夕暮れは遅い。外はまだまだ明るかった。


 それでも道行く人は浴衣姿の僕たちを見ると『ああ、今日は花火があるんだ』という顔をする。

この街でそれは、トラの法被を来て歩く人を見て『ああ、今日は甲子園で阪神の試合があるんだ』と思うのと限りなく同義語に近い。


 安藤さんの店に着くとそこには既に夏の暑さに溶けかけたオヤジが、カウンターの席に座ってビールを飲んでいた。


「父さん、もう飲んでいるの? 仕事は?」

と僕は声を掛けた。


「今日は土曜日や。だからええんや。夏休みというだけで日々怠惰な生活を送っているキサマら愚か者は、曜日の感覚も無くなっとるようやな」

と冷ややかに笑いながら言った。


「あ! そうか! だから花火大会が今日なんや」

そう言いながら僕と宏美もオヤジと同じようにカウンターに座った。

平日に花火大会はしないよな。オヤジの言う通りかもしれない。


「なんや? お前らも二人で見に行くんか?」

と、オヤジはグラスのビールを飲み干すと聞いてきた。

いつも思うが本当にオヤジはビールを美味そうに飲む。


「いや、他に他にもおる。冴子とかやけど……父さんも花火観に行くん?」

と僕は聞き返した。


「ああ、で、お前らはどこで見るんや」


「え? まだ決めてないけど、メリケンパークの辺りかなぁ……」

僕は宏美の顔を見て確認しながら答えた。前もって決めたわけではないが、例年そのあたりで観ていた。


「父さんは?」

と聞き返すと

「金星台でBBQしながら見るわ」

とオヤジは答えた。


そこは春に僕と宏美が一緒に行ったあの高台の事だった。その時の情景がふと蘇った。

確かにあそこからなら花火は観る事ができる。


「え?そうなん?」


「ああ、鈴原と鈴原の嫁さんと安藤とあと仁美も来るんやったけ?」

とオヤジは言いながら、確認するように安藤さんを見た。


「ああ、来るって言うとったな」

安藤さんはタバコの煙を吐きながら言った。


「仁美さん?」

 聞き覚えがあるような無い様な……オヤジと安藤さんの知り合いなら、オフクロの知り合いと言う可能性も大きい。もしかしたら過去に会っているかもしれない。


「ああ、父さん達の同級生のおばちゃんや。お前会った事なかったっけ……」

と聞いてきたが僕が返事を迷っていると、突然思い出したように

「そうや、お前らも来るか?」

と誘ってきた。


「う~ん。BBQ楽しそうやなぁ……冴子(キャサリン)のお父さんも来るんやったら、冴子も『行く』って言うんちゃうかなぁ」

と僕が答えると店の扉のカウベルがカランと鳴った。



 噂をすれば何とやらで冴子が浴衣姿でやって来た。

入ってくるなり

「一平さんもいたんだ」

と嬉しそうな声を上げた。


 同級生に自分の父親を名前で呼ばれるとなんだか違和感を感じる。しかし冴子の方がオヤジとの付き合いは長い。それはそれでなんとなく悔しい。

その上冴子の視野に僕と宏美は入っていないようだ。これもなんだか腹が立つ。


 それはそれとして冴子の浴衣姿は、案外色っぽい。何を食ったらこんなに育つんだ? と改めて思った。

同い年とは思えん……思わずに宏美と見比べてしまったら、『なによ』と軽く宏美に睨まれた。

どうやら宏美も同じことを思っていた様で、僕の視線の意味を完全に読まれていた様だ……失礼しました。


 しかし、冴子にしたら早い登場だ。いつもならこういう待ち合わせには、一番最後にやってくるのに……。


 冴子はやっと僕たちの存在に気がついたような表情を見せると開口一番

「ねぇ。今年の花火は金星台で見いひん?」

と聞いてきた。やはり予想を外さない期待通りの女だ。

宏美と僕は顔を見合わせて笑った。


「なんなん。その意味深な笑いは……二人揃ってイヤラシイ……」

冴子は眉間に皺を寄せた。


「金星台でBBQやろ?」

と僕が笑いながら応えると


「なんで知っとぉん……あ、聞いたんや」

と冴子はオヤジの顔を視線で指しながら言った。

相変わらず勘だけは良い。


「うん。聞いた。俺も宏美もBBQでええと思うんやけど、和樹がどういうかやな」


「あ、それやったら大丈夫。和樹に反対はさせへん!」

といつものようにタカビーに言い切った。まあ、日ごろの力関係を見ているので、結果は考えるまでもない。


冴子はそういうとカウンターには座らず、カウンターに一番近いテーブル席に座った。


「で、結局何人来るんや?」

とオヤジが聞いてきた。


「あと一人。合計四人やけど」

と僕が答えるとオヤジは携帯電話を取り出した。



「あ、お疲れ。俺やけど……あほ、トム・クルーズとちゃうわ。同じネタは二度と使わんのや。しょーもない事を言うな」

とオヤジは笑いながら話していた。これでオヤジかけた相手は冴子のお父さんだと分かったが、ついでにオヤジがいつも携帯でくだらないネタをかましているいうのもよく分かた。


「あのな、ゲストが四人増えたわ……ああ、そうや、お宅のお姫様とその愉快な仲間たち御一行様や……ああ、うちの星くずの王子様もご家来衆のようにご同行してるわ」

オヤジは笑いながら話している。

いつの間にか僕たちは冴子の愉快な仲間で一括りにされてしまっていた。


「もう行ってんのか? 了解。ほなぼちぼち向かうわ。それとなにか買って行こか?……いらん? ほい。分かった。じゃあ、後で」

そう言うとオヤジは電話を切った。


「鈴原は先に行っとるらしいわ。もう少ししたら準備が出来るって……あいつらヒマか?」

オヤジは笑ってそう言うと

「あんちゃん、そろそろ店閉めよか」

と立ち上がった。


「そうやな」

安藤さんも厨房を片付け始めた。


 オヤジは外に出て店のシャッターを頭の高さぐらいまで下げて帰ってきた。

案外シャッターを閉める音は中で聞くとうるさいもんだ。


 僕は慌てて和樹の携帯を鳴らした。

「和樹?、今どこにおるん。もう出んで」


「え? そうなん? 今トアロードを上がっているところや。あと一分で着くわ」

と和樹は焦ったように言った。


「分かった。はよ来いよ」

そう言うと僕は電話を切った。


「もうすぐ、和樹が来ます」

僕は安藤さんに言った。


「そんなに慌てなくてもええよ。すぐには出えへんから」

と安藤さんは笑いながら言った。


 そこへハアハア言いながら浴衣姿で和樹もやって来た。

「悪い悪い。遅くなって」

 店に入ってくるなり和樹は謝ってきた。浴衣姿でこのクソ暑い中、トアロードを駆け上がったら目立ったんだろうなと思うと、急がせて少し申し訳ない気持ちになった。


「大丈夫よ、待ち合わせ時間にはまだあるから」

と宏美が和樹を安心させていた。

「あ、紹介するわ。この人この店のマスターの安藤さん」

僕は安藤さんに和樹を紹介した。


「あ、はじめまして、後藤和樹です」

和樹は立ったまま挨拶した。

和樹はこの店に来るのは初めてだった。


「はい。初めまして安藤です。なんか飲む? ぜえぜえ言っているけど」

安藤さんは笑いながら冷えた水をグラスに注いだ。


「大丈夫です。そこで少し走っただけですから……でも、ありがとうございます。飲みます」

そう言って和樹はグラスの水を一気に飲んだ。

言葉とは裏腹に、喉が渇いていたようだ。


「で、このおっさんが俺の父さん」

和樹が飲み終わるのを待って僕はオヤジを紹介した。


「え? あ、初めまして後藤です」

和樹は慌ててグラスをカウンターに置いてオヤジに挨拶した。


「いつも亮平がお世話になっているねえ」

とオヤジは父親らしい顔をして笑いながら和樹に挨拶した。

「いえいえ」

と言いながら和樹もなんて返事をしたら良いのか困っているようだった。


 僕もなんか自分の父親を友達に紹介するって恥ずかしい。

人生で初めてかも……やっぱりちょっと小っ恥ずかしい。


 僕がオヤジを紹介している姿を冴子が笑ってみていた。

その笑い方が、子供を見る母親みたいだったのがしゃくだった。

――お前は俺の保護者か!――

と心の中で思ったが、この店ではなんだか分が悪いような気がする。


 安藤さんが

「さてそろそろ行くか」

と肩からクーラーボックスを下げて厨房から出てきた。


 オヤジも立ち上がった。

それを合図のようにみんな立ち上がって、店から出た。


最後に安藤さんが店のシャッターを下ろして金星台に向かった。


 オヤジと安藤さんはなにか話しながら僕達の前を歩いていた。

僕ら四人は浴衣姿で二人の後を、たわいもない会話を続けながらついて行った。


 アロハシャツに七分丈の短パンに素足でデッキシューズのオヤジ。

その横でジーンズにヘインズのTシャツの上からチェック柄の半袖のシャツを羽織ったクーラボックスを担いだ安藤さん。

その後ろからゾロゾロと浴衣姿の高校生が四人。


 どこからどう見ても今から花火大会を見に行く神戸市民だ。

四人で浴衣姿で歩くのは結構注目を集めるようで、道行く人が見ていく。

最初は小っ恥ずかしかったが、だんだん慣れてきた。

人ってそうやって順応してくんだなと、浴衣如きで人生の大きな発見をしたような気になっていた。


 どうやら僕は、花火大会というイベントに舞い上がっているようだ……いやBBQで盛り上がっているのかもしれない。

兎に角、テンションが高くなっている事は自分でも分かる。和樹の事を笑えない。


 安藤さんの店から五分ほどバス道を西に歩くと、金星台へ続く山道が見えてくる。それほど急ではない舗装された山道を僕たちはのんびりと歩いた。

なだらかな坂だが下駄ではやはり歩きにくい。その上四人とも下駄を履き慣れていないの存外騒がしい。

でも夏の坂道に下駄の音……風情があって一句浮かびそうで浮かばないのが悲しい。


 坂道からはこの街がよく見える。その景色を見ながら歩くのは悪くない。

もうあと何時間が経ったら、この景色が夜景に変わってなって夜空に花火が描かれる。


 まだ花火が上がっていないのに宏美が街の景色を見て

「綺麗ね」

と言った。


 春、僕たち二人は金星台で今と同じ街の景色を見ていた。

その時宏美は黙って街の景色を見ていた。でも、多分その景色は今とは違って見えていたんだろうなと宏美の言葉を聞いて僕は思った。あの時の寂しそうな表情は今は無い。


――いつもの宏美がここにいる――


 坂道の下駄の音に振り向けば、今ここに君がいる……どうあがいても僕は正岡子規にはなれんな。


そんな事を思って坂道をたわいもない話をしながら歩くと、ほどなく金星台の広場が目の前に広がった。

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