第27話

 「条件ですかな?」

 「拙者から一本取ってみるでござるよ」


 そういうとランタンから伸びる細長い胴体と手足がいきなりムキムキと膨れ上がりマッチョ体型になった。全身を包んでいた炎は全て筋肉に変換されたとでもいうのか、今は頭のランタンの部分だけしか包んでいなかった。


 「いつでもいいでござるよ」

 「ではいくですな」


 ダフニはまず手始めに水の魔法でランタンを攻撃してみたが、水はランタンを素通りするだけだった。


 「ははは。どっちに攻撃しているんだ」


 マルクが何か言っているがダフニは黙って無視していた。というより、ダフニの頭からマルクの存在は半ば消えかかっていた。今はマッチョのランタンの方に心を持ってかれていて、攻撃魔法がかすりもしないマルクのことはどうでもよくなっていたのだ。


 もっとも、ダフニは興味なくともマルクの方は依然としてダフニを殺す気でいた。ダフニがマルクを直接攻撃しないことをマルクの精霊魔法の脅威に手も足も出ないのだと解釈して、このまま休みなく攻撃を続けて追い詰めていけば確実に勝てると本気で思いこんでいた。


 「拙者は精霊でござる。魔法は通じないでござるよ。漢なら拳で語らうでござる」


 そう言ってランタンはムキムキの筋肉を見せつけるようなポーズをとった。


 ――うう。体育は苦手ですな。


 アイコン操作で避けるのはプロ級だが、一本取るには攻撃しないとどうしようもない。しかし、ダフニの体力でマッチョ相手に拳で攻撃するというのはちょっと厳しいのではないかと思われた。


 ――しかし、やるしかないですな。


 予想より面倒な事態になってきたが、冷静になって考えればマルクを無力化するだけなら方法はいくらでも考えられるはずだった。だが、ダフニは今精霊契約を解除するというアイデアで頭がいっぱいになっていて、この貴重な経験を得られる千載一遇のチャンスをみすみす逃す気は毛頭起きなかった。


 「これならどうですかな」


 ダフニはアイコン操作でランタンの目の前に飛び出してタックルしてみた。前触れなしに移動の魔法を使った体当たりは普通の人間なら気づいたときにはぶつかられている。しかし、ランタンはそれを紙一重で躱してしまった。


 「外れたですな」

 「今のはなかなかの動きだったでござる。では今度は拙者から」


 今ダフニは当たり前のようにランタンにタックルを仕掛けたが、これは実は全く当たり前のことではなかった。というのはそもそも一般的に物質界の住人は精霊に触れることはできないのだ。もしできたら道を歩いているだけで精霊とぶつかってばかりいることになる。ただ、人間が全くエーテル界と干渉できないかというとそういうわけではない。


 物質界がエーテル界の写像であるという説明から推測されるように、人間を含むこの世界のあらゆるものはどこかに物質界の実体に対応するエーテル実体を持っている。ただ、このエーテル実体は個別のチャネルにあり、精霊とは互いに干渉しないため人間が精霊の存在に気づくことはないのだ。


 そこでもし精霊に干渉したければ、その精霊が存在するチャネルに実体を生み出す必要がある。これはそれほど難しいことではなく、ダフニがコンソールに字や絵を書いていることの延長にある能力であって、リピカの相手をするときに日常的に使っている程度の技術だった。ただ、相手を殴れるほどの強度を持たせるとなると物質界の実体にフィードバックさせる必要があり、事実上物質界の恒等写像である必要があるという制約があった。


 逆にランタンがダフニに攻撃を仕掛けるときはランタンの方がダフニのエーテル実体のチャネルに合わせて攻撃を仕掛けてきた。通常、精霊は物質界に実体を持たないので強度のある実体を生み出すことができない。しかし、どんなものにも例外と言うものが存在するのが世の常だ。


 つまりどういうことかと言うと、結論から言えば、ダフニの左腕の骨が砕けた。


 「ぬぁぁぁ」

 「勝負あったでござる」


 ――痛い。痛いですな。


 ナイフで切り裂かれたときは血がどばどば出て焼けるような熱さと共に来る痛みだったけれど、今回のは出血がないせいか熱くはなく、ただぐりぐり刺すような痛みがあるだけだった。ただ、どちらにせよ激痛には違いがない。


 「ま、まだですなっ」

 「降参するでござる。そこもとの根性は認めるでござるが、その腕ではこれ以上の戦いは無意味でござる」

 「それは、やってみなくては分からないですな。……に、人間やる気になれば信じられない力が出ることもあるですな」


 ダフニはそう言って立ち上がり、ランタンに向かって学校で習っただけの構えを取った。


 「そこもと、どうしてそうまでして戦うでござるか?」

 「し、知りたいですかな?」

 「是非にでござる。そこもとのような人間ははじ……」


 そこまで言ったところでランタンは突然頭から地面にダイブした。その近くには子供の頭ほどもあるの大石が跳ねて飛んで少し先に転がって止まった。


 ――やったですな。成功ですな。


 ダフニは最初のタックルが失敗したので正面からの攻撃は避けられると考え、気をそらした隙に背後の死角から攻撃しようと考えていた。ランタンの攻撃を避けきれずに腕の骨が砕けた後、気の緩みの見えたランタンに対し注意を自分の方に引きつけるようにして背後の大石に移動魔法をかけてランタンの頭上に移動させたのだ。移動魔法は普通攻撃に使うことはできないが、流石に大石なので頭に落とすだけでも十分な威力になる。


 「今のは効いたでござる」


 ランタンはマッチョ状態を解除して細い手足に戻り、むくりと起き上がった。


 「会話で気を引いておいて背後から不意打ちでござるか。戦場では慢心は禁物でござるな」

 「ぜ、全然効いてないですな」


 さすがにあのサイズの石に不意打ちで直撃を受けて平気で立ち上がるのはダフニの想定外だった。


 ――次が来たらアウトですな。残念ですが、仕方ないですな。


 「こうさ……」

 「拙者の負けでござる」


 ダフニが降参しようとしたところで、ランタンは頭を下げて負けを認めた。


 「始めから一本入ったら負けという戦いでござる。不意打ちでもなんでも一本は一本でござる。約束通り精霊契約は破棄するでござるよ」


 ランタンがそう言うと、突然マルクからの魔法攻撃が止んだ。全自動ではあるものの、さっきから定期的に右へ左へ跳躍しながらの戦闘と会話だったのでようやく落ち着いた気分だった。


 「コール。コール! 何故だ! 魔法が使えないぞ!!」


 マルクが慌てて騒ぎ始めたが、そっちはもうしばらく放っておいても差し支えなさそうだ。


 戦闘が終わって跳躍をしなくなったせいで骨折をした腕が激しく揺らされることがなくなり、痛みも大分我慢できるようになってきていた。とはいえ、まだ額から吹き出る脂汗が途切れる様子はない。


 ――帰りは衛士の人に担架を用意してもらわないといけないですな。


 「ところで、そこもとに拙者から一つ問いたいことがござる」

 「何ですかな?」

 「そこにいるのはもしやリピカうじではござらんか?」

 「はーい。呼んだ?」


 ランタンの言葉にリピカがまたどこからともなくするりと姿を現した。


 「ランタン君はリピカを知っているですかな?」

 「拙者のことはイフラートと呼ぶでござる。リピカ氏とは知り合いではござらんが、有名でござるよ。リピカ氏は最強の精霊でござる」

 「最強ですかな??」

 「君とは初対面だけどなぜか深い絆を感じるよ」


 ダフニが疑いの目を向ける中、リピカはランタンとがっしりと握手をしていた。


 「リピカうじは世界の全てにアクセスできる精霊でござる。これまで契約したものは例外なく大魔法使いになったでござるよ」

 「そんな記録はないですな」

 「物質界の記録はあてにならないでござる」


 イフラートの答えにならない答えにダフニは首を傾げるが、イフラートはリピカの直筆サインを特製サイン色紙にもらうのに忙しくてそれ以上は答えてくれなかった。


 「ダフニうじもここにサインを、というのは難しいでござるか」

 「右手は無事だから何とかなるですな」


 ダフニのサインももらったイフラートは色紙をランタンの中にしまって握手を求めてきた。


 ――あの色紙、なぜ燃えないですかな?


 「これでリピカ氏とダフニ氏とはマブダチでござる」

 「分かったですな。マブダチですな」


 と握手をしようとしたところで、イフラートはダフニの手を引っ張って後ろに投げ飛ばした。折れた腕が悲鳴をあげた。


 「なっ、何するですな」

 「ちっ。ちょこまかと逃げやがって」


 そこにはマルクが帯剣を地面に突き刺してダフニを睨みつけていた。ずっと放置していたマルクがいつの間にか立ち直っていたらしい。ランタンに助けてもらわなければ死んでいたかもしれない。


 ――あの剣は飾りじゃなかったですかな。


 「サインのお礼でござる。さらばでござる」


 イフラートはそう言うなりシュタッと忍者のようにどこかへ消えてしまった。


 「マルクお兄さま、精霊契約は解除したですな。もう勝ち目はないですな。諦めるですな」

 「やっぱりお前の仕業か! もう許せん。一度殺すだけでは足りない。何度でもそのはらわたを引き裂いて……」


 マルクが激昂して叫んでいる最中だったが、ダフニは魔法でマルクを縛り上げ猿ぐつわまで噛ませてしまった。マンガじゃないので一々口上を全部聞く必要もない。ダフニはKYだった。


 ――思ったより大変だったのですな。精霊契約の解除はあまりおすすめではないですな。


 ようやく一件落着で地面に大の字に寝転んだダフニの耳にようやく衛士たちが駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。マルクの魔法がなくなってやっと接近できるようになったのだろう。


 「ダフニ王子、あなたをマルク王子殺害未遂の現行犯で逮捕します」


 後は担架に乗るだけと思っていたら、集まってきた衛士にいきなりそう告げられて驚いた。


 「何を言っているですかな。襲われたのは私の方……」

 「抵抗するなっ」

 「ぎゃあっ」


 痛む腕をかばいながら体を起こして誤解を解こうとしたところで衛士たちが持つ長柄の棍棒で骨折した腕を強かに叩かれ、あまりの痛みに一瞬で意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る